#9 土日の予定と修の因子。
「ま、まさに
「ど、どうしよう。私、やっぱり火曜日まで有給申請しようかな?」
その日、河越八幡署は揺れていた。体外受精や受精卵の調整を行なっていない天然モノの男子、佐久間修が警察寮に入寮する。女性警察官しかいない署内は既にその話題でもちきり。寮住まいの者は今日この時を今か今かと待ち望み、そこに住んでいない者はその不運に唇を噛みしめ血涙を流す…、とまでは言わないが寮住まいの者を羨んだのはまぎれもない事実である。
「ねえ、火曜まで泊めてよぉ〜」
「え〜」
そんなやりとりが寮住まいとそうでない者との間にかわされる。特に土日の二日間、研修もなく警察署内でもない場所で一つ屋根の下で過ごせるのだ。極端な話、修を目にするまで物心ついた時から男性を肉眼で見た事がない者もいたくらいだ。現実と想像…、いや妄想が相まって婦警達の期待は膨らむばかり、遅く来た思春期といった具合である。
一方、埼玉県警の上層部もまた歓喜に包まれた。予想外の佐久間修の滞在延長、今度は警察署内から寮へ寝泊りの場を移すと言う。
先日のカレーライスのように彼の話題はマスコミをはじめとして広く喧伝される。その時の人とも言うべき修が警察署内に滞在していた事は彼の河越八幡警察署への信頼を示している。ひいては県警さらには警察全体への信頼につながり、イメージアップにも波及する。
それが本人の研修期間の延長と警察署内の催し事で警察署から出る必要に迫られたが、なんと今度は警察寮に入ると言う。修の警察への信頼は高いどころではない絶大、いや絶対的なものだと内外に示す。県警上層部は《(してやったり》》とばかりに喜ぶ。と言うのも『全国都道府県警察イメージ調査』というランキングで埼玉県警は急上昇、最新の調査では好評ぶっちぎりの一位を獲得していた。
「彼を絶対に逃がすなよ」
トップはそう発言したと言う。その結果、
そんな上層部や、警察以外に修となんとか接触したい各所の思惑をよそに河越八幡警察署内の時間は過ぎる。修や警護を担当する六人の刑事達、そして龍崎署長をはじめとして多くの署員達の日常がそこにあった。
□
「佐久間君、土日はどうするの?」
「うーん、特に決めてなくて…」
警察署内の食堂で昼食を食べながら僕は崎田さんの質問に応じた。今日の研修の教官は一山さんではなく崎田さん、一山さんは明日から署内で開かれる合同稽古の対応の為に今日は教官役を外れている。
「明日明後日がフリーなら馴染みのバイク屋にでも連れてってやるんだが…」
「仕事って融通効かねえからなァ…」
やれやれといった感じで会話に加わったのは多賀山さんと大信田さん、いつものようにサンドイッチとコーヒーだ。
「警察寮だ、万が一は無いと思うが…警護は考えておかんと…」
こちらはさっぱりとした山菜うどんにネギを大盛りで入れている浦安さん。今日は教官を崎田さんが務める為、警護に専念しているのが浦安さんだけになってしまう。その為、多賀山さんと大信田さんが加わっている。
うーん、確か今回の合同稽古は河越八幡署員の人はほとんど全員参加って言ってたもんなあ…、休みの人でも自主参加の形で…。そうなると寮にも人はほとんどいないだろうし。
「お邪魔にならなければ署内に入れていただく事は可能ですかねえ…。警備の面からも警察署内ほど安全な場所ってなかなか無いでしょうし…」
ざわっ!!周りの席が色めき立つ。
「なになに!?佐久間君、土曜日来るの?」
「マジで!少しやる気出たかも!」
「アタシ、寮から一歩も出ない為にどうしようか考えてたんだけど…」
「佐久間君来るなら仮病使うのやめとこうかなあ」
よくは分からないけど、署員の皆さんから敬遠されている訳ではなさそうで安心する。
「うん…、なら昼飯を食べ終わったら署長に話しに行ってみよう」
浦安さんがそう言うと周りが一気に盛り上がった。ちなみに僕の土日の署内立ち入りは問題無く許可が出た。
「やったね!じゃあ今日は佐久間君の入寮祝いをより派手にやろうよ!」
「「「さんせー!!」」」
何やら『明日明後日が面倒くさいんだよねー』とため息がもれていた雰囲気が軽くなったような気がする。僕で役に立つ事があるなら…、なんとなく嬉しい気分になった金曜日ね午後だった。
□
一方、その頃…。
「優秀な因子…?」
「はい。詳細はより精密に調べる必要はありますが」
厚生労働省直轄の機関のとある一室、一人の男性の検査結果を見て話す者達がいた。一人は起立した白衣を来た研究者風の女性。もう一人は席に座り机に広げた報告署に目を通すスーツ姿の女性。彼女は一通り報告書の内容に目を通すとゆっくりと口を開いた。
「今の時点で判明している事は…?」
「ほとんどの女性と相性が良く男性出生率が上昇する傾向があります。また人工受精をする場合にはその確率が激しく上下する可能性があります」
「なるほど、触れ幅が大きいんだ…。上手くプラスに触れてくれれば…。でも、なんで今頃分かったの?」
「はい、彼が最初に受けた検査ではこの事が分からなかった…としか回答がありません」
「見落とし…だね」
「おそらくは…」
報告を受けた女性は、ふぅ〜と長い息をついた。
「まあ良いや。何十年も経って高齢になってから判明した訳じゃないから。担当者の失態としては扱わない、不問にしとこう」
「分かりました、では更に詳細を調べさせます」
「それで良いよ。よろしくね」
「はい、それでは失礼いたします」
そう言って白衣を来た女性は部屋を退出した。一人きりになった部屋でスーツ姿の女性は両肘を机に置き、両手の平を組む。自然と体勢が前傾し、机にやや体重を預ける形になる。
「ふうん…、佐久間修か…。最近よく報道されている子か…。良いよ良いよ、男性出生率の高さ。効率が良い…大好きだよ」
組んだ両手の親指同士を擦り合わせるようにしてくるくる回しながら何事かを考え始める女性、その瞳はこの室内の物ではなくその内側…彼女の中に思い描いている事だけを映すかのように部屋の風景を無機質に反射させるだけであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます