サービス終了と浪漫チック☆新連載
文月あや
あと七日
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
「みなさん、大学のサービス終了まで、あと七日です。講義データの移行作業はすすんでいますでしょうか? 他大学に編入予定の学生は、データ移行手続き依頼を教務課に提出しておきましょう。リアルにデータを持ち帰る場合は拡張子を――」
あと七日。
募る焦燥感に、ペンを持つ手が震える。恐る恐る八畳一間の<自分の部屋>を見渡すと、本棚から床に雪崩れる原稿の山、床に散乱する雑誌、ペン入れが中途半端な下絵の山……
「あー、マジ無理! 間に合わない!」
一人絶叫する声も、一間にむなしく響くのみ。
何が何でも、世界の終わりまでに原稿を一本仕上げなくては。
<机>の上に漫画原稿用紙のキャンバスを展開し、コマを大きく五つに分割する。昨日ようやく仕上がったネームを手元にポップさせ、キャラクターの3Dモデルをキャンバスに配置してアタリを描く。描いては消し、モデルを動かしては描きを繰り返していると、ジリジリジリ。つけっぱなしのテレビからアラームが鳴って、テロップが流れた。
『一時間目 3Dモデリングで銃器を描く② 受講開始五分前です』
『<教室>に移動しますか?』
眼前にポップした移動コマンドを、歯ぎしりしながら承認する。
荒れ放題の<自分の部屋>が暗く遠のいていき、明るい<教室>が近づいてきた。
「リカ、おっはー」
気が付くと、私は<教室>の座席に座り、隣のユキに話しかけられていた。
「おはよう、ユキ」
「あともう七日だね、リカは引っ越し進んでる?」
赤茶色の長髪をペンでくるくると巻くユキの今日の服装は、白いボディコンに黒いブーツ。いつも服装に気合が入っている彼女が、私が大学でできた唯一の友達だった。
「引っ越し? ……ああ、データ移行のこと? 何にも進んでない。ユキは?」
「いや、ウチは最初っからやる気ないよ。ぜーんぶ業者におまかせパック」
ユキは手元に自作の美少女キャラクターの3Dモデルをポップさせ、頭の上で躍らせる。
「せっかく作ったデータ、下手に自分で動かしてオジャンにしたら嫌じゃん? だから全部おまかせ」
ユキの頭上で美少女モデルが空手の型をキメる。なかなかカッコいい。
「そりゃ大事な大事なモデルだけどさー、おまかせって、結構高くつくじゃん」
「いやいや、労力からしたら大した金額じゃないっしょ。てかリカは入学時点でサ終の保険か何かに入ってなかったわけ?」
「いやー、そこまで考えてなくてさ。入学したのも申し込み期限ギリギリだったし」
肩をすくめてみせると、ユキがジト目でこちらを覗き込んだ。
「いっつもそんな感じで自転車操業だから、いつまでたっても原稿がまとまらないんじゃない?」
「うっ」
図星を指され聞こえなかったフリをする。
「ていうか授業出てないで原稿したら?」
「授業料が勿体ないでしょう!」
――というわけでこの講義もあと七日で終了なので、今後も履修を続ける場合はアクセスポイント☆※△に――
結局、無駄話をしていて真剣に聴かぬままに講義が終わり、学生たちは三々五々<教室>から退出していく。
ユキが立ち上がり、軽やかに講義データをノートの形に圧縮し、小脇に抱える。
「てゆーかさ、リカは今後の行き先、結局決まったの?」
「……引っ越しもままならないし、編入先を決める余裕もお金もないから、一回リアルに戻る」
話しながら私もデータをまとめて退出しようとするが、手元のデータが鞄からあふれ出る。
「あーあー、どんくさいんだから」
ユキは笑ってデータをかき集めて圧縮し、私の鞄にドラッグする。
「なんだかんだ、リカの行き当たりばったりなところ、ウチは好きだよ」
アイシャドウの偏光ラメが光る一重瞼を細めて、ユキが笑う。
「原稿、完成させたらまた読ませてね」
片手を挙げて去っていくユキを見送りながら、そういえば世界の終わりまでにユキの連絡先を聞いておくべきだと気が付いた。
サ終。こんなにさみしい響きはない。
世界の終わり、つまり私が「ダイブ」しているバーチャル芸術大学の、突然のサービス終了。
リアルの私は、デビュー作だけがバズった中途半端な漫画家、青山リカ。
十代の終わりで描いたちょびっとエログロな百合漫画でデビューして、ちょろっと有名になったけれど、その後は鳴かず飛ばず。
デビュー作を超える作品を、と編集部に圧をかけられても、どうしても次が出てこない。原因は、超がつくほどの注意力散漫さにあった。
時間だけは無限にあった少女時代に描いたデビュー作とは違い、プロは決められた〆切までにある程度のクオリティの作品を描き上げる技術が求められる。
それなのに、現代には誘惑が多すぎる。漫画、アニメ、小説、ゲーム、ドラマ、そしてSNS。
好きなものをお腹いっぱい摂取して、咀嚼し消化して自分の好きなものを生み出していく。それがしたくて漫画を描き始めたのに、少女時代と違い、生活のためにバイトをしないと食いっぱぐれる。気が付けば、バイトと〆切に追われて好きな漫画の新刊も読めなくなる日々が続いた。
「リカさん、〆切前にわざと忙しくして手を抜いて、その結果コンペに落ちて。『これが自分の全力じゃないんだ』って言い訳しても、逃げていることにしかならないのよ」
銀縁メガネの光る編集長にそう言われたときは、本当に凹んだ。
そんな私の注意力散漫具合に手を焼いた担当編集者が提案してくれたのが、リアルと隔絶され、頭の先からつま先までVR上の大学生活に缶詰になるバーチャル芸術大学だった。
入学に必要なのは、VRメガネとVRペン。できれば手近に携帯食と水分。そして必要があればオムツを装着。
食事と排泄という人間にとっての最低限も忘れ、片手にペンを握りしめてベッドの上に横たわる。寝る時間以外のすべては、漫画制作に必要な座学と3Dスキルの習得と、原稿を書く時間に充てられる。
そんな究極で理想的な環境に身を置くために編集長が私に与えた条件は、「一年半の大学生活のうちに、コンペに通る作品を描き上げる」こと。
編集部に大学の授業料を一部負担してもらい、デビュー作の印税のほとんどすべてをつぎ込んだ私に次はない。
なのに、VRでの漫画作成スキルを磨くのに案外時間がかかったうえに、どんな環境に置かれても注意力散漫なことには変わりなく、習作ばかりが積みあがるだけでコンペに出せるような作品が出来上がらないまま、二か月前、突然の大学のサービス終了を告げられたのだった。
微課金したVRゲームの話ではなく、生活と現世での基本的人権を捨てて臨んだ大学自体が、サービスを終了してしまうなんて考えてもいなかった。
大学が潰れることでご破算になると願いたい編集部との「条件」が、世界の終わりにさしかかった私に重くのしかかっていた。
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