第049話●○抱く違和感

 情報公開後、事務所で出してもらった仕出し弁当を食べてから二人で帰宅する。太田さんや事務所のスタッフはまだ仕事らしい。本当に頭が下がる。家に着いて、風呂に入ったあと、ソファーでファンの反応を確認する。


「ファンの反応は好感一色だね。」

「……本当だ。行きたかったライブに行けるかもしれないっていう声がすごい多いね。」

「最近の急な知名度アップを考えるとむしろ良かったのかもしれないな。」

「本当に良かった……。」


 未亜の眼から涙が落ちる。そっと頭をなでると胸に顔を埋めてくるのでしばらくなで続けた。


 翌日から未亜は、雑誌の取材、テレビ出演、配信番組のゲスト、レッスン、アルバム収録と引き続き怒濤の仕事が始まる。しっかりオフが取れたこともあって、かなりリフレッシュした様子なのが何より。生配信などでは今回の件が話題になっているようで、そのたびにそつなく回答ができている。気持ちが吹っ切れたのがよくわかる。


 俺の方は今週は完全にオフとしていて、『セントハイディアン王国の魔物と聖女』のストックを追加していくだけにしている。このところ話がどんどん書き進められていたので、ついに100話ものストックが溜まってしまった。半年以上は追加しなくても順次公開されていくだけのストックになるので、ほかの仕事が増えても一安心という所。


 そんなわけで家事については引き続き俺の方で負担する。早緑美愛のファンのためだと思うと全く苦にならないのが不思議だ。未亜とは話をして、下着類を収納するところまですべてやってしまうことにした。しまうのも割と労力がかかるからね。


 そんな忙しいスケジュールの中、水曜日にはライブブルーレイの会議があったとのこと。

 今回の早緑美愛ライブツアーは全会場の現地映像がそれぞれ別のブルーレイとして発売される。いままではライブ映像しかなかったのだが、今回のツアーでは初回生産限定ボックスが用意され、全会場のライブ映像に加え、限定ボックス特典として、舞台裏の映像と企画映像を収録したブルーレイが付くことになったそうだ。

 舞台裏はもちろん撮影が平行して進んでいる。それ以外の企画映像とやらがどんな企画なのかと思ったら「早緑美愛、温泉旅行に行く」というなんともいえない内容。誰が考えたのかと思ったらブラジリアミュージックエンタテインメントの古宇田こうだプロデューサーだそうで、未亜曰く「太田さんも含めてみんなで説得したんだけど曲げてくれなかったから諦めた」と。そんなわけで、未亜は9月の終わりに一泊二日の撮影旅行で箱根へ出かけることになった。俺も一緒にどうかと太田さんに誘われたのだが、部外者が付いていくのは良くない、と思ったのでお断りをしておいた。


 そんなこんなであっという間に時間は過ぎて、いよいよ名古屋公演の前日となる。名古屋への移動は大阪と同じで新幹線。本当は14時くらいの新幹線でも間に合うのだけど、現地に着いてから少しゆっくりしたくて12時発の新幹線にしてもらった。相変わらずグリーン車が割り当てられている。ホテルもアーリーチェックインをお願いしてある。


「太田さんって駅の中が好きなのかね?」

「なんで?」

「今回もホテルは駅ビルに入っているホテルだ。」

「本当だ。帰りが楽とかなんかあるのかも?」

「今度聞いてみるか。」


 そんな話をしながら家を出て、アプリで呼んだタクシーに乗り込む。東京駅に着くと前回と同じくハマッ子のソウルフードシウマイ弁当を買って乗り込むと出発1分前。そして予定時刻に新幹線が出発する。日本の鉄道はダイヤが正確で本当にすごいと思う。


 品川を出た新幹線は新横浜へ向かってひた走る。窓の外は鶴見川を渡るところか、そろそろ新横浜だななんて思っていたら岡里さんや飯出さんたちとRINEをしていた未亜が突然声を出す。


「えっ!?」

「どうした?」

「……これ。」


 太田さんからの一言だけのメッセージが表示されている。


{追加チケット完売]


「ええっ!?もう?」

「……まだ10分位だよね?」

「そうだな、15分にもなっていないと思う。」

「ええ、すごい……。」


 早緑美愛の人気がえらいことになっているのをあらためて実感させられた。太田さんの読みは相変わらずすごすぎる。


「そうだ、Twinsterに流しておいた方がいいよ。ありがとうとごめんなさいを。」

「そっか!流すね。」


 未亜がスマホを操作する。


「早速、1000RTか。」

「どんどん伸びるね。……あっ、朋夏は取れなかったみたい。」

「……本当だ。飯出さんも熱心だよなあ。新横浜しんよこ出たし、そろそろシウマイ弁当を食べよう。」

「そだね!」


 名古屋に着くとそのままホテルへチェックイン、今回の部屋もまたずいぶんと立派だ。荷物を置くと未亜はさっそくリハーサルへ向かう。よし、原稿の続きを頑張ろう!


 ●○●○●○●○●○●○●○


 リハから帰ってきて、シャワーを浴びて、圭司が出てくるまでベッドに座って少し待っている。


「未亜?寝てなかったのか。」

「うん。」

「どうしたの?」

「圭司と話をしたいなって思ってね。」

「何でも聴くよ。」

「最近ちょっと思ってるんだけど、私は圭司に大事にされすぎているな、って。」

「そうかな?」

「うん。」

「どんなところかな?」

「私は圭司のことが好き。だから圭司が望むことはうけいれるよ。」

「……もうやってもらっているよ。」

「あまり直接的なことをいうとあれかなって思ったけど、例えば、圭司と一緒に寝たり、一緒にお風呂に入ったりしたいっていう感情は私にもある。圭司もそういう感情はきっとあるんだと思うからそういう感情を出していいんだよ。そんなことで嫌いになったりしないから。」

「……うーん、そうだな……。えーと……いまはライブツアーに集中すべきじゃないかな……。あっ、もうこんな時間だぞ。もうそろそろ寝た方がいい。そういうことはまた今度考えよう。」

「……えっ……でも……判った……寝る……。」


 ベッドに入って、寝付けない頭はぐるぐると思考をはじめる。


 いま思えば、大学で出会って付き合い始めた頃は、好意がちょっと進んだ程度の「好き」に過ぎなかった。


 そのあと、圭司が雨東先生だと知ってからは、たぶん、あこがれの人がずっと近くにいて、しかも自分のファンだということに対する「喜び」に変わったんだと思う。


 それが交際宣言からはじまった忙しさの中で圭司が私にしてくれたことを体感して、初めて本当の「好き」という感情がこういうものなのだと知った。


 そして、いま、圭司のことを愛おしく大切にしたいという感情が生まれてきた。これがきっと「愛する」ことなのだろう。


 恋愛経験に乏しい私は、その違いもわからず、突き進んでいただけだと今となっては思う。


 もちろん、圭司の私に対する好意は疑うべくもない。愛する人がいて、その人に愛されていて、いまとても幸せなはず。


 だけど、そろそろ関係を一歩進めたいとストレートにアピールしてみてもはぐらかされてしまう状況、そして答えているようで微妙に答えをずらしている会話……。そうしたことが積み重なって、少しずつ少しずつ圭司に対する違和感が大きくなってきている。


 奥手?何かあるとすぐ抱きしめてなでてくれるのにそれはない。

 浮気?ほぼ毎日ずっと一緒にいるこの状況で絶対にない。

 嫌いになった?こんなにも私のことを考えてくれているのにそれもない。


 だからこそ判らない、この違和感はなんだろう。そんなことを思いながら私は夢の世界へ潜り込んだ……。

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