第2話 「夜勤と交際」修正

数日前に、神鳴カンナが体調不良で仕事を休んだことで普通なら、新人と応援社員を一緒の夜勤業務にシフトを組まれることがなかったが、人手不足もあり在過と神鳴の夜勤業務がはじまった。


在過は1階フロアを担当し、神鳴は2階フロアを担当することとなっている。

夕食の準備や、就寝介助を終えた後は1階担当スタッフが2階フロアに集まるルールになっている。


1階フロアは、比較的自立している入居者が多いため負担が少なく、早々に就寝介助を終えた在過は2階フロアにカバンを持って移動する。


遅番帯から日中の申し送りを確認後、遅番スタッフが帰宅して在過と神鳴は二人になった。安否確認の巡回が1時間に1回あるため、時間が来るまで洗濯物や各入居者の介護記録の業務をする。


業務と言っても、時間が掛かる仕事ではないため20分程度ですべて終えれば、ナースコールや巡回まで自由と言ってもいい。


「篠崎さん、体調大丈夫ですか?」

「うん。平気だよ」

「いきなり夜勤なので、2階フロアの巡回とか排泄も僕がやるんで、空いてる居室で寝てていいですよ? 朝方に起こしますから」

「そんなこと頼めないよ~。大丈夫だよ元気だから」


2階フロアは重度な入居者が多く、ナースコールで呼ばれるより、センサーマットを利用している人が多いため、運が悪いとかなり忙しいことを知っている在過は、正直なところ不安であった。


「あ、だったら……コレあげますよ。体温まるので飲んでください」

「え? あ、ありがとう。いいの?」

「いいですよ、もう一つあるので」

「いつも飲んでるの?」

「最近好きで、毎日買ってますね」


在過は、カバンからカップのオニオンスープを渡した。体調不良で休んでいた神鳴の為に初めて購入したスープだが、それを正直に言う事も恥ずかしく、毎日買っていると嘘をついた。


オニオンスープを受け取った神鳴は、心配してくれて、優しくしてくれる在過のことをより意識する。特別な事をされたわけでなかったが、心臓がドキドキして、近くにいるのでこっそりと在過の姿を眺めてしまう。


センサーマットが反応して、神鳴が入居者の居室に行こうとしても。


「あ、僕暇なんで行きますよ」

「ありがとう……」


そんな気遣いが、神鳴にとって今までにない嬉しい感情が溢れ出していた。

もっと一緒にいたい、一緒にゲームはしているけど……遊びに行きたい。そんな欲求が神鳴の中で革新的なほど、自分が在過に惹かれていることに気づきはじめていた。


いつの間にか過去の恋人が記憶の中から消え、在過の存在が大きくなっている。

一緒にいるとドキドキする心臓の鼓動が、苦しいほどに在過のことを考えてしまう。


もしかしたら好きになってるのかも。何気ない在過の気遣いが、神鳴の失恋した心を癒していた。


「いい匂いするんだもんなぁ」


介護職で仕事するうえで避けて通れない排泄介助。毎日のように入居者の親族も訪問されるため、最低限のエチケットとして臭いには気を使っていた。


この時の在過は、イチゴの香りがするボディークリームを愛用しており、他の職員からも密かに彼はいい香りがすると言われていた。


その内の一人として、数日前から神鳴は在過の香りを意識していた。

エレベータや非常口階段。廊下など歩いていると、イチゴの香りが鼻孔をくすぐり、在過が先ほどまで居たんだ、どこにいるんだろ?と無意識に探していた。


それが、先ほどのオニオンスープをもらい、巡回や排泄も先回りして終わったと報告されたことにより、神鳴は在過とと強く願った。


「ごめんね。神鳴、なにもやってないのに」


「あぁ、大丈夫ですよ。1階は自立の人が多くて楽ですし、暇もありますけど楽しいので」


「うぅ~。あっそうだ。お礼になるか分からないけど、チョコあげる」


「えぇ!いいんですか? 僕チョコと辛いものは大好物なんですよ」


在過は、満面の笑みで神鳴からチョコクッキーをもらう。


「早速食べちゃいますね。そうだ、何か飲みます? 体調悪い時は、温かい飲み物がいいですからね。コーヒー、紅茶、ゆず茶とか持ってますよ」


「そんなに持ち歩いてるの!」

「体調悪い時は、温かい飲み物がいいと思って持って来てたんですよ」

「え? わざわざ神鳴の為に……?」

「たまたまです。僕もよく風邪をひくので」


絶対に私の為に持って来てくれたんだ。

そう感じ取った神鳴は、照れている在過が可愛く見えていた。どうして私の為に優しくしてくれて、気を使わせない嘘まで言ってくれるのだろうか?


もしかしたら、在過は私のことを好きになってくれているのかもしれない。そんな感情が神鳴の心の中で強くなっていく。


しかし、この時の在過にとって神鳴は、面倒を見てあげないといけない妹だった。精神病と診断されている妹に対しての対応と、同年代の神鳴に対しても、在過にとって同じだった。


