ヘビュオイロスのつがい

伊藤 経

ヘビュオイロスのつがい


 マーサが不健康だと言ってあまりにしつこく起こすので、仕方なく氷庫からねずみを手に取った私はベランダに出ることにした。 ヘビュオイロスの餌やりの為だ。

 このヘビュオイロスは一昨年研究の為に南部のアロイナロイ島に行った私の友人が、土産にと持ってきたオスだ。 それから次の年にお前の様にいつまでも独り身では寂しかろうと言ってメスを連れて来た時には私も少しムッとした。 


 この友人は変わり者だった。

 毎年の様に海外に赴いては、どこそこの部族の仮面やら磨かれた石やらを持って私の家に居座る。  そして返事もしない私に向かってあそこの国はどうだったとかいう話を長々と話すのだ。 いや、時々気をつかってマーサが返事をしていたので、案外そっちが目当てなのかもしれないが。


 ともかく、それ以来私の家のベランダにはヘビュオイロスが二匹、鳥用の篭の中で狭そうに暮らしていた。

 これの餌やりは私の数少ない楽しみの一つでマーサには必ず私がやると言ってあった。 彼女は嬉しそうに頷いていたが、私が餌やりを忘れるのでいつも彼女が嫌そうに鼠をベランダに持って行った。


 ベランダは日差しが眩しい。 刺すような光が白い床に照り返して、まるでのオーブンの中にでも居る様な心持ちになる。

 そんな灼熱地獄のいつも通りの場所に、少し塗装のはげた茶色い鳥篭がぽつんと置かれている。

 だが、その様相はいつもと少し違っていた。

 その虹色の輝きを持つ皮膜を軽く伏せて、ヘビュオイロスが一匹だけ篭の底にうずくまっている。

 扉を見てみれば、いつもは掛かっている筈の鍵が今日ばかりは外れていた。

 私は鍵をかけ直すと慌ててマーサを呼びに行った。


 結局鍵をかけ忘れたのは私だった。 昨日戯れに篭から出してやった時だ。

 不幸中の幸いというべきか、篭を出たのは一匹だけだった。 

妻に逃げられたオスのわびしげな顔を見ると流石の私も少々申し訳ない気持ちが湧いてくる。 いっその事夫婦揃って逃げればよかったものを。 もしかしたら喧嘩でもしたのかもしれない。

 喧嘩ならそのうち帰って来るだろうが、ヘビュオイロスは美しくとも野獣だ。 恐らくこれからはメスはどこぞで野ねずみでも捕って暮らすに違いなかった。

 それならそれで仕方がないと私は潔く諦めて、仕事に出る事にした。

 奴には苦労して手に入れたのなんのと愚痴を言われるだろうが、それも甘んじて受け入れる事にしたのだ。


 件の友人が旅先で行方不明となった事を知ったのは、それから数日してからの事だった。


 研究所を数日部下に預けて、私は行方不明の友人を捜しに行く事にした。

 理由は二つほどある。 彼には私以外に探してくれる友達なぞいないだろうという事。 そして彼が私の数少ない友人だからだ。

 なに、仮に見つからなくても無駄足ではない。 そちらでしか手に入らない貴重なサンプルの採取も兼ねているのだ。 事実、部下にはそちらの目的だけを伝えていた。 

 

 それから母国を出て、船に揺られて数日が経った時の事だ。

 慣れない船の揺れに辟易して船員達の邪魔になるのもお構いなしにデッキの階段に腰掛ける。

そして忙しく仕事をする男達の様子を私は眺めていた。 はるか彼方に何やら陸らしき影が見える様になった頃だ。 

 男達の様子が何やらせわしなくなる。 何事かと思い船員を捕まえて話を聞いてみるが、いいから部屋に入っていろと船室に押し込められるだけだった。

 仕方がないので逆らわずに窓から外の様子を伺っていた私の元に今度は格好の違う別の船員が現れた。

 その男は私を連れて今一度デッキに出ると、いつの間にかそれまで私のいた船の隣に浮かんだ別の船に私を連れて行くと、今度はそちらの船室に居る様にと私に言った。

 後で知った事だが、それは当時私の目的地としていたアロイナロイとの間で紛争状態にあった海賊の船だったらしい。 

 私はそちらの高官か何かと間違われて連れ去られたらしかった。

 ともかく、私はそちらの船室の中で誤解が解けるまでの間数日を過ごす事になった。

 船を移る時に私物の持ち込みを一切断られた私はいっそう暇をもてあそんでいた。

 その船では私の世話をする三十がらみの男が二人付いており、片方は寡黙で殆ど喋る事はなかったが、もう片方は暇を持て余した私によく話をしてくれた。

 腫れぼったい目の特徴的な彼の話はその殆どが、同じ海賊仲間の噂話や船長や船上の生活への愚痴だったが、一度だけ自分の身の上話をした。

 なんでも男は海賊になる前はごく普通の漁師として妻と一人娘を養っていたという。

 それはそれは可愛い娘と美人の妻で、自分にはもったいないくらいだったと男は語る。

 それからおしゃべりな男には珍しく、少しの間は何も喋らなかった。

 なのでガラにもなく私が続きを促す羽目になった。

 男はそれでもまだ黙っていたが、ついには話をはじめた。

 

 昔この国の海は世界中の人間でも食べきれない程の魚や貝が取れたのを知っているか。

 そりゃあもう毎日の様に港に人が押し寄せて、何がなくとも食うのに困る事だけはなかったのさ。

 俺もそこで仕事をする漁師の一人として暮らしていた。 一生ここで網を使って美人の嫁さんとかわいい子供を養って暮らすんだとその頃の俺は信じていたんだ。

 

 それがまるっきり変わったのは五年前だ。 前の日までは雲一つなかった空がその日、急に曇りはじめた。 それから嵐が来た。 とんでもねえ風と鉛みてえな雨がいっぺんに押し寄せたんだ。

 風がバカバカ吹き付けて、港の船はみんなひっくり返るし、家は吹き飛ばされたり波に浚われたり、嵐がすぎた後には港の奴らは半分から死んじまってよ。 

 その中には、俺の家族もいた。 

 かわいそうだったよ。 見つけた時には嫁さんは酷い様で、俺の送った指輪を付けていたから何とか分かった。 随分探したが子供の方は結局見つからずじまいだ。 きっと波にさらわれて、そのまま沖に行っちまったんだろうさ。

 だけどまあ、今になって思えばあの二人はあれで良かったのかもしれねえ。

 ……あの嵐から港は、この国は何もかもが変わっちまった。

 あんなにいた魚はいったいどこに行ったのか、魚も貝もこの港ではめっきり取れなくなった。

 それ以来俺は、いや俺だけじゃないどいつもこいつも明日の食事にも困る様になった。 そして落ちぶれていった。 

 いつの間にやら俺は海賊になってたって訳だ。


 そう語って男は船室の壁を見つめた。 その目は古びた板壁の向こうにまだ幸せだった頃の海を見ていた。


 誤解が解けて私と私の乗った船が港に辿り着いたのはそれから更に三日程経った頃の事だ。 

私は特に怪我も病気もなく陸に降り立った。 船長はそれなりに金を払わされたらしいが、それ以外には特に何もない。 

あの海賊の男の語った事とは裏腹に、港は活気に満ちあふれて居る様に見えた。 ただし、治安はあまり良くないらしい。

この国に来て現地の案内人の元に向かう途中、早速私は鞄を一つ盗まれてしまった。

それもよりによって旅券の入った物だ。 幸いに金はあまり取られなかったが、恐らく逃げたヘビュオイロス同様にもう帰って来る事はないだろうという確信があった。

 その事を案内人に相談すると、あまり出歩かない方がいいとの事だった。 外国人が旅券も無しに出歩いていると、なんと警察に連れていかれる事があると言うのだ。

 結局大使館に行って旅券を作り直してもらう間、私はこの案内人の家で厄介になる事になった。

 私が学者だと言うと奥さんは、女の学者なんてと大変に驚いて、市場に行っては本を買ってきた。 そして私が読んで見せると大変な勉強家だとやけに感心する。

 本を読んだくらいでこんなに褒められるというのは本当に妙な気分だった。 

 

 それから私はこの子供のない夫婦の家で奥さんの買ってくる本を読んで過ごした。

 案内人の家はスォットという木造二階建ての建物でこの国ではごく一般的な物だ。

 一階は開けた土間になっていて、台所の側に外に向けたベンチが一つ置かれていた。 私はよくそこで本を読んだ。

 その日も私はそうしていると、奥さんがお勉強で疲れたでしょうと言ってお茶を入れてくれる。

 いろいろと香辛料の入った少し変わったお茶を口に含みながら、数時間ぶりの色のついた世界を見て私は気がつく事があった。

 家の正面の道路の目立つ位置に白い小鳥がいるのだ。 

 それ自体はそれほど珍しい光景ではない。 だが、私は全く同じ光景を昨日も一昨日も見た様な気がした。

 どこかの家で餌でも貰っているのかと考えて良く見てみるが、何かをついばんでいる様子はない。

 それどころか、小鳥だというのにピクリとも身動きする事なく地面に留まっているのだ。

 小鳥の事情など知るはずもないとは思いつつ、私は奥さんにその鳥の事を聞いてみる事にした。

 すると意外な事に奥さんは何やら事情を知っている様子で、私にその事を話してくれた。


 あの小鳥はですね。 それはもうかわいそうなんですよ。

 ええ。 あれはもう一月も前の事でした。 私が朝の水くみから帰ってくると、家の前の道路を車が妙な動きをしているのに気がつきました。 車がみんなうちの前の道路の向かい側だけを避けてこっちに膨らんで通って行くんです。

 おや、と思いましたね。 ええ。 何しろ見ての通りうちの向かい側はああして林になっているでしょう? 時々、道路に動物が飛び出してはよく車に轢かれていましたから。 私は嫌だとは思いながらも見てみたんです。 

別に動物の轢かれたのを見て喜ぶ訳じゃありませんよ。 だって何がどうなっているか気になるじゃありませんか。 

それで見てみたんです。 そしたらやっぱり鳥が一匹車に轢かれているんです。

元はどんなだったか分からないくらいで白い羽根が散らかっているから、何とか白い鳥だったんだろうなってわかるくらいで。 

それでああ嫌だかわいそうだって思った時、あの鳥が飛んで来たんです。

そう。 あそこに居る白い小鳥です。 はじめはあれも、死体をついばみに来たのだと思ったんです。 

でも、それなら車に轢かれる様なマネをしてまであそこに立っていないでしょう? 鳥なんですから。 飛んで安全な時を待っていればいいんですからね。

 それで、あの鳥の側でずうっとあそこに居る物ですからね。 私もなんとなく分かってしまったんです。

 きっとあの轢かれた鳥とつがいか何かだったんだって。 それできっとつがいから離れられずにいるんだってね。


 

それからも私はそのベンチで本を読みながら、そのかわいそうな白い鳥を時々眺めて過ごした。

そして、そんな日々は私の旅券の再発行を待つ事無く、終わりを迎える事になる。

 ある日、町の中に大砲が撃ち込まれたのだ。 蒼い漆喰の民家が数軒と、王宮の屏が少し吹き飛ばされた。 

 聞いた話によると人も何人か死んだらしい。 

 当然の事ではあるが、大使館からすぐに本国に戻る様にという要請が届き船が手配された。

 案内人夫婦に危ないから早く帰れとしつこく言われたのもあって、仕方無く本国へと帰る事になった。


 帰りは行きしのいざこざが嘘の様にスムーズな物だった。

私は三日程船に揺られるうちに、もう家の前にたどりついていた。

 実を言うと、家に入るのが気まずい様に思えた。 私はマーサに直接は研究に必要なサンプルの為に旅に出ると伝えていたが、彼女の方ではたぶん私が友人の捜索に出たという事は承知しているに違いなかったからだ。

 友人を捜す事すら出来ず、あまつさえサンプルを目にする事すら出来なかった事実は私のプライドを思った以上に傷つけていた。


 しかし、そんな野良犬の様な私の心もちとは裏腹に扉を開けたマーサの顔は明るかった。

 一つには恐らく、情勢の怪しい