ラルゴ到着

 爽やかな風に頬を撫でられ、城戸光来は思わず深呼吸をした。いつもなら、学校へ行くための満員電車の中で、必死にストレスを抑えている時間だ。充分に休息を与えたおかげか、馬の闊歩するリズムも安定しており心地好い。

 城戸光来。この世界ではキーラ・キッドと名乗っている。学校からの帰宅途中、いきなりこの世界に足を踏み入れてしまった少年である。様々な過程を経て、彼の前で馬を操っている少女、リム・フォスターと旅をすることになった。

 同行するに至った理由が彼女の強引なこじつけだとしても、魔法という得体の知れないエネルギーを利用する世界に放り込まれ、途方に暮れていた光来には思わぬ助けとなった。

 彼女の期待には全くそぐわなかった時のことを考えると、やや複雑な心境になるが、とにかく今は元の世界に戻る方法を見つけるのがなにより優先される。


「そろそろラルゴが見えてくるわよ」


 リムの台詞に反応して、ひょいと首を伸ばすが、まだ街並みらしい景色は見えない。ただ、至る所から濛々と煙が立ち上っているのが見えた。


「あれはなに? 狼煙でも上げているのか?」

「違うわよ。ラルゴは温泉が湧いてるの」

「ホント? 入れるのか?」


 光来のはしゃぎように、リムは眉をひそめた。


「言っとくけど、混浴じゃないからね?」

「ばっ、そんなこと、期待してないよ」


 思わず声が大きくなってしまった。


「でも、三日振りに食べ物にありついた野犬のような顔してたよ」

「どーゆー顔だよ。リムには分からないだろうけど、俺は日本という国で生まれ育ったの。日本人は根っからの風呂好きなんだよ。元いた世界じゃ、毎日湯船に浸かってた」

「毎日お風呂に入ってたの? キーラって、もしかして金持ちのご令息?」


 どうやら、こっちでは毎日風呂に入るという行為は、贅沢になるらしい。


「そんなことないよ。普通、だと思う」


 光来は答えてから、そうだろうかと思った。毎日、飯が食えて、風呂に入れて、布団で眠れる。当たり前のように営んでいた生活だが、これはすごく恵まれているんじゃないだろうか。こっちに飛ばされるまで、いや、今の今まで意識したことすらなかった。

 元の世界では、俺は無断外泊してることになってるはずだ。両親が心配してると思うと、急に胃の辺りに違和感を感じ、心苦しくなった。

 一刻も早く帰らなければならない。改めて肝に銘じるのだった。

 

 眼前に街が存在すると認識できたのは、リムがあれよと指差してから、十分程馬を走らせてからだった。

 ラルゴというその街は、ホダカーズより規模は小さそうだ。

 まだ朝だと言うのに騒がしい。耳障りな騒がしさではなく、こっちにまで元気が注入されそうな陽気な騒がしさだ。ホダカーズにはない活気を感じた。街ゆく人々の足が浮き立っているというか、生活間が薄いという印象だった。

 光来はリムに感じたままを話すと、宿場街として発展して、現在は観光地で人気があると説明された。なるほどと納得した。並ぶ店舗にしても、生活とは密着していない土産物が多く見られることに気付いた。


「これから、どうするんだ?」

「もちろん、情報収集よ。やっぱり酒場が一番かな。それと、腕のいいガンスミスを探さないと。私の銃はバレルが砕けて使い物にならなくなっちゃったし」


 酒場といえば、昨日ガラの悪いゴロツキに絡まれたばかりだった。喉の奥に苦いものがこみ上げてきた。しかし、リムと出会ったのも酒場だったと、気を落ち着かせる。


「こいつはどうする?」


 光来は馬の背中をぽんと叩いた。


「厩舎があるはずだから、そこに引き渡すわ。……もう汽車での出来事が伝わってると思うから、さり気なく置いてくるのがいいわね」

「……ケビン保安官がいるってことか?」

「私達の目的地まで知ってたわけじゃないからなんとも言えないけど、用心するに越したことはないわ」

「でも、保安官なんだから、管轄ってのがあるんじゃないか?」

「カンカツ? なにそれ?」

「だから、ケビンはホダカーズの保安官なんだから、それ以外の街での取り締まりや逮捕はできないっていう……」

「そんな訳の分からない制度ないよ。悪党相手なら、地の果てまで追い掛けるのが保安官の務めってもんでしょう」


 きょとんと答えるリムを見て、光来はため息を吐きたい衝動に駆られた。元の世界とは違う慣習が、まだまだありそうだ。

 リムは落ち着いているが、光来は鼓動が速くなる思いだった。

 ケビン・シュナイダー。光来が決闘でトートゥの魔法を使い相手を殺してしまったことから、光来を敵視している。昨夜はなんとか切り抜けられたが、正直もう二度と会いたくない人物だ。


「それで? 手当たり次第訊いて回るのか? 怪しい人物に心当たりはないかって」

「グニーエのことを調べている老人がいるって噂よ。何者か知らないけど、話を聞きたいの。まずはその老人を探すわ」


 それこそが、リムがラルゴを目指した目的だった。

 なにが目当てでグニーエ・ハルトを調査しているかは不明だ。『黄昏に沈んだ街』に関わった者か、或いはグニーエに繋がりがある者かも知れない。リムがまだ入手していない情報を持っている可能性がある以上、絶対に接触しなければならない人物だ。


「じゃあ、行きましょう」


 リムは手綱を引き歩き出そうとしたが、一歩踏み出して振り向いた。


「私がこの格好をしている時は、ギム・フォルクだから。それを忘れないで」


 この格好とは男装を指している。リムは普段は男装で旅をしており、その時に使っている名前がギム・フォルクなのだ。


「それはいいけど……。なんで普段は男装してるんだ?」

「女の子の一人旅なんて危険でしょ」


 リムはさらりと答える。


「君ほどの腕の女の子に襲い掛かるヤツなんていないよ」と、正直に口に出す程、光来も無神経ではなかった。

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