在過の優しさの意味を知らない神鳴は、在過が巡回でいない時を見つけては、自分の母親に嬉しい気持ちを随時メールをしていた。


「ねぇねぇ!どうしよう~すごく優しいの」

「近藤君だったよね。 夜勤中でしょ? なにがあったの」

「体調悪いからって、オニオンスープとゆず茶用意してくれてたの」

「良かったじゃない」

「でしょ! それなのに、たまたま持ってたとか言うんだもん。さすがに神鳴の為に持って来てくれたってわかるのにね」

「気をつけなさいよ? そうやって優しくしてくれる男は体目的のヤツが多いんだから」

「近藤君は絶対に違いますぅ~。それに、神鳴が担当のフロア業務も、ほぼ全部やってくれちゃうの」

「楽できていいじゃない。神鳴は、あの彼氏のせいで精神的に苦しい思いしたんだから、本当なら夜勤もやらないように頼んであげたのに」

「あ、戻ってきちゃったから、またあとでね」


1階フロアの起床準備から戻ってきた在過は、すこし機嫌がいい神鳴を見て「元気になってるのかな?」と安心していた。


「1階の起床バイタルチェック終わらせたので、あと少ししたら2階もやっちゃいますね」

「まだ5時だけど、ここの施設そんなに早いの? あと、他の仕事やってもらっちゃってるから、それくらいは自分でやるよ」

「いや、今日はたまたまです。2階のバイタルチェックって結構大変ですし、まだ朝食と投薬介助も控えてますからね。それは手伝えないので、それまで休んでてください」


体調不良者と夜勤者が神鳴でなかったとしても、在過は同じ対応をしていた。

しかし、在過も神鳴の存在が他の人より大きくなっている。


頼りないく、すぐに体調が悪くなってしまう神鳴をなんとかしてあげたい。そんな気持ちが少しずつ膨れていき、いつしか彼女のことばかりを考えるようになっていた。



神鳴も、過去の失恋が原因で幾度と体調不良を繰り返し、仕事を休む回数も多かったが、この夜勤で過ごしたことで過去の恋人の思い出は完全に消え、在過の存在に塗り替えられてしまい、気持ちが冷静ではいられなくなっている。


【どうしよう。やばい…やばいやばい。絶対私の為にしてくれてる】


心臓がドキドキしながら、早く残りの業務を終えて在過と話がしたい。無事に夜勤業務が終わり、休憩室で在過と会うまで冷静ではなかった。


「お疲れ様です」

「お疲れ様です~。体調悪いのに夜勤大変でしたね、ゆっくり休んでください」


バックを背負って帰ろうとする在過を、神鳴は呼び止めた。


「あの! よかったら今日のお礼がしたいので、ご飯いきませんか?」

「あぁ~」


在過の反応が、神鳴の心臓を握り潰される苦しさに襲われる。もしかしたら断られるのかもしれない。嫌なのかもしれないと言った不安が、呼吸を乱す。


「これから行くとこがあるので、夜でもいいですか?」

「大丈夫です!」

「ありがとうございます。そしたら、駅に18時頃でどうでしょう」

「わかりました。改札口付近で待ってます」

「でも、本当に大丈夫ですか? 病み上がりですし、夜勤明けなのに」

「オニオンスープで元気になっちゃいました」

「ははは、万能スープじゃないですよ。わかりました、時間までに辛くなったら、遠慮なく連絡ください」


在過は夜勤業務が終わった後に、神鳴との約束の時間まで妹の病院へ向かい様子を見に行った。この時に妹は精神状態が良くなく、点滴を抜いては暴れ、泣き叫ぶ姿の妹を抱きしめてあげることしかできなかった。


一人の時間を過ごしている在過は、苦しく助けてほしいとずっと願っていた。

誰でもいいから、助けてほしい。

誰でもいいから、聞いてほしい。

誰でもいいから、僕のいてほしい。


面会を終えて自宅に帰っていると、無意識に号泣していた。

何かを考えて泣いているわけじゃない。ただ、涙が溢れてしまう。

そして想う。


【僕では妹を助けてあげられない】


仕事の帰宅中や、夜一人でベットに横になっていると、なぜか涙が溢れ出してくる。


この時の在過は限界に近かった。


小学5年生の時に両親が蒸発し、数ヶ月後に妹が嘔吐を繰り返すようになってしまったことで医師から精神障害と診断される。


母方の両親に引き取られ育てて貰っていたが、金銭面的な余裕のない状態でもあったため、在過は自分の学費と妹の学費に病院代と言った費用を補うため、働いた。


正直なところ、苦しかったのだ。

好きな物を買ったり、友達との時間をバイトに費やしていたことで、ずっと一人だったことが苦しくて、寂しかった。


それでも、妹の存在が在過を助け、守らなければならない責任感もあり生きてきた。

だが、結果は何も変わらない。


どうして頑張っているのに妹は理解してくれないのか?

殺してほしい、死にたいと訴えてくるのか?

数十年間、妹から聞き続けていた在過は衰弱していた。


もう疲れた、もう嫌だ……だれか助けてくれと。


そんな在過の前に、彼女と出会った。


「ご飯誘ったの神鳴だったのに、奢ってもらってごめん」

「気にしなくてもいいですよ」


駅前の焼肉店で過ごし、お互い何も言ったわけではなかったが散歩をしていた。

夜22時ごろ、近くの公園のベンチに座った時だった。


「あの、もしよかったらなんだけど……私と、付き合ってください!」

「………」

「在君と、もっと一緒にいたいんです!」


それは、神鳴にとって在過と恋愛したい大きなイベントで。

それは、在過にとって一緒にいたい、と言ってくれる救われた瞬間だった。


しかし、在過は嬉しさと同時に家庭環境や妹の存在に不安を覚えていた。

僕と一緒になって不幸にさせるのではないか? 何かあれば妹を優先にしなければいけないし、僕には両親もいない。それを彼女に伝えたら、いなくなってしまうかもしれない。


でも……目の前にいる彼女の不安そうな表情や、この人一緒に過ごしてみたい、守ってあげたいと言う気持ち。


そしてなにより、嬉しくて毎日苦しかった気持ちがこの一瞬の時間……救われた。


「はい。よろしくおねがいします」


神鳴は目を閉じた。

心拍数が跳ね上がり、息苦しい感覚が襲う。


在過は、そっと腰に手をまわして引き寄せ口づけをした。
















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