なつやすみ

すずみみりん

第1話 虫さされとキスマーク

やっと梅雨が明けて、ジメジメとした空気も減ってきた今日この頃。

カラリ。とまではまだいかないこの空気で、大教室での講義とか嫌になる。

心華このかからはメールで少し遅れると連絡があった。しゅんは席をとっておくと返事をしておく。

前の講義が終わり出てくる生徒たちの波を見つめていると、後ろから声をかけられた。

「よっ、久しぶり。」

心華の幼なじみの男、木崎柊真きざきとうまだ。正直好きではないやつ。口には出さないけれど、小さい頃から心華の隣にいて彼女の成長を見ていたなんて、嫉妬を覚えないわけがない。

時折態度に出ているようで、木崎も隼とは距離を置き、今ではあまり話すこともなくなったけれど。

「なぁ、渡川わたがわ。この前聞いたんだけど、心華と付き合ってたの?俺、全然気づかなかったよ。」

付き合ってるの。と言われ、ピクリとする。心華の方から、恥ずかしいからみんなにはもう少し内緒にしておきたいと言っていたのに。まぁ、どうせこいつに聞かれてどうしようもなくなり答えてしまったのだろう。

「隠してるわけじゃないけど、まだ言いたくないって。だから、もう少し黙っててくれないかな。」

木崎は申し訳ないという仕草を作る。

「分かってるって。」

講義室が空いたので、中に入る。すると、なぜか木崎が近くに寄ってくるではないか。

「なんで隣にくるの。」

何食わぬ顔で席に座ってくる。

「いいじゃんたまには。人数多すぎて他人と隣とか嫌なんだよね。」

お気楽な性格のくせに、細かい事を言ってくる。仕方ないので、心華の席ひとつ分をあけて座らせる。

しばらくして、心華が来た。

「渡川くん、席取りありがとー。って、柊真も一緒だったの?」

付き合っていることは内緒とはいえ、彼氏の自分が名字呼びでこいつは名前呼びか。相手が幼なじみとはいえ、嫉妬を覚える。

「ちょうど一緒になったから。隣に座らせてもらったんだ。」

お前が声をかけてきたんだろうが。隼は喉から出そうになる言葉を抑える。

「そんなんだ。って、あたし2人の間に座ればいいのかな。」

「うん」隼と柊真、2人の声が重なる。

「両隣が男で、暑苦しくてごめんね。」

隼の方からさりげなくフォローを入れておく。

「気にしないで。」

心華は隼の嫉妬に気づいていないようだ。

講義まで数分、心華と柊真は久しぶりに会ったためか、世間話に勤しんでいる。虫さされがひどいとか、どうのこうの…。

隼と心華は同じクラスとはいえ、隣の席で講義を受けることはあまりなかった。普段の心華は女友達と一緒にいることが多い。この授業だけはクラスメイトが取っていないから、隣の席に座っていたのに。

