部屋へと戻り、携帯電話を取って急いでクローゼットに隠れる。恐怖と緊張のためか、指が震えて液晶画面を上手く押せず反応もしない。

 そうこうしている内に、クローゼットが勢いよく開かれた。怯えて見上げれば、目の前には包丁を片手に持つ娘が立っていた。

 声にならない声で、愛娘に命乞いをする。

 しかし、聞き入れられずに、髪を掴まれて部屋の中央へと引きずり出された。すると今度は、倒れ込むわたしの頭を娘は容赦なく踏みつける。強烈な頭と顎の痛みに襲われ、ゆるしを乞いながら娘を見ると、包丁を天高く振り上げていた。



 ああ……このままわたしは、殺されるんだ。



 死期を悟ったその瞬間、新しい夫となるはずだった男の笑顔と声が、脳裏をよぎる。



 ──生きたい。



 最後の力を振り絞って華奢な足を跳ねのけると、わたしは腰に隠し持っていた包丁で、愛する娘の胸もとを深く突き刺した。

 われに返って包丁を慌てて引き抜く。勢いよく吹き出した血飛沫が、わたしの顔を濡らす。

 大きく目を見開いたまま、娘は後ろへ蹌踉よろけ、眠るように目を閉じてそのまま倒れた。


「ごめんね……ごめんね……」


 すぐに包丁を放して娘に近づき、血塗られた手で娘の綺麗な寝顔を撫でながら声をかけるが、目は閉じられたままで身体も動かない。

 愛犬のモモが駆け寄って来て娘の頬を舐め始めた。きっと、起こそうとしているに違いない。目を覚ましてくれと強く願ったが、愛する娘の目が開くことは、永遠にもうなかった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る