第8話 結婚を迫られてみる

金輪際、関わりたくなかったのは、あの座敷童の方であって、俺のことではなかった。


そりゃそうだ。


俺は割とイケメンだ。別に不満はないはずだ。


だが、公式初デートで、メガネを取って出現した宇津木さんに、俺は目を剥いた。


座敷童に似ている……じゃなくて、宇津木さん、美人。


「美人に決まってるでしょう? 今まで何見てたんですか?」


俺もさすがに首を傾げた。


俺、今まで何を見てたんだろう。


「……メガネかな?」


いや、なんとなく美人だと感じていたんだと思う。


「クソ鈍感な」


「いや、あの、宇津木さんの美貌ではなく、中身に惚れたんです、俺は」


ツンとすると、細くて高い鼻と上品な口元が目につく。

こっちを向くと、目元の美しさに気がついた。

パーツ一つ一つを目で追うと、宇津木さんが頬を染めた。


ピンクの頬。


反則である。

あざとすぎる。


なんか感じは悪くないとか、まあいいんじゃない?とか、とにかく悪感情にならなかった理由は、これか……


美人、恐るべし。ナスを打ちのめすとは……




なんでメガネなんか掛けていたのかと言えば、


「目立ち過ぎるから」


と、おっしゃる。


まあ、どうでもいいけどね。


妙なご縁かもしれないけど、俺は三十歳をめでたく彼女付きで迎え、そして結婚になだれ込むつもりだった。


他の誰にも渡さないぜ。


うん。今では、本気でそう思っている。

仕方ない。認めよう。宇津木さん好きだ。


「蓮って、言うんですけど」


つまり、名前呼びしろと言いたいんだな。よろしい。ちょっと交換条件があるけどな。


「仁って呼んでくれる?」


俺は、ニンマリした。そして、宇津木さんのあごを指でつついた。




その後、職場のビルの一階のロビーで、三宅に会った時、俺はいかにも当たり前みたいな調子で、結婚すると伝えた。


「もう、そんな歳だしな。そろそろ考えなきゃと思ってさ」


なんでもなさげに、俺は言い切った。


「へえ……」


三宅は感嘆したように、俺を見つめた。


「すげぇな、お前。あんな会話でお前が嫌われないってのが、不思議だったけど、結婚にまで持ち込むだなんて」


それは宇津木さん、いや蓮ちゃんの返事を知らないからだ。俺より酷い。


「それに俺がいくら言っても、責任負うのが大嫌い、出世には興味がないって言い切ってたのに、随分な転身ぶりだな? 覚悟はいいんだな?」


確かに結婚は責任重大かも。

でも、人口の何割か、かなりの人数がやってることだ。

そこまでの覚悟はいらねーだろ。

出世は関係ないし。

まあ、子どもでも出来たら出費も多くなるだろうから、仕事も頑張らなくちゃいけなくなるかも知れないが。今みたいな手抜きはダメかもな。


「将来は社長か。すげーな、真壁」


は?


社長?


「社長?」


俺は三宅のセリフをそのまま繰り返した。三宅は意味ありげにうなずいた。


「そう。社長」


三宅は、吹き抜けのビルのエントランスの壁に取り付けられている、FKビルの入居企業一覧を指した。


「最上階」


スチール製のネームプレートが入っていた。結構な一流企業ばかりだ。

まあ、俺の会社もその中に含まれちゃいるが。


最上階は、ローマ字で載っていた。

読みづらい。


UTSUGI Corporation


ウツギ コーポレーション


うつぎ 株式会社……?


宇津木?



「宇津木さん?」


三宅がまじめくさってうなずいた。


「オーナー社長の令嬢だが」


「令嬢?」


俺の大声は吹き抜けのエントランス中に響き渡った。

三宅があわてて俺の口を塞いで、外へ連れ出した。


「知らなかったのかよ?」


あまりのショックに俺はコクコクと首を上下に振るしかなかった。


「知ってんじゃなかったのかよ。大物喰いに行くなあって思ってたけど」


今度は左右に首を振った。

知らなかった。

まったく知らなかった。


三宅がちょっと面白そうに笑った。


「え? 結婚するって? 逆玉もいいとこだな」


俺は本気で心臓が喉元から飛び出そうだった。


そんなつもりじゃなかった。

そこらで出会った、ちょっとばかり美人だけどおそろしく口の悪い事務員と、あの田舎の家の縁側みたいに、目立たないけど平凡な幸せを紡ぐつもりだったのだ。


「むっちゃ目立ってましたけど?」


何言ってるんだと、三宅が言った。


「え?」


「だって、あの宇津木さんを、昼食デートに持ち込んだ男がいるって、噂になってたぞ?」


「え!」


そんなつもりじゃ……と言いかけたが、とりあえず三宅の話を聞くことにした。


「公園でも話しこんでいたし。まあ、お前は見た目だけはいいからな。背も高いしな」


「宇津木さん、そんなこと考えてないと思うけど」


いや、わからん。なんで結婚を了承してくれたんだろう。


「まー、がんばれよ? 一人娘だしな」


「ええっ?」




俺はそのあと三日間、宇津木さんに連絡をしなかった。ショックのあまり。



◇◇◇◇



三日目の晩、俺のつましいワンルームに襲撃者が出現した。


座敷童ではなかった。


座敷童の従姉妹の方だった。


やること同じやん。


「宇津木さん……」


考えてみれば、宇津木さんのマンションは夜中なんでよく見えなかったが、エントランスがゴージャスだったような?

場所から言っても、結構なお値段がするはずだ。

実は中には入ってないので、どんな部屋だかまるで知らないが、もし、入っていたら(多分、ただの事務員じゃないって事情を察して)結婚を申し込むだなんて大胆な真似はやらなかったと思う。


「どう言うつもりなの?」


宇津木さんが本気で怒っていた。

目がつり上がっていた。

いつもの冷笑ではなかった。


「あの……宇津木株式会社のオーナー社長のご令嬢だそうで……」


俺はすっかりヘタレて言った。


宇津木さんは、腕組みをしたままうなずいた。


「それがどうした?」


「だって僕、そんな大それたつもりじゃなくて……」


正座して宇津木さんを見上げると、手が伸びてきた。


「コラ、テメー」


宇津木さんが俺の首元をネクタイとワイシャツごと掴み上げた。


「誰が僕だ。普段は、いっつもエラソーに策略ばっかり練ってるくせに」


「だって、身分不相応なんだもん」


「何、しおらしいこと言ってる。どうすんだ、この落とし前?」


蓮ちゃん、コワイ。


さすがは、あの座敷童の従姉妹だけある。


「落とし前て、僕、まだ、そこまで何もしてませんけど……」


何もしてなかったら、徹底的にすればいいそうで、そんな……男は意外に繊細で、僕、そんなに自由自在なモノ持ってませんと抗議したかったが、襲い掛かられるとは夢にも思っていませんでした。僕は無実です。

それから、宇津木さんはその他にナイスバディでした。……本当によかったです。



その二週間後、決死の覚悟で、ボーナス全額をはたいたスーツでお父上のところにあいさつに行きました。


キチンと正座して、顔を見つめ、土下座してお願いしましたともさ。


「お嬢様との結婚をお許しいただきたく……」


てめーんちの娘が、俺のワンルームに居座って出てかないから、こんなことを言う羽目に。



FKビルは上から下まで、逆玉男の噂で満ち満ちていた。


俺は朝から同伴出勤を強いられ、まさか社長の娘を邪険に扱う訳にもいかず、昼飯も一緒に食べ、帰りも……


「ねえ、どうして俺ン家に来るわけ?」


「生半可なことじゃ、お父ちゃん説得できないからよ」


あの田舎から出てきて、一代で財を成した傑物は頑固者かつ娘を溺愛しているそうで、既成事実をしっかりと作らないと説得できないそうである。


「しっかりと……って……」


既成事実って、俺が主犯なの?違うよね、蓮ちゃんが主犯だよね?


「あの、俺、そんなハードルの高い嫁……」


要らないんですけど、と言いかけて、これを言うと、激怒する蓮ちゃん&蓮ちゃんパパに、社会的に抹殺されることに気付いた。

つまり、逃げ場はない。



こんなことになるとは、想像したこともなかった。


社長は小柄でなんとも言えない目つきの男だった。そして娘の結婚に賛成も反対もないらしかった。


「ホホホ。どんなに先読みしたところで、先のことなんか、本当はわからない。どうしようもないのよ。主人はまだ若いから、孫の世代まで、猶予があると思ってるの。それに今時の若い人の結婚にケチなんかつけられないわ」


お義母様が出てきて、手ずからお茶を出してくださり、さらにホホホと笑ってギロリと俺を見て、こう言った。


「がんばってね」


「私がいるわよ。まあ、がんばってね」


蓮ちゃんも言った。

だけど、まあって、どう言う意味なの?蓮ちゃん。

どうせ、社長の代わりなんか無理だろうとか思ってない? 俺のこと、なめてるでしょう?




真壁仁、三十歳。


人生の正念場であるとともに、今までチャランポランにサラリーマンをやってきたツケを払う時がきた。


すでにこれまで勤めてきた会社には退職願を出してきた。出さざるを得なかった。宇津木株式会社とライバル関係になる部門があるからだ。


どう考えても、あの座敷童より、こっちの娘の方がタチが悪いんじゃないだろうか……



ええ、もう冗談でもなんでもなく。


蓮ちゃんは、どうせ無理でしょみたいな顔してるけど、違うからね。君だって、俺のこと、知らないんだ。



人間、自分のことはわかってる。


誰にも言わないけど、どっかしらんで自分のことは測ってる。


なんとかなるさ。何とかする。社長でも何でもやってやる。


そう。結婚したら、本気出す。


(蓮ちゃん、見てて)


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不本意ながら、結婚することになりまして buchi @buchi_07

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