彼女が目の前で他の男と話してるって、結構つらい。

付き合っているのがバレたことといい、家に帰ったらちょっとだけお仕置きしよう。なんてことを、隼はこっそり考える。

さすがにさっきの木崎の話ぶりだと、同棲していることまでは知らなそうだな。知ったら卒倒するんじゃないか、と考えたら、思わず笑いそうになった。

1人で考えているうちにチャイムが鳴り講義が始まった。

しばらくして、講義を聞くのが飽きてきて少し横を向くと、まじめに前を向いて板書を書き写す彼女と、その隣で話が理解できていなそうだけどノートを必死に取る木崎の姿。

はぁ、とため息が出そうりなるのを抑えつつ、まじめな彼女の綺麗な顔の輪郭を視線でなぞってみたり。やっぱり好きだなと、感じなからこっそりと見つめる。

そうこうしているうちに、90分の講義が終わった。

「難しかったね、今日。」

「なんか、あそこの話がなぁ〜。」

そんなに一生懸命聞くほどでもない気はするけれど。

木崎と心華のやり取りが終わるのを待つ。

今日はこの講義で隼も心華も終わりなので、人目が少なくなってから一緒に帰ることになっている。

「じゃあ、また来週な。」

「またね。」

心華の返事の横で、隼は手だけ軽く振っておいた。

木崎とは学部が違うので、この講義以外で会うことはまずない。

でも、「また」と言ったから、来週も隣に来るつもりかもしれない。だるいなぁと思ってしまった。

心華はトートバッグにノートや筆記用具をしまい終え、声をかける。

「隼くん、お待たせ。帰ろっか。」

人気がいなくなったと分かってなのか、急に名前呼びされて、ドキッとした。人前では渡川くん、としか読んでくれないから。

梅雨の明けた空には、まだはっきりとしない入道雲。セミが少しだけ鳴き始めてきた。

「夜ご飯どうする?」

「なんかうちの家から食材届いてるみたいだから、それでなんか作るよ。俺、今日当番だし。」

「ありがとう。」

にっこり笑う彼女、少し辺りを見回して学内の人がいないか確認してから、こそりと言ってくる。

「隼くん、手、繋いでもいい?」

「どうぞ」と言って手を差しだす。

暑くない?としきりに確認してくるけれど、可愛い彼女と手を繋ぐのを嫌がる男なんていないだろう。と我ながら思う。

「そういえばさ、木崎に付き合ってるの言ったの?教室入る前に聞かれたよ。」

あ!という顔をする心華。

「ごめんなさい。柊真のお母さんが言ったみたいで。」

心華によると、お正月に心華の実家に行った時に木崎のお母さんにばったり会い、2人の関係は知られていた。そして先日、木崎のお母さんが何気なく言ってしまったらしい。あの時、木崎はサークルの合宿に行ってると聞いた気がする。

「柊真が焦って電話してきて、びっくりしたよ。」

本当、あいつのことだから、すごい勢いで電話してきそうだな。

「あ、でも、一緒に暮らしてることはバレてないみたいだから。」

安心して!というような顔を見せる心華。

「でも、もう木崎にバレたんだったら、もう他にも言っちゃってよくない?」

隼には隠す意味を感じられなくなってきていた。むしろ、もっとオープンにして、学内でも一緒にいる時間を増やしたいくらいだ。

「うーん…」

「なんか心配?」

「隼くんかっこいいから、隼くんファンから睨まれないかな。」

思わずポカンとしてしまう。

「そんなこと気にしてたの?」

「そんなこと、って言うけど〜。隼くんめっちゃモテるんだからねっ!」

「大丈夫だよ、俺は心華だけが好きだから。」

さわやかそうな表情を作ってみせる。

「俺だって、心華が可愛いから、他の男に取られないか心配。早く付き合ってるって言いふらしたいのに。」

心華の顔が真っ赤になる。繋いでいる手も心なしか、体温が上がったような気もする。

「私は並だから。」

気後れしたような顔になる心華。

何を言っているのか。木崎だってそうだし、クラスメイトだって心華のことを可愛いと思っているのに。本人は意外と鈍感なんだな。

「とりあえず、もう少しだけ待ってくれないかな。」

「わかった。」

可愛い彼女のお願いは断れない、男の性だよなぁとぼんやりと思う。



「隼くん〜、なんか背中も痒いんだけど、虫さされあるか見える?」

お風呂上がりに、手足にたくさんできた虫さされに薬を塗りながら心華が聞いてくる。

家では蚊取り線香や虫除けを使っているものの、夏場になって日に日に虫さされが増えている。手足だけでなく、服の下まで。

「なんでそんなに刺されるのかね。学校とか外で刺されてるんじゃない。あ、背中、ここ刺されてる。」

虫に刺されているところを、軽く指で押して教える。そして心華から虫さされの薬を受け取り、塗ってあげる。

「学校かバイト先かなぁ。とにかく痒い〜」

「手首とか足首につけるやつあったじゃん。あれ買えば?」

「そうだよねぇ。明日にでもドラッグストアで見てくる。」

「はい、薬塗り終わったよ。」

薬を心華に返そうとすると、急に心華が振り向いた。2人の顔が近づく形になり、不意に隼は心華の頬にキスしてみる。

不意打ちのキスに心華の顔が赤く染まる。

「隼くん、反則…。」

「心華が可愛くて」

にこりと笑ってみせる。心華の目が泳ぎ、キスされた頬を手で覆っている。

「もっとしてほしい?」

心華の顔がさらに赤くなる。普段一緒のベッドで寝たりお風呂にも入ったりしている割に、意外とこういうところがうぶで可愛い。

付き合う時の約束のひとつに、セックスはお互いが20歳になってからと2人で決めたものの、まだ遠そうだな。と隼は思った。




隼は講義がないコマの時はpc室にいることが多かった。pc室はクーラーが効いていて涼しいし、何より私語厳禁で静かなところがいい。気が向けばレポートを作成したり、家庭教師のアルバイト資料を作ったりも出来る。

