雨あそび・番外ーかえりみち
なゆた黎
帰り道
左側の窓際の席に座り、何を見るでもなくぼんやりと、流れる外の景色に視線を向けていた。
夏休み半ばの頃。真由子の通う小学校のブラスバンド部の定期演奏会が県の文化センターであって、それを聴きに行った帰りだった。同伴者は高校生の次兄。本当は母親と行くはずだったが、母親の通っているフラダンスサークルの練習と重なったので、どうせ暇を持て余しているはずと決めつけられた次兄が、供に命じられたのだった。
通路側に座る、半強制的にとはいうものの実際わりに暇を持て余していた供の
窓から視線を隣の将隆に移すと、その兄が飴玉をつまんでいた。
真由子が受け取って包みを開くと、中は水色のビー玉のような飴玉だった。大きく口を開けて飴玉を含むと、ソーダの味が広がった。夏休みの味だと真由子は思う。口の中でコロコロと転がしながら、片方の頬に寄せたら頬がぽこんとふくらんで、こぶとりばあさんと兄に笑われた。
窓の外はもう日も暮れて、街灯が道行く人々の足元を照らしていた。隣の車線を走る車のライトが流れるように通り過ぎていく。
真由子の乗っているバスの左側の車線を、別のバスが追い抜いていった。回送車のようで、バスの中の照明は消されていて薄暗い。追い抜いていった改装中のバスにはすぐ先の赤信号で追い付いて、そのバスと並ぶようにして停車した。
隣のバスに何気なく目をやった真由子は、密かに息を飲んだ。直後、不必要に入れてしまった肩の力を身じろぎで誤魔化し小さく息を吐き、隣に座る兄に小声でささやいた。
「将隆兄さん。今ね、私びっくりしちゃった」
「何が?」
将隆は視線をちらと真由子に落として聞き返す。
「うん。お隣に止まっているバスにね、透けた人が見えたのよ」
真由子は隣のバスを指さした。隣に止まるバスは回送なので、運転手以外に乗客は乗っていない。
「こっちのバスのお客さんが窓ガラスに映って見えて、ちょっとびっくりしちゃった。ホラ、あそこにその人が映ってて、そこに私と兄さんがいる」
「ふうん」
真由子の話を聞きながら、将隆は窓の外を見る。
真由子の言うように、こちらの乗客が窓に映って、ちょうど隣のバスに客が乗っているように見える。
しかし。
真由子は気づくだろか。
窓の外に目を向けながら、将隆は思った。
こちらに乗っている客よりも、窓ガラスに映る人数の方が多いということを。
「兄さん……」
真由子はいっそう小さな声で将隆を呼んで、そして将隆のシャツをつかんだ。
うつむき加減で通路側を見て、将隆に寄り添うようにつめてくる。
このバスは、なぜだか実際に乗っている人数以上の圧迫感があるように思う。
誰かが押した降車ボタンのピンポンという音が車内に響く。
気づいちゃったか、と思いながら、将隆はなんでもないように真由子に話しかける。
「お盆だから、帰るところだろ」
気にするなと、将隆は言って真由子の頭をポンとなでた。
誰が、とは言わない。真由子も聞かなかった。
「バスで帰るの?」
信号が青になり、隣のバスは左に曲がり、真由子の乗ったバスは真ん中車線を真っすぐ進んで路駐している車を通り過ぎた後、左の車線に入ってバス停に止まった。
いちばん前に座っていたOL風の女性がバスを降り、たっぷり10秒ばかり間を開けて扉が閉まって発車した。
「兄さん。それって、無賃乗車?」
「へ?」
兄のシャツをつかみながら、真由子は真剣な表情で問う。
「ご先祖さま、きっとお金持ってないわよ」
「……いいんじゃない?
場所は、とっているかもしれないと真由子は思った。なにせ、窓だけに映る乗客は、バスに乗っている人の隣に立って吊皮を握っていたり、座席に腰かけたりしているのだ。つい先ほどなどは、そのガラスにしか映らない人が、後から乗ってきた妊婦さんに席を譲っていたのを、窓ガラス越しに見ていたのだ。その時は、まだなんにも気づいていなかったけれど。
「サツマノカミ?」
「平家物語に出てくるんだよ。
「ふうん。そのサツマノカミさんは、これ聞いたらカンカンかもね」
そう言って真由子はふふっと笑った。
真由子たちが降りるバス停も、もうすぐだ。
「さあ。ご先祖も続々帰省中だ。俺たちも早く帰ろう。晩メシが待ってる」
言いながら、将隆はニッキ飴を口に放り込んだ。
おしまい。
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