[臆病者]の戦記――最も平和を尊び、最も陰湿で血まみれの手段を用いた者

牛盛空蔵

第1話・戦わないことの正しさ

 それは、葬儀の場だったか。

 オーリンの父は息子に言った。

「オーリン、戦いはむごいな」

「父上」

 どうしたのですか、と問おうとしたが、口を開ける空気ですらなかった。

「オーリン。この先、お前も貴族として戦う時が来るだろう。だがこれだけは忘れてはならん」

 父、ペデールは涙を拭いつつ続ける。

「戦はむごいものだ。この世で最も黒く汚れた営みだ。悲しみも絶望も、これに比べればちょっとした策略なんぞ児戯のようなものだ」

「児戯、ですか」

「そうだ。おれはこの戦いで親友を失った。永遠にだ」

「レクトール男爵を、ですか」

 いま、棺に納められている勇敢な戦士の名前である。

「お前も大きくなれば、会戦の意思決定に関与することもあるかもしれん。だがこれだけは覚えておけ」

 ペデールは袖を濡らしつつも、しっかりとした声色で言った。

「戦は黒く汚れた営みだ。より汚れていない他の選びうる手段があるのなら、それが一番いい。安易に戦いに訴える人間にはなるな」

「はい」

 彼は気圧されるようにうなずいた。

「ただ」

「ただ?」

「その黒く汚れた営みに、命を奪われることがないように、戦いと武芸のことはしっかり修行をしろ。お前が死んで悲しむ人間もいるんだ」

「汚れた営みに備えると?」

「その通り。この世界に生きる以上、どうしても避けられない。だが……可能な限り避けろ。避け続けろ。戦いよりはきれいな手段で、その日を遠ざけ続けろ」

 しばらくの沈黙の後、オーリンはうなずいた。

「分かりました父上。僕は必ず、父上の言うとおりにします」


 戦は最も黒く汚れた手段。より黒くない他の選びうる手段で回避しろ。

 ――つまりは策謀。計略。

 どんなに冷酷なやり方で人を謀っても、戦を避けられる限り、それはより良い選択に違いない!

 彼の信念は、いささかの曲解から始まったのだった。


 そして現在。

 処刑の催し物を盛況のうちに終えたオーリンは、撤収作業を終え、夜道を歩いていた。

 ちょろいものだ。彼は思う。

 濡れ衣を着せて形ばかりの裁判を経由し、処刑人により首と胴を切り離す。

 全ては戦を阻止するため。

 罪状自体は濡れ衣でも、その罪人が逆臣であったことはまぎれもない事実。

 逆臣を放置すれば、国は傾き、やがて血に飢えた他国が攻め込んでくる。

 だから彼は、謀略を用いてその逆臣を死に追い込んだ。繰り返すが、全ては戦への禍根を断ち切るため。その理由の下に策謀は正当化される。

 言い訳ではない。彼は心からそう信じていた。

 だから彼は、こうも思うのだ。

 報復という行為も、実に自分勝手なものだ。

「そこまでだオーリン!」

 物陰から、十数人の者が現れ、彼を取り囲む。

「よくも汚い策略で、バルバス様を葬ったな!」

 その通り、事実である。しかしこれを認めてしまっては、せっかくの術策が台無しになる。

「なんのことです?」

「ふん、あくまでも認めんか。しかし我々は分かっているぞ!」

「いや、あの……まず剣を納めましょう。何か勘違いをされていらっしゃるようです」

 ――この面々でなら、斬り合いで自分に勝てるという勘違いを。

 ――敵討ちが大義名分となり、ゴミのような逆臣を正当化するという勘違いを。

 ――そもそも、自分に責められるべき要素がひとかけらでもあるという勘違いを。

 通じるはずもない会話を行う。これほど無為な時間もない。

「何が勘違いなものか。こちらは確信を抱いている!」

「そんな馬鹿な……何を言っているのか」

「問答無用。いくぞ『臆病者』!」

 十数人の白刃が、月光を浴びて一斉にきらめく。


 血振りをする男。

 その周囲には、襲撃者たちが一人残らず倒れていた。

「やむをえなかった」

 オーリンは無傷でつぶやく。

「私だって殺したくはなかった。しかし誤解を解く機会すら与えてはもらえなかったんだ」

 もしかしたら、周囲に襲撃者たちの仲間がいるかもしれない。

 しかし状況から見て、そういった者を積極的に斬りに行くことはできない。

 だからあくまで、相手の誤解という体で「独り言」をするしかない。

「斬りたくはなかった」

 斬りたい。すぐに周囲を探してカスの仲間を斬りたい。

 だが我慢するしかない。斬りに行ったら、最終的に第一王女にまで迷惑がかかる。

 とはいえ、死体の山を放置するわけにもいかない。

 一通りブツブツ言い終わった彼は、警察軍の派出所へ届け出るべく歩き出した。


 この「処刑の催事」、オーリンと第一王女の共謀である。

 十日ほど前、第一王女の寝室に「曲者」が侵入した。

 第一王女はこれと戦闘し、剣を弾き飛ばした。曲者はこれに慌て、襲撃の失敗を悟り退散。

 その場に手巾……つまりハンカチーフを落として無様に撤退した。

 その剣は逆臣の家が御用達としている鍛冶師の作であり、手巾には逆臣の家の紋章が刺繍されていた。

 証拠を二つも「残した」ことで速やかに捜査及び審理は進み、オーリンと第一王女の計画通り、第一王女は「沈痛な面持ちで」死刑を宣告し即座に執行させた。

 こうして国の内憂は取り除かれ、オーリンは「ゆえなき逆恨み」の襲撃を撃退し不埒者を血の海に沈めた、ということになる。

 本当に理不尽な「逆恨み」ではあったが、彼自身は、ある程度の後始末まで区切りをつけたことに、決して不満ではなかった。

 ……いや、そうでもないようだ。彼は刃こぼれし脂のついた自分の剣を見て、うんざりといった表情をした。

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