大概の生徒は食堂に集うけれど、常に大人数で溢れていて隼にとっては居づらい場所だった。図書館も嫌いではないけれど、あそこも人が多い。

突っ伏して寝ていると、どこからともなく聞き覚えのある声で名前を呼ばれる。

「渡川」

顔を上げると木崎がいた。見みなかったフリをしてもう一度寝ようとしたら、さらに大きい声で話しかけられる。

「ちょ、無視すんなって」

「ここ、私語厳禁なんだけど。」

自分でも分かるくらいのだるい声が出ている。

「今は誰もいないから、少しくらいいいだろ。」

言われて頭を上げて、あたりを少し見回すと、たしかに他に人はいなかった。

「なに、なんか用でもある?」

とりあえず上体を起こす。木崎と向き合って話したくはないので、パソコンでレポート作成しているフリをする。

「こないだ心華と付き合ってるって話だけど。」

隼には改まって話すことはなかったけれど、木崎はお構いなしに続けて話す。

「俺が言うことじゃないんだろうけど、心華にとって渡川がはじめての彼氏だからさ。優しくしてやってほしいって、言いたくて。」

余計なお世話か。

「ふーん。」

あまりに軽い返事に、木崎が焦っている。

「ふーん、てお前…。心華、お前がモテて心配とか言ってたんだからな。」

「だから?俺だって心華がはじめての彼女だし。他の女の子になんて興味ないよ。」

木崎は隼の言うはじめての彼女。という言葉に驚いた顔をしている。嘘はついていない。整った顔立ちと小さい頃から平均よりは伸びていた身長のせいで、あれこれつまみ食いしてそうと中学の頃から言われてきた。でも、そういう目で見られるのが嫌で、女の子にチヤホヤされても付き合うことはしてこなかった。

「だいたい、木崎は心華と幼なじみだからって、そんなに面倒見なくてもよくない。」

「それは、昔からの幼なじみだし…。」

確信を突かれたようで、木崎は言葉に詰まる。木崎はきっとまだ、心華への自分の正直な感情に気付いていないのだろう。鈍感なやつでよかった。

まだ付き合って1年ちょっとくらいだし、大学生だけれど、隼の心華への気持ちはもう離せないものだから。

面倒くさい木崎の相手をした土産に、一つ喰らわせてから帰ろう。と、隼は卑しいことを思いつく。

「あ、木崎だけに言うけど。心華と俺、一緒に暮らしてるから。」

「はぁ!?」

思った通りの反応すぎて、逆に面白いとさえ思ってしまった。笑ってしまわないようにだけ気をつける。

その横で、木崎の顔は無駄に赤くなっている。何を考えているのやら。

話しながらパソコンの電源を落としていたので、席を離れる。

「木崎、俺と心華でヘンなこと想像しないでね。あと、付き合ってるのも一緒に暮らしてるのも、まだみんなには内緒だから。」

にこりと笑みを添えて。pc室を後にしながら、木崎が何か言っているのが聞こえたけれど、知らないフリをしておく。


19時から2時間の家庭教師のアルバイトを終えアパートに帰ると、ちょうど心華も帰ってきたところだった。

「おかえり」

隼と心華の声が重なり、続いてただいまを一緒に言う。帰りが重なった時は、そんなふうになっていた。

2人で軽い夜ごはんを準備して、それぞれにシャワーを浴びる。

今日は一緒に寝ようと約束していた。隼のベッドがセミダブルなので、2人で眠る時はお風呂上がりは隼の部屋でお互いの髪の毛にドライヤーをかけることが日課になっていた。

心華の髪の毛を整えて、隼が話し始める。

「あ、心華。1個謝ることできちゃったんだけど。」

「えーなにー?」

「今日木崎と会ってさ、心華と一緒に暮らしてること言っちゃった。」

わざと伝えたことは、もちろん言わない。

「うそ、本当に〜」

怒っていると言うより、両手で頬を覆いながら、驚きと焦りの表情を見せる心華。

「めっちゃ連絡きそう…」

言いながらスマホをチェックする心華。

「あれ、なんにも連絡来てないや。」

あれだけ釘を刺しておいたら、大丈夫だろう。

「あまりにしつこくてさ。」

嫌味ぽいが、しつこいのは嘘ではない。

「でも、まだみんなには内緒にしてとは言っておいたから、大丈夫じゃないかな。」

「そうかなぁ…。あ、明日の講義、柊真もくるやつだから、めっちゃ聞かれるかもしれないよ!ゆううつ~。」

あー、そうか。あの講義でまた会うのか。隼も憂鬱を感じてきた。

もう、この際だから木崎のことをもっといじめてやろうかと考えてしまう。我ながら、いつの間にこんなに悪い性格になったのかと、少し可笑しくなった。

「心華、虫さされの薬は?」

「持ってきた。背中見てくれる?」

手足につける虫除けも買ってつけてはみたものの、まだ効果が出ていないようで、心華の虫さされは中々消えていなかった。

背中など心華の手の届かないところに薬を塗ってあげてから、2人でベットに入る。心華は疲れていたのか、すぐに寝てしまった。

蛍光灯の豆球とうっすらと月明かりが入り込んで、心華がすやすやと眠る表情がよく見える。起こさないように、少しだけ髪を撫でる。今度は、起きない程度に頬に触れてみる。

結構ぐっすりと眠っている様子を確認して、隼は心華の唇に触れる。そして、自分の唇を重ねる。

少し顔を離して、寝ている心華を見つめる。

可愛いな。

初めて出会った時の心華を思い出す。初対面なのに、顔を赤らめて告白してきたな。なんであの時、その場でOKしたっけかな。

思い返しているうちに、心華への想いが溢れてくる。

木崎も悪いやつではない事は分かっているけれど、心華のそばにいるのは自分だけであってほしい。わがままかもしれないけれど、汚い嫉妬心だけれど、時折それを見せつけたくなる。

心華が少しだけ寝返りを打って、真っ直ぐ仰向けになる。綺麗な首筋に唇をつけ、吸い上げる。今は薄暗くて見えないけれど、きっと跡ができているだろう。

心華が先に気付くか、木崎が気付くか。

どちらも気づかないかもしれないけれど。

自分の馬鹿らしさに少し渇いた笑いをこぼして、隼はもう1度心華の髪を撫でてから目を閉じた。


朝起きて洗顔から戻る心華はぶつぶつと言いながらダイニングに戻ってきた。

「ねぇ隼くん、寝てる間にまた虫さされ増えてた!」

どこ?と聞くと、首筋を指す。心華はキスマークと虫さされを勘違いしているようで、着ていく服も首元が隠れていなかった。

心華は純粋だから、きっと友達に聞かれても虫さされで通すんだろうな。少し笑いたくなったのを我慢する。

「薬は塗った?」

「塗ったよ。本当、私ばっかり虫に刺されて不公平じゃない。」

「虫も俺のより、心華がおいしいって分かってるんだよ、きっと。」

隼だって他のどの女の子よりも、心華が可愛いと思っている。

「違うと思うけどなぁ…。」

心華は腑に落ちないようだったけれど、そういうことにしておいてもらう。


木崎も一緒の講義はとても愉快だった。

今日は隼と心華が一緒に講義室に入ったので、後から木崎が来る形になった。

昨日牽制したとはいえ、今日も隣の席に来れるその性格を見習いたいとさえ思った。

「ねぇ、見てよ柊真。虫さされ先週より増えたんだけど。めっちゃ痒い。」

ナチュラルに虫さされの話をしてしまう心華を、見ていないフリをしながら横目で見る。

「ほんと、よく刺されるよな。って…」

木崎が言葉に詰まる。視線の先は心華の首元。それは虫さされじゃないやつ。

虫さされとほとんど同じ赤色だけれど、木崎はひと目で気付いたようだった。

そんな反応に気づかずに、心華は

「今日なんて、首も刺されたんだよ。」

木崎の顔が赤らむ。目が泳いで、ふと隼と木崎の視線が合う。

おい、お前。と訴えかけるような視線に、隼は少しだけ口角を上げて笑って見せた。

ふざけんな。と言いたそうだったけれど、それだけを見て視線を外す。

心華は俺のだから。と、何度でも教えてやろう。

自分がこんなに意地悪かったかと思いながら、講義の始まるチャイムが流れ、隼は横からの視線を気にも留めずに前を向いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る