第17話 大輪に乗せて
「――やっぱり早めに来ておいて正解だったね」
僕と綾夏は、夏祭り会場の奥に設けられた観覧スペースにやって来た。
ここにはロープが張ってあって、その先は事前予約をした有料の場所になっている。
でもその手前までは誰でも来ることができるから、こうして早い者勝ちのスペースとなっているのだ。
「花火はこの先の砂浜の方向から打ち上がるらしいから、ここからならしっかり見えそうだね」
「やったぁ! こんなに近くで見れるなんて贅沢だね。いつもは遠くからだし、音しか聞こえなくてさ……」
「じゃあ、花火大会の会場に来るのも……」
「うん、初めて」
綾夏は噛みしめるようにそう言った。
「僕も現地は久しぶりだけど、すごい迫力あるんだよ! 音もすっごく大きくて」
「そうなの? なんか鼓膜が破れちゃいそうだね」
「あはは。もしかしたらあるかもね」
一発一発の音の響きはもちろんすごく大きいけど、フィナーレになればそれが次から次へと打ちあがるから、耳の休まるタイミングがなくなってしまうのだ。
それが終わったに、どこか音が遠く感じてしまったことを思い出す。
「ねぇ、蓮くん。花火はいつから始まるの?」
待ちきれんとばかりにそわそわと足踏みをしながら尋ねてくる。
「えっとね……八時半から打ち上げ開始で、もう八時半になるから、そろそろ始まると思うよ」
僕の腕時計も八時半を示しているし、周りの賑わいもさっきに増して大きくなっているから、そのことからも開始が迫ってきていることが分かる。
でも、それはつまり混雑度合いがさらに増していくということでもある。
数分前までは僕と綾夏の距離は一人分くらい開けても余裕があったのにもかかわらず、今では後ろからの詰めが激しいせいか、ほとんど密着状態になってしまっている。
「あ、綾夏……きつくない?」
身体ごと振り向くことはもうできず、首だけを横に動かしてみる。
「だ、大丈夫……ではないかな。結構ぎゅうぎゅうな感じ」
すると、右腕にするりと何かが絡みついた――綾夏の腕だった。
「ちょ、ちょっと綾夏、何してるの?」
「多分このままだと後ろから割り込んでこられちゃうかもしれないから、こうやっていれば離れ離れになることはないでしょ?」
「そ、それはそうだけど……」
綾夏の腕は想像よりもずっと細かった。
普段からあんなに元気で活発だけど、浴衣越しからでも女の子特有の繊細さが伝わってくる。
「それに、超絶美少女とこんなにくっつくことができて嬉しいでしょ?」
「そ、そんなわけあるか! ぜ、全然嬉しくないし!」
僕は綾夏から顔を背けながらそう言った。
自分が感じている何かを相手に見破られてしまって慌てている姿を、綾夏本人に見られたくなかったから。
「そっか……私だったら嬉しいけどな……」
「それってどういう――」
僕の言葉は綾夏の耳に届く前にかき消された――花火によって。
「うわぁ! 始まったね!」
ほとんど目の前で広がった花火に、綾夏は夢中になっている。
思っていたよりも音がうるさいから、僕は指で耳を押さえようとしたけど、片方は綾夏の腕があるから、仕方なく片方の耳だけを押さえる。
それは綾夏も同じだった。
彼女は僕の腕から自分の腕を離すことなく、片耳だけを押さえて、至近距離で広がる花火をその瞳に映していた。
それからしばらくは、僕と綾夏は上を向いて規則的に打ちあがる花火をただただ見つめているだけだったけど、途中でぴたりと音が止み、煙が空中を漂っているだけの静寂が訪れる。
どうやら花火大会は前半と後半の間に小休憩があるらしく、さっきので前半が終わったみたいだった。
「すごかったね蓮くん!」
興奮冷めやらぬ様子で綾夏はその場でぴょんぴょん跳ねている。
「そうだね……つい見入っちゃったよ」
「やっぱり花火ってすごいね……」
すると、綾夏はすっと正面を向き直し、ゆっくりと息を吐くようにそうつぶやく。
「だって、私たちだけじゃなくて、子どもも大人もおじいちゃんおばあちゃんも、みんなで楽しむことができるんだもん」
「そうだね」
「あっ、そうだ」
綾夏は何かを思いついたように僕を見る。
「蓮くんはおじいちゃんになっても楽しみたいこととかってある?」
「急にどうしたんだ?」
「いいからいいから!」
「そうだな……やっぱり読書とかかな。今も好きだし、この先も色々な物語の世界を楽しんでみたい」
「やっぱり……蓮くんならそう言うと思ったよ」
「そういう綾夏は、おばあちゃんになってもしたいことはあるの?」
「私……? 私は……」
綾夏が考え始めてから答えるまでの間はほんの数秒だった。
「――恋……。恋がしたいな」
単に思い付きではないのだろう。その短い時間の中で、綾夏はものすごく何かを考え抜いているように見えたから。
「いいじゃん。年をとっても恋愛できるなんて、とっても素敵だと思うよ。例えばどんな人?」
僕は綾夏を少しおちょくるように聞いてみた。
「ん~とね……」
しばらく綾夏の動きが止まった。
数秒、数十秒――彼女はそれに答えることなくじっとしている。
「あ、綾夏……?」
もしかして機嫌を損ねてしまったのかと、心配になってもう一度彼女の名前を呼んでみる。
後半開始のアナウンスとともに小さな火球が甲高い音を連れて打ちあがり、大輪が静寂の夜空に再び咲き開いたとき、ついに彼女がこちらを振り向いて口を動かした。
「――――くん」
後半の花火はあっという間に打ち上がり、僕と綾夏は二人並んで帰り道を歩いていた。
「いやぁ~夏祭りも楽しかったし、花火はもう圧巻だったよ!」
「僕は綾夏の質問の答えが聞こえなくて消化不十分だったかな~」
「えへへ~それは私だけの秘密なんですよーだ! 花火の音に紛れて聞こえなかったでしょ」
「まったくだ。僕は答えたのにね」
「まぁまぁ。乙女の秘密は詮索してはいけないよ、蓮くん」
「分かったよ」
やっぱりか。
花火の音で聞こえないと言ったけど、あれは――嘘だ。
実は花火の音が鳴っている中でも、彼女が何を言っているのかが僕は聞くことができたのだった。
でも、その答え自体に僕は疑問を感じていた。
綾夏は、万が一聞こえても「嘘でした」と言い逃れができるようにしたかったのか、それともただ単純に僕をからかおうとしただけなのか――。
その真意は綾夏本人に聞くのがベストではあるけど、本人はそれを言う気はもうないのだろう。
僕は綾夏の言葉と複雑に入り混じる思いを、自分の中で蓋をすることにした。
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