第3話
外はまだまだ明るい。窓から差す陽光は青いままで、オレンジになるにはあと何時間もかかる。冬の夕方五時はなんだか切なくて、でもそれこそが冬の良さで、だけど私は夏の方が好きだ。エアコンはなく、お尻が痛くならないために敷かれたカーペットがうっとうしく感じた。私は一旦立ち上がり、鞄から水筒を出して水分補給する。中身はお茶ではなく、ただの水だ。体育の授業の時に飲み干してしまったので、運動場の東側に設置されたウォータークーラーで汲んだ。学校の水は大しておいしくないけど、飲めば生き返る。砂漠のオアシスみたいだ。
「当番さん、立ってるついでにそこの窓開けてもらえる。ちょっと換気したらすぐ閉めて。」
私は言われたとおりに窓を開けた。
運動場に面しているそれは案外防音効果があるみたいで、開けたとたんに野球部のかけ声が聞こえてくる。バットで白球を打つ音もはっきり分かる。カーン、と気持ちいい音だ。
運動場のすぐ右側にはテニスコートがあって、あの子の姿が見えた。何の練習なのかはわからないけど、友達が緩く投げたボールを相手のいない反対側のコートに向けて打っている。今年あの子と友達になった彼女は、五月にバド部からテニス部に転部した。たぶん、それは友達だから。友達ができたら、部活だって変えちゃうんだ。私は運動に自信がないってだけで、せっかくあの子と仲良くなれた去年の春、天文部に入った。あの時私もテニス部にしとけばよかったんだ。今はあのふたりはいつでも一緒にいて、私は彼女に取って代わられた。私は一人になった。
「何見てるの。」
気が付いたら司書さんも立ち上がり、私のすぐ後ろに来ていた。
「あそこでずっとボール打ってる子」指をさしながら言った。「私の友達です。」
「ふうん。」
司書さんは一拍あけてもうひとつ付け加えた。
「ボール出しの子と打ってる子、あのふたり仲良さげで、楽しそうね。」
うん、そう。二人は仲が良くて、お似合い。私とあの子だと、あの子ばかりが明るくて私はいつもあの子のトークを聞いて相槌をうつだけ。私じゃなくて彼女なら、お互いたくさん喋っていつも笑ってて、あの子は彼女と一緒にいる方が心地いいんだ。
「私の友達だったんです。」
「そう。」
私には二人が輝いて見えた。
あの子はまっすぐ相手側のコートを見つめ、自分の位置の対角線上を狙っている。彼女がふわっと投げる黄色い球はあの子のラケットの真ん中に吸い込まれ、そして大きくバウンドする。良い球が打てたのか、ときどき二人は顔を見合わせて笑う。微笑む。でもすぐに表情は元に戻って、また同じことを始める。
二人が立つポジションには二人だけしかいなくて、他のテニス部員でさえ無関係に見える。男子に負けない力強い球は、きっとボール出しが彼女だから打てるんだ。
「今日はありがとうね。もう図書室を閉める時間だから、荷物片付けてね。」
「あ、はい。」
私はすっかり周りが見えなくなっていたことに気付いた。カッターで切ったテープの端切れは司書さんがまとめてゴミ箱に捨ててくれている。私は自分の荷物さえ片付ければ、もうする事はなさそうだ。私は一旦カウンターに出て、単語帳とペンポーチをしまった。一応スマホの通知を確認するが、メッセージは一件も来ていない。
「当番さん。」右から呼び掛けられた。
「はい」
「お疲れ様。」
司書さんは私の右手を取り、何かを掌に載せた。
それはチョコチップクッキーだった。みんなが知っているような有名なものではなく、初めて見るメーカーだ。包装は至って地味。全体は透明で何も書かれておらず、縁のギザギザのところだけ白になっている。お徳用のものだろうか。勝手な想像だけど、スーパーのお菓子コーナーにあるやつの中で一番目立つし、しかも一番安いやつだと思う。
カカオパウダーが練り込まれていて生地自体が茶色だ。その中にひときわ色の濃いチョコが入っている。パッと見る感じ、チョコは五つ、六つくらいだ。サイズの割には多い。
「あ、ありがとう、ございます……」
「ありがとう」は聞こえたと思うけど「ございます」は聞こえなかったかもしれない。お礼のひと言くらい、大きな声で言えるようになりたい。
そそくさと司書さんは出口に向かっていった。電気消すよ、と言われると自分も後に続く。図書室専用に用意されているスリッパからローファーに履き替えた。毎日一人使っているせいで、革はもうすっかり傷んでいる。司書さんは何も言わずに職員室の方へと歩いていった。
「あの!明日からも、ここに、来ていいですか……?」
「いつでもおいで。」にっこりと笑った。
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