第067話●生きていてくれた

 未来なんて全く見えない暗闇に一人孤独に突き落とされ、どうやって過ごしているか、全く記憶にない時間が続く。あれからもう何日経ったのだろう。


 急に早緑美愛さみあんの音楽が聞こえ、早緑美愛さみあんのライブ映像が目の前で流れるようになった。そんな環境に身を置いているとライブツアーの頃の慌ただしかったけど楽しくて充実していた日々が自然と思い出される。そうだ、俺は孤独なんかではない。隣に大事な人がいるじゃないか。


 そんな当たり前のことを思い出すと未亜が俺に語りかけてくれている声が聞こえてくるようになった。未亜の語りかけに応えているとだんだん喪失感が薄れてくる。だけど、相変わらず自分の歩む道の先は暗闇の中だ。未来が見えない。


 そんな気分のまま、今日も何もする気が起きず、リビングのソファに座って、ただぼんやりしていると未亜からRINEが来た。


{これから太田さんと一緒にお客様を連れて行くよ。14時くらいには着くと思う。準備お願いします!]


「えっ!?」


 何が起きたのか判らないまま、なんとか身体を起こし、とりあえずお客様を迎えるためにルームウェアから外出着に着替える。


 ガチャ

「圭司ただいまー!」


 未亜が帰ってきた。リビングから玄関までなんとかたどり着く。


「先生、お邪魔します。突然ごめんね。」

「いえ。」

「遠慮しなくて大丈夫ですから、玄関に入って下さいね。」

「……お邪魔します……。」


 入ってきたその人の顔が見えた。


「えっ……。」


 俺はまるで頭を殴られたかのような強い衝撃を受けた。そして、こんな気持ちが口をついて出た。


「……甘巻さん……生きて……生きていてくれたのか……。」


 安堵の感情と過去の後悔、そして罪悪感が一気に吹き出してくる。全身の力が抜け、立っていられずそのまま崩れ落ちそうになる。


「圭司!」


 未亜が身体を支えてくれるが、力が入らない。甘巻さんも身をかがめてこちらに寄ってくる。


「高倉くん…………。」


 甘巻さんが号泣している。同じようにしゃがみ込んだ太田さんが甘巻さんの背中をなでているようだ。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 玄関でお互いに謝罪のループになってしまったところを太田さんから「どちらも悪くないですよ!」と一喝されてしまった……。なんとか立ち上がることができるようになり、俺たち四人はダイニングのテーブルに座る。


「……それにしてもなんで甘巻さんと二人が一緒に?」

「高倉くん、私、実は『主役』の作者なの。」

「えっ……。」

儘田ままだ海夢みゆはペンネームなんです。」

「そうか、なるほど、そうだったんだ……。」

「儘田さん、わざわざ今日事務所に来てくれて。それで本音で話をして、私たちは友達になりました!だからね、圭司にも会って欲しくて、今日は来てもらったんだ。」

「……ありがとう。」

「ちゃんと先生にも会ってもらった方がいいから。私からもお誘いしてね。」

「……迷惑掛けっぱなしで……。」

「前にも言ったでしょ。大崎は何があってもあなたのことを支えるの。だから気にしない。」

「ありがとうございます……。」


 そんな会話をしていると話は「あのあと」へと自然と誘導されていった。甘巻さんは「あのあと」のことを切々と語りはじめる。



 父が札幌へ単身赴任していたので夏休み中に家族で引っ越して、夏休み明けからそのまま札幌の中学に通い始めたんです。あの学校には父の単身赴任先は届けていなかったから追いかけてこられる心配もありませんでしたし。いざ学校へ行ってみると校舎に入る前から体調が悪くなってしまって、その日は学校には入れずにそのまま帰宅、新学期二日目には家から出ることすら出来なくて、学校に通えなくなってしまって。しかも父や兄と一緒の部屋にいるだけで吐き気やめまいがすごくなって、家から出るどころか父や兄がいるときは自分の部屋から出られなくなっちゃって……。父と兄のいない日中のうちにリビングへ行ってお風呂に入って、帰ってくる前に部屋に引きこもる、そんな生活の中で出会ったのがスマイル動画で見たVOCAL CHARACTERボカキャラ音楽だった。ボカキャラ音楽は本当にたくさんの曲があってね。部屋にいるときはずっと曲を聴き続けていたの。


 そんな生活を一週間くらい続けた頃、母が訪問診療をしてくれる女性のお医者さんを家に呼んでくれてね。お医者さんの診察でPTSDって判断されて、お医者さんの定期的な治療を受けながら臨床心理士さんの訪問カウンセリングを受けたんだけど、二人の女性がすごく私にあっていていい人だった。少しずつ気持ちが落ち着いて、本当なら中学の卒業式に出られたであろう頃には、父や兄とは話ができるようになった、でも、あいかわらず外に出るのはダメで。あいつらが追いかけてくるんじゃないかっていう恐怖心がどうしてもなくならなかった。


 そんな感じだったんで高校には普通に通えないからネットで通える通信課程のM高校に。VRを利用して、VTuberみたいなアバターで授業が受けられてね。その上、基本的に本名をほとんど使わなくていいからものすごい気楽だった。


 M高校ってボカキャラPの人とかもいてね。ボカキャラ音楽にすっかりはまっちゃって、私も作ってみたいって思うようになって。親にお願いをして、パソコンとソフトを買って、曲を作り始めたのが夏休みに入った頃。最初は全然再生が伸びなくてね。私って才能ないのかなってショックだったんだけど、たまたま有名な歌い手さんが歌ってくれたのがきっかけで、注目されるようになって、100万再生とかするくらいになったんだ。そのときに付けられた「ボカキャラのママだ」っていうコメントが面白くて、ママダPって名乗りはじめたの。ペンネームの儘田はそこから取ったんだ。


 完全に趣味でやっていたんだけど、ある日、ブラジリアの古宇田こうださんから連絡が来て、そうそう、早緑さんの担当プロデューサー。アイドルに曲を書いてもらえませんかって。それで書いたのが「主役」だった。あれはあのときのつらい気持ちを歌詞と曲にぶつけたんだ。その曲がまさか高倉くんとつないでくれるなんて思わなかったけど。


 ニュースを見て、あいつらが逮捕されて、そのあとの報道も見て、雨東先生が高倉くんだって気がついて。早緑さんみたいな素敵な方に早緑さんにとって大事な存在である高倉くんと一線を越えてしまっている私の曲を歌ってもらうわけにはいかない、早緑さんにお詫びしに行かないといけないって、それまで外に出るのがあんなに怖かったのにね。親を説得して、お医者さんにも確認をして、古宇田さんに連絡して、太田さんへお電話をしてアポまで取って。今日は過去のことで早緑さんからどんな罵倒を受けても仕方がないって思ってきたんだけど、まさか早緑さんから友達になろうなんていってもらえて、しかも高倉くんにあわせてもらえるなんて思わなかった。



「今日、早緑さんと太田さんとお食事させてもらって、たくさん話をさせてもらって、ここに連れてきてもらって、高倉くんが無事でいてくれることが判ってほっとしている。」

「俺も甘巻さんが無事でいてくれて安心した。あのときは守ってあげられなくて本当にごめん……。」

「わたしこそ……って、また謝罪のループになっちゃうね。」


 太田さんが俺と甘巻さんのことを交互に見据えて一言。


「儘田先生も雨東先生も二人とも被害者ですよ。どちらが悪い、どちらに責任がある、そんなことはありません。」


 甘巻さんは太田さんのことを見て大きく頷くと再びこちらを見て続ける。


「高倉くん、憶えてるかな?あのとき、このまま死んでしまいたいっていってた私に親へ話すように説得してくれたこと。」

「もちろん憶えてる。」

「高倉くんがあのとき自暴自棄になっていた私のことを説得してくれたおかげで、私はいまこうして生きているんだよ。だから、高倉くんが悪いなんてことは絶対にない。私は、私の命の恩人である高倉くんに感謝している。ありがとう。本当にありがとう……。」


 そういうと甘巻さんは頭を下げる。


「そんな……。」

「今日、早緑さんに友達になろうっていってもらえてすごく嬉しかった。だから私も高倉くんにいうね。高倉くん、私とまた友達になってくれないかな?」

「……もちろん、俺の方こそ……。」

「へへー、二人ともよかった!今度三人でご飯でも食べに行こうね!だからそのためにも二人もRINE交換しておくといいよ!」


 未亜に促されて、甘巻さんとRINEを交換する。


「どうにもならないことが判ったときについスマホを放り投げて壊しちゃったんだ。壊したスマホを見て親が一回解約しちゃってね。札幌へ行くときに改めて契約し直したんだけど、番号変わっちゃったし、壊しちゃったから高倉くんの番号も判らなくなっちゃって……。」

「俺の方も番号変えて機種変更したから……。」

「そうだったんだね。」


 そんな話をしている甘巻さんと俺のことを未亜と太田さんが温かく見守ってくれている。多分罪悪感はまだ無くならない。でも、未亜に手伝ってもらいながら少しずつ関係を取り戻していきたい、そう思った。


 ――――――――――――――――


【作者より】


 今回の内容は、様々な事例を参考にして、各種知見などに配慮しながら慎重に記載したものですが、あくまでフィクションであり、医師等による診察や医学的なアドバイスの代わりになるものではありません。個別の疾患に関しては必ず専門家へ相談していただくようにお願いいたします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る