あの日の光景

 シオンは幼少の頃、両親と共にカトリッジという街で暮らしていた。その街は今はもう存在しない。カトリッジこそ、ある日忽然と消滅し、後に『黄昏に沈んだ街』と呼ばることになる街なのだ。

 あの日、シオンは一人でワイズのもとを訪れていた。カトリッジの隣街に居を構えていたワイズは、当時から銃工房を営んでおり、名人と呼ばれる程に腕前を買われていた。シオンは女の子にしては珍しく銃に興味を持ち、頻繁にワイズの仕事を見学しに来ていた。ワイズの手腕に見とれては、後を継ぐとまで言っていたものだ。

 仕事が一息つくと、二人でお喋りをしながらお茶を飲んだ。日が沈み始める頃には帰っていくのが通常だったが、あの日は違った。

 行き交う人々の慌ただしい足音、口から漏れ出る不安そうな声。どうにも街が騒がしい。気になったワイズは通行人を掴まえ、何事かと尋ねた。


「なんか、カトリッジが大変なことになっているらしいんだ」


 ぎくりとした。カトリッジには、ワイズの娘夫婦、つまり、シオンの両親がいるからだ。


「大変って……、なにが大変なんだ」

「いや、なんか……」

「はっきり言えっ」

「僕も詳しいことは知らないよ。とにかく、メチャクチャだって」


 大変? メチャクチャ? いったい何が起こった?

 真っ先に思い浮かんだのは地震による被害だったが、それはすぐに打ち消した。そんな大地震が発生したなら、ここにも影響がないはずがない。

 では火事か? 大規模な火災が発生したのか?

 全身が総毛立った。

 こうしてはいられない。シオンの不安な眼差しを感じたが、かまっている余裕は既になくしていた。


「お前はここで待ってなさい」


 シオンの返事も待たずに、ワイズは駆け出した。カトリッジまでひたすら走った。振り向くと、シオンが小さな手足を必死に動かして付いて来ていた。不安が伝わるのだろう。なにが起こったのか分からないのに、涙でグシャグシャになっていた。大人の半分にも満たない小さな体が、人混みにもみくちゃにされながらも、とにかくワイズに追い付こうとしていた。

 ワイズは引き返し、攫うようにシオンを抱きかかえると、再び駆け出した。

 逸る気持ちのまま、カトリッジの近くまで来た。しかし、様子がおかしい。メチャクチャと言っていた割には、街からそれらしい喧騒が聞こえない。それどころか、不気味なくらい静まり返っていた。

 街の入口に立ち尽くしている者たちも、言葉を忘れたかのように声を発さず、街に入ろうともしていなかった。

 怪訝と焦燥の思いが入り混じった。しかし、街の入口に辿り着いたワイズもまた、他の者たち同様、言葉を失った。


「なんだこれは?」


 先程の青年が言った、メチャクチャという表現が当てはまるか分からなかった。眼前には、茫洋たる無が広がっていたからだ。


「なんだこれは?」


 ワイズは同じ呟きを口にした。

 よたよたと前に進もうとして、シオンが力一杯しがみついているのに気付いた。

 震える孫を見て、急に目の前の光景が禍々しく映った。こんな惨状を、いつまでも見せてはいけない。咄嗟にそう思ったが、娘夫婦の安否を確認しないわけにはいかなかった。

 シオンを再び抱きかかえると、周囲の静止を振り切り、街の中、いや、かつて街があった場所に踏み出した。

 踏み出すごとに目に飛び込んでくる光景を、惨状と表現していいのか判断が付かなかった。何もかもがなくなっていた。

 建物、木々、そしてシオンの家。全てが消滅しており、草一本生えていない更地になっていた。

 泣きじゃくるシオンを降ろし、娘夫婦と孫が生活していた家があった辺りの地面を掘った。硬い土に爪が剥がれそうになるのもお構いなしに、ひたすら掘り返した。



 もう十年以上前の事件だが、今日まで忘れたことなど一日たりともなかった。 

 あの事件の後、シオンを引き取り、それまで暮らしていた街を捨てた。あの惨劇が起きたカトリッジに近すぎて、耐えられなかったのだ。

 方々を渡り歩き、最後はこのラルゴに落ち着いた。小さいながらも銃工房を再開して、なんとか生計を立てられるまでにはなったが、なにもかも元通りになったわけではなかった。

 あの事件以来、シオンは極端に感情の起伏が少なくなった。本人にこそ言ったことはないが、ワイズは、感情を表に出さなくなったのではなく、まるで心に麻酔を注入されたみたいに鈍化してしまったのではないかと思っている。

 そして、それは自分も一緒だ。以前住んでいた街では、大通り沿いに派手な看板を掲げて商売していたものだが、このラルゴでは、人通りなど滅多にない街外れで、生きる糧を得るために慎ましく続けているだけだ。


「…………」


 ワイズは冷めかけたコーヒーを飲み干した。思考は再びトートゥの少年に戻る。

 捕まった以上、あまりゆっくりはしていられない。明日にでもホダカーズに出掛けてみよう。留置されている事務所を見つけ出し、なんとしてでも面会するのだ。そう決心した。

 シオンと目が合った。孫とは言え、感情が読み取りにくい瞳で見つめられると、少し居心地が悪くなる。


「なんだ?」

「コーヒー、おかわりは?」

「あ、ああ、そうだな。もらうよ」


 注がれたコーヒーに口を付け、目の前の孫のことを考えた。

 シオンには知られない方がいい。さて、どういう理由をでっち上げようか……。

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