第332話●春学期の試験後に

 明貴子さんの身に大変な事態が発生してしまったが、テストは待ってくれない。報道の翌日、昼休みに6号館地下でいつものようにみんなでランチを取る。変に構えるのもおかしいのでみんな極力いつも通りに振る舞うようにしていて、それは明貴子さんも同じ。ただ、なんか目の焦点が定まっていない、いやな感じを受ける。


「なんか明貴子、心ここにあらず、っていう感じだったね……。」

「うん、なんかいやな感じだった。とりあえずはテストを受けられているみたいだし、太田さんからこまめに連絡してるっていう情報共有も来ていたから細心の注意はしつつも様子を見るしかないよね。」

「うん……。」


 未亜はかなりもどかしさを感じているみたいだ。俺も同じだけど、下手に動けないのでなんともしようがないんだよなあ……。


 不安定な状況ながらも何とかテスト期間を過ごしきる。金曜日はもともと授業を入れていないので、当然テストもない。そんなわけで未亜は今日の夜に大阪で行われるアイドルフェスに出場するため、朝から心菜ちゃんと一緒に一泊二日の日程で出かけていった。俺も付き添う予定だったのだけど、明貴子さんに何かあるとまずいので、元々付き添う予定になっていた智沙都さんにおまかせして、俺は自宅にとどまることにした。未亜とは夜にRINEでビデオチャットをすることにしている。


 その日の夜、状況が状況だけにとても落ち着かないものの締め切りはある。予約特典としてプレゼントする書き下ろしSSの初校対応を自宅でこなしていると瑠乃さんからプライベートチャンネルに緊急の連絡が入った。


 柊瑠乃 19:54

 朱鷺野先生がちょっとまずいので太田さんに連絡した。テストが終わって一緒に帰ってきた時は特に問題なかったんだけど、仕事が終わって帰ってきたらソファーに座ったまま、無反応になっちゃってる。どうしたらいいか判らないけどとりあえず太田さんが来るのを待ってる。太田さんからOK出たらあとで誰かに来て欲しい。


 女性だけの部屋に男性陣が行くわけにも行かないので、買い出しとかは手伝うということにして、いったんは紗和さんが一緒に過ごすことになった。

 それから30分くらいで太田さんはこちらへ到着、明貴子さんたちの部屋に入って様子を見ている。21時を過ぎたところで、フェスが終わった未亜から連絡があり、状況を伝える。


「遠くにいてさらにもどかしいと思うけど、明日は午前中にそっちでラジオに出演したら帰ってくるだけだから今日は早めに寝てゆっくりするといいよ。」

『うん、ありがとう。大阪にいたらなにも出来ないからね……。でも、みんながいろいろとやっているのはプライベートチャンネルで見ているからその辺は安心しているよ。』

「仲間ってやっぱりありがたいよな。」

『本当だよね。』

「できる限りのことを考えて実行していこう。」

『うん。最大限の協力をしようね。』


 未亜との通話を終えると朋夏さんの定期配信後に朋夏さんの部屋で現状の共有と今後について話がしたいという連絡が太田さんから届いていた。ミーティングルームじゃないんだなあ。

 朋夏さんの定期配信が始まるまで、自室で執筆を進め、いつもより若干元気がない日向夏さんの配信を終わるまで聞いたあと、家を出る。


 朋夏さんの部屋に集まったのは、太田さん、沢辺さん、瑠乃さん、紗和さん、朋夏さん、慧一、彩春さん、磨奈さん、百合と俺の合計10人で、華菜恵さんは明貴子さんが目覚めたときのために明貴子さんの部屋で待機している。

 メンバーを見渡した太田さんはおもむろに話し始める。


「とりあえず半分無意識の状態ではあるものの着替えて布団に入った。試験期間中は相当気を張っていたからなんとか乗り越えられたみたいだけど、終わったことで急に虚脱してしまったのかもね。」

「そうかもしれません。太田さんからご依頼いただいていた心療内科の訪問診療は手配しておきました。土曜日ですが明日往診に来てくれます。」

「沢辺さん、ありがとう。その辺の手配はマネージャじゃないと出来ないから助かったわ。それにしてもマンデーに載っていたあの冊子、調べれば調べるほど本当に当時出たものという状況しかつかめないのよね……。瑠乃は何か知っていることはない?」

「私と明貴子は高校で知り合ったので、中学の頃に何があったかまではあまり詳しく知らないんですよね。ただ、明貴子のデビュー作って、元々彼女が中学1年の時にノートに書いていたまだラフ状態の漫画が元になっているんです。」

「そうなんだ!?」


 そうか、紗和さんは瑠乃さんの面接に立ち会っていなかったからこの辺の話を知らなかったか。


「うん。高校2年の大型連休に万代ばんだいタウンへ出かけたんだけど、明貴子がなんか途中で急に泣き出した上にしゃがみ込んじゃってね。びっくりして近くのドリールコーヒーコーヒーショップに入って話を聞いたら『画力が全然上がらない』ってすごい悩んでいたの。慌てて明貴子の家に連れ帰って、部屋に上がらせてもらったんだけど、『読んでみて』ってラフ状態の漫画がたくさん描かれた冊子を読ませてくれてね。『この構成ラフを見ると物語自体は面白いから小説を書いてみたら』って薦めて、それでも渋っていたから『小説ならコミカライズとかで自分で絵が描けなくても漫画になるかもよ』っていったら目をまんまるにしてさ。『そうか!』って本人がやる気になったのがきっかけだったんだよね。」

「そんな経緯があったんだね。」

「うん。それで、読ませてもらった冊子の中でも特に話が面白くて小説で読みたいっていったのが『あなたと私の間にかかる星空』で次が『佐渡の海、そしてあなたと私の虹』だったんだけど、『そうしたら一番面白いっていってくれたのは商業デビューまで取っておこうと思う』ってね。」

「それで朱鷺野先生のヨミカキデビュー作品は『佐渡の海、そしてあなたと私の虹』なのに商業デビューが『あなたと私の間にかかる星空』だったのかあ。」

「磨奈はさすがに憶えているんだね。そんな経緯があるから『あなたと私の間にかかる星空』って、どこにも出ていないはずなんです。もちろんヨミカキにも。だからなんでこんなことになっているのかが私にもよく判らなくて……。」


 そういうと瑠乃さんは頭を抱え込んでしまった。大親友、しかもアイドルデビューを後押ししてくれた存在がこんな風になったらショックだし、精神的な疲労も大きいよな……。早く解決の糸口を見つけたいのだけど。


 ――――――――――――――――


【作者より】


 今回の内容は、様々な事例を参考にして、各種知見などに配慮しながら慎重に記載したものですが、あくまでフィクションであり、医師等による診察や医学的なアドバイスの代わりになるものではありません。個別の疾患に関しては必ず専門家へ相談していただくようにお願いいたします。

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