第9話 「対面」

 先ほどまで泣いていた神鳴カンナは、母親の腕を組んで在過を見ている。充血した瞳で見ている彼女は、一体僕のことをどう思っているのだろうか? 在過トウカはそんなことを考えながら、神鳴と母親を見つめる。


「在過君。なんで、神鳴のこと泣かせるの? 黙って聞いてたら、自分の意見ばかりで怒鳴ってるし。娘の願い叶えられないの?」


「聞いていたってどう言うことですか?」


「ママに相談するために、朝から電話繋げてたから」


「は? もしかして、このゲームの件で朝から電話してたの? いや、それよりも――ずっと電話繋がってたの?」


「そんなことは関係ないの。在過君は、これ所詮ゲームでしょ? なんで娘の為に捨ててあげないの?」


「――――お言葉ですけど、所詮ゲームなんですよね? だったら捨てなくでも良いじゃないですか。これは僕が高校から購入した、好きなゲームのシリーズなんですよ」


「だから、頭悪いなぁ。娘が嫌だと言っているの、泣いてるんだよ? 娘が捨てて欲しいと言うなら、捨ててあげるべきでしょ? 好きな人の為なら、そのくらい我慢しなくちゃ……ねぇ?」


「理解ができません。好きな人の為に我慢しないといけないなら、なぜ僕だけ我慢しないといけないのですか? 」


「おい。娘がどれだけ君の為に我慢してると思ってるの? 娘が家に帰ってこないから、家族の時間も失って、娘は友達と遊ぶ時間も削って君と一緒に居てあげているんだよ? それなのに、僕だけ我慢しないといけないとか、はぁぁ。我慢するのはお互い様でしょ」


 母親が介入してくること自体に、生理的な気持ち悪い感情が在過を包み込む。

 また、この人と口論しても解決しない。そんな気持ちにもなっていたが、在過自身も頭に血が上るほど怒りが溢れてしまい、お互いの言い合いが収まらない。



「ちょっと待ってください。確かに、娘さんは家に泊まっていますが強制した覚えはありません。言わせてもらうなら、これまでに何度か帰った方がいいとも言っているので、僕のせいにされても困ります。それに、お互い様と言うなら、貴方が言った発言は明らかに、娘だけ辛い思いをしているとしか聞こえないんですが?」


「娘の事を本気で好きなら、しっかり家に帰るように説得するべきでしょ? 君の説得力不足が娘を苦しめているの。娘は辛いって言ってるのよ? この前もメールで、友達とご飯行きたいけど、在君とご飯行かないといけない自由がなくて辛いって。 娘は、君のこと優先していたのに、たかがゲーム捨てるくらい小さい男だなぁ」


 神鳴の母親と話をするほど、在過の負の感情が溢れ出していく。

 

 いつ家族の時間を奪い、友達との時間も奪っていたのか? 確かに母親が言うように、数日前の仕事終わりに外食に行った。それは仕事のシフトが出た段階で、お互いの遅番帯が重なり約束していたことだ。


 しかし、このまま言い争いをしても売り言葉に買い言葉の状況が続くだけだろう。在過は、神鳴に視線を移して見るが、爪をいじって俯いている。わからない、まだ付き合って数ヶ月、神鳴と言う女性を知るほど、彼女は何を求めているのか、今の在過には――わからなかった。


「ねぇ神鳴? 僕は、君の家族との時間も友人との時間も奪ったつもりはない。ましてや、自由がないと母親にメールをしたようだけど、いつ自由を奪った?」


「…………」


「聞いているんだけど?」


「本当に理解できない男だなぁ! 泣かされた娘の精神状態で、話ができるわけないでしょ!」


「なるほど、わかりました」


 在過は、ベットに置いていたゲームソフトのパッケージからディスクを取り出し、テーブルの横にあるハサミを取る。


「神鳴? これが望みなんだよね? お母さんの言う通り、好きな人の為なら……希望通りにするべきだよね?」


 手に持ったハサミで、大好きなシリーズのゲームソフトのディスクをハサミで切る。相手を威嚇するかのように、勢いよく、何度も何度も細かく切断する。限定デザインディスクなども存在して、心のどこかで悔しさもあった。しかし、ここで手を止めるわけにはいかない。床に細かく切断されたディスクが散乱していく光景が、在過にとって苦痛の時間であった。


「お望み通り、復元不可能なまでにしました。これで満足ですか?」


「これだから子供は。娘に対して嫌味? 見せつけるような真似をするなんて、クズね」

「そうかもしれませんね。大切なコレクションを捨てろと言われたので、ささやかな嫌がらせです」


この瞬間、在過は神鳴の母親に対して、二度と好きになれない人と言うカテゴリーに分類された。だが、心の中では神鳴と付き合っていく以上、少なからず彼女の母親との接触は逃れられない。ならば、できるだけ簡潔に、なにも期待しないように接しよう。そう決意していた在過だったが、ずっと無言で過ごしていた神鳴が泣き出した。


「ごめんなぁさい!!!」

「神鳴!? あなたが謝る必要なんてないのよ」

「……」

「苦しかったね。ママと一緒にに帰りましょ」


 いきなりの出来事で唖然とする在過は、泣き崩れて頭を下げている神鳴を見て思う。

 

 彼女を助けてあげないといけない。

 彼女もまた、被害者なのかもしれない。泣いて謝る娘を抱きしめる母親の存在が、普通であれば優しいお母さんだろう。しかし、先ほどまでの口論からして母親は娘に依存している。また、娘も母親を信じ依存している。


 この時から、在過は彼女の為に尽くそう。そして、幸せにすると決意し、そのためには自分の意思を持ち、自分の意見で前に進めるように、母親と言う対象から彼女も自立してもらわなければいけない。


 だが、今はその時じゃない。まだ寄り添ってあげる必要があるだろう。

 在過は、精神病と診断された当初の妹を重ね合わせていた。少しの出来事で精神状態が乱れ、冷静な判断と行動ができなくなってしまう。また、突然の出来事ではあったが、いま……神鳴は自分の意志で謝っている。好きになった彼女を幸せにすることで、在過は、妹を救えなかった自分への贖罪の意味も含めていた。


「神鳴、ごめんね。不安だったんだよね? でもね、僕は君のこと好きだから一緒にいる。帰ってくると、家に神鳴が居てくれることが、すごく嬉しい。でも、自分の家には帰った方がいいと思うけどね。えぇっと、つまり。いまさらだけど、所詮ゲームだ! 君が側に居てくれるなら、こんなものは必要ない。これからも、僕と一緒にいてくれるかな?」


 在過は、右手の親指で神鳴の涙を拭い見つめる。

 

 すぐ、泣いてしまう彼女。

 すぐ、嫉妬してしまう彼女。

 すぐ、不安定になってしまう彼女。


 これからも、沢山喧嘩するかもしれない。でも、それが彼女を知る近道なのだと在過は思う。何を思い、何が辛く、何を求めているのか知りたい。そのためには、この母親の側に彼女がいることは危険だと、在過は神鳴の母親に対して再認識する。


「ちっ。ほら、神鳴? これ以上いると疲れるから、ママと一緒に帰ろうね」


「……神鳴、ここに居る。在君といる」


「ちょっと! また辛い目に遭うかも知れないのよ? 今日は一度帰りましょ。おじいちゃんも心配してるから、神鳴が帰ってこないって」


「ママ、今日用事あるって言ってたでしょ。帰っていいよ」


 神鳴は母親に告げると、驚愕の表情で娘を見つめ、憎しみの表情で在過を一瞬ほど見る。


 神鳴の母親、雷華ライカにとって不測の事態。本来であれば、娘は自分の言ったことを素直に聞いてくれる可愛い娘。しかし、あってはならない事が起きてしまっている。ここまで精神状態を追い詰められ、泣かされているにも関わらず、私の言う事を聞かないなんてありえない。やはり、彼と一緒に過ごすことは娘にとって悪影響でしかなく、私から娘を奪う悪魔なのだと雷華は怒りが溢れていた。


「そうね。二人が仲直りできたのなら、ママはお邪魔ね。喧嘩しちゃだめよ」

「うん。ママありがとう」

「そうだ、在過君ちょっといいかな?」

「はい?」

「どうしたのママ?」

「神鳴は、散らかった部屋を片付けてあげなさい。在過君は、神鳴の為にゲームを切ってくれたのよ」

「そうだね、わかった!」


 在過は、玄関前で手招きする母親に近づく。雷華は、そっと在過の耳元に近づくと、お願いごとをささやいた。


「娘を苦しめた君が、


「……」


 自分の家から出ていく神鳴の母親を見送り、いつもの日常に戻る。部屋に戻ると、在過が細かく切断したディスクの破片を片付けている神鳴が、笑顔で見上げてくる。


「ママと何の話だったの?」

「あ、あぁ。二人とも仲良くね、って」

「そうなんだ」


 在過は、先ほど耳元で囁かれた言葉を、彼女には言えなかった。


「あ、そういえば、なんで鍵が掛かってたのに入ってこれたんだ……?」


彼女の母親が訪ねて来た時、鍵を開けて入ってきた。もしかしたら、彼女の母親は何らかの手段で、この家の鍵を持っていることになる。血の気が引く感覚が襲っている時に、後ろから抱きしめてくる神鳴が言った。


「あ、それなら家の鍵を借りた時に、合鍵作ったよ。ママも何かあった時に助けてあげるから、欲しいって言われて、2本作った。あ、でもお金は大丈夫だよ、ママが払ってくれたから」


「……え? 合鍵を作ってたの? しかもお母さんの分まで?」


「そうだよ」


 それがどうかしたの、と言う無邪気の表情で笑う神鳴が在過を覗き込む。在過は、知らなかった事実に直面し、口の中の唾液を飲み込む音が鮮明に聞こえる。


「そう、なんだ。作る前に教えてほしかったな」


「どうして?」


「どうしてって、ここ一応僕の家だからね」


「知ってるよ? でも、何かあった時に助けてくれるなら、在君も助かるでしょ?」


「あ、ああ」


 おかしい、この子の考え方は僕には理解できない。さきほど、幸せにしてあげようと心で誓っていた在過だが、また振り出しに戻された感覚を味わってしまう。


 なぜ娘の彼氏宅である、自宅の合鍵を得ようとするのか?


 在過は、母親の愛を知らない。もしかしたら、これが普通であり自分にも両親がいて恋人ができたら、同じようなことになっていたのかもしれない。しかし、未成年者同士の恋愛であれば百歩譲って理解できたとしても、お互い25歳の成人である。いくら娘が心配だからと言って、ここまで加入してくる親と言うのは異常ではないのだろうか?


 考えがまとまらない在過は、一度考えることをやめる。これ以上、追及や批判的なことを神鳴に言っても解決はしないだろうし、在過本人も母親との口論で疲れしまっていた。


「お腹空いたね」

「そう、だな。スーパーでお昼と夕食の買い出し行ってくるよ」

「置いてっちゃヤダ!! 神鳴も行くっ!」

「わかった、わかった。とりあえず、着替えてからな」


 近場にあるスーパーまで買い出しに行くため、二人は着替えの準備を始める。


 ――彼女が泣いてしまうと、母親が来るだろう。

 ――彼女が不安要素を感じてしまうと、母親が来るだろう。

 ――彼女はこれからも、どんな出来事も母親に伝えてしまうだろう。

 ――気を付けなければ。

 

 在過は、無意識にそんなルールが心に植え付けられていた。

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