第068話○またここから一緒に

 圭司はこの短時間でかなり普通に話が出来るようになってきた。儘田さんから感謝されたのが効いたのかな。

 それと儘田さんも表情がかなり柔らかくなった。最初はものすごく悲しそうなこわばった表情だったからなあ。恐縮して遠慮する儘田さんを太田さんと二人で説得して連れてきて良かった……。

 儘田さんと圭司がRINEを交換してくれたし、あとは私が間に入りながら二人の関係を元に戻していきたい。


 四人でしばらく話をしていると、太田さんが腕時計を見る。つられて私も部屋の時計を見る。もう16時過ぎたんだね。


「じゃあ、そろそろおいとましますね。。帰る前に雨東先生へ報告。報道によるデマに関してはTwinsterとかを調査した限り、うちの出したニュースリリースが功を奏して、すべてをそのまま鵜呑みにして信じている人は少数派だからその辺は安心してね。もちろん、大崎エージェンシーとしては、引き続き、全力で対処にあたります。」

「いろいろありがとうございます……。」

「会社として当たり前のことをしているだけだから気にしないで。まあ、なかなか気持ちは切り替わらないと思うから、無理せずに過ごしてね。落ち着いたら事務所でゆっくり話をしましょう。美愛はまた明日の15時頃、レッスン前にね。それまでゆっくり休んで。あっ、儘田ままだ先生、私がホテルまで送りますよ。」


 太田さんはそういうと儘田さんと一緒に帰って行った。玄関で見送って、圭司と二人きりになる。


「太田さんってパワフルだよな……。」

「そだね。……太田さん、儘田さんと一緒に帰ったけど、儘田さんのマネージメントもはじめたりして。」

「さすがにそれは……いや、太田さんだから判らないか。」


 そういって、見つめ合って笑い合う。見つめ合って笑い合えたのはいつぶりだろう……。あたり前のように思っていたこの感じがあたり前ではない大切な瞬間なんだと改めて感謝した。


 二人で玄関からリビングに入る。圭司はダイニングへ戻ってそのまま座った。私は少し戸惑いながらも圭司の向かいに座る。


「……改めて、未亜、今日は甘巻さんを連れてきてくれて本当にありがとう。」

「ううん、感謝されるようなことではないよ。私が圭司に逢わせたかっただけだから。」


 圭司がすごく真面目な顔をしている。何を話すのかとドキドキしながら圭司の言葉を待つ。しばらく圭司は私の顔を見つめ続けてから話し始めた。


「今日こうして、甘巻さんの顔を見て、生きていてくれてすごく良かったと思った。松埜井のことがすべて終わったはずなのに気分が晴れることはなかったのは、もちろん報道もあるけど、甘巻さんがどうなったかが判らなかったのもあったんだと思う。そして、甘巻さんに申し訳ないことをしてしまった、という後悔や罪悪感を持ち続けていることをあらためて自覚した自分がいる。」


 私は黙って見守ることしか出来ない。


「その罪悪感をいままで俺は、もう大丈夫なんだ、だから忘れよう思い出さないようにしようってずっと心に蓋をしたまま生きてきたんだと思う。自分の中ではもう吹っ切れたつもりでいて、それで未亜のことが好きになって、付き合えることになって、ほら大丈夫問題なくやれるってそう思っていたんだ。でもそれは大きな勘違いだった。」


 圭司の目が潤んできた。


「出逢って、好きになって、告白をして、恋人になって、親にも紹介し合って、同棲までして、それなのに自分からキスをしようとすると動けなくなった。先へ踏み込もうとすると『まだはやい』『まだダメだ』って頭がそこから先を拒絶してしまって、未亜にあそこまでいってもらってもどうにもならなくて、でもそんな自分も認めたくなくて、未亜の心からの願いをはぐらかして、無視して、逃げ続けた。」


 圭司の慟哭、心からの叫び。私はただ聴くのみ。


「未亜に対する感情が、いつの間にか恋愛感情こいごころから早緑美愛さみあんという推しているアイドルに対するあこがれとファンとしての好きにすり替わっていた。だからその先へ進もうとするとほかのファンに悪いという感情が出て身動きがとれなくなる。きっとそれは過去に蓋をしたすべての感情といまの恋愛感情こいごころが無意識に折り合いをつけてしまった結果なんだと思う。甘巻さんへの罪悪感とともにそのことを自覚した自分がいる。そして、きっと自分では忘れていたことにしていたなにかが恋愛感情こいごころに鍵を掛けている……。」


 圭司が顔を伏せる。


「トラウマなんてないと信じてた……自分ではすべて忘れたつもりだった……。もう過去なんて関係ないって思ってた……。でも全然そんなことはなかった……。この先ちゃんとその先へ進めるのか……未亜と……その深い関係になることが出来るのか……俺には判らない……。約束することすら出来ない……。恋人としてちゃんと……愛しているというあかしを……示すことが出来ない……。それを認められずに逃げた……今なおまだ逃げ続けている俺は……そんな俺は未亜から別れを告げられても……仕方ないと……思っている……。」


 テーブルに落ち続ける水滴。静寂と時折の嗚咽。


「でも……未亜のことが本気で好きで大事で愛しているという気持ちだけは……。」


 眼から止めどなく流れる涙で埋まった顔を上げて私のことを真剣に見つめる圭司。


「この気持ちだけは、信じて欲しい。」


 私は席を立って圭司の後ろに回る。そして後ろから抱きしめる。


「もちろん。」


 別れないとか私も愛しているとか、そんな余計な言葉はいらない。抱きしめて、一言肯定だけすれば、それですべてちゃんと通じる。私のためにあれだけのことをしてくれた人の愛は間違いないって判っているから。圭司と私はもうそんな軽い関係ではないんだから。


 圭司は再びうつむき、静寂が空間を支配する。どれくらいの時間ときが経っただろうか。しばらくして顔を上げた圭司はこういってくれた。


「……ありがとう。」


 私は圭司を強く抱きしめ直して、身を離し、隣の席に座る。そして圭司の手の上に私の手を乗せる。


「忘れたはずなのに無理矢理蓋を開けられて、それでいやなことを思い出して、そのあと嘘八百並べられてキツい思いをして。いまだって、本当に辛いのは圭司なのに私のことを思いやってくれて。」


 圭司の手を強く握る。


「私はそんなあなただから、そういうあなただから。私はあなたと一緒に人生を歩んでいきたい、そう思ったよ。」


 私の頬に一筋の線が流れたのが自分で判る。


「圭司みたいな苦しみも絶望も感じたことのない私には、軽々しく『なんとかなるよ大丈夫』なんていえない。でもね、たとえこの先どんなことになったとしても『私の圭司への思いは変わらないよ大丈夫』っていうことだけはいえる。」


 圭司の眼から落ちた水玉が私の手の上に落ちた。


「一緒にね、またここから一緒にはじめよう。二人で気持ちを寄せ合って、助け合って、一緒に生きていこう。」


 そういって圭司のことを抱きしめた。圭司は何度も頷いている。私は圭司をさらに強く抱きしめた。


 ――――――――――――――――


【作者より】


 今回の内容は、様々な事例を参考にして、各種知見などに配慮しながら慎重に記載したものですが、あくまでフィクションであり、医師等による診察や医学的なアドバイスの代わりになるものではありません。個別の疾患に関しては必ず専門家へ相談していただくようにお願いいたします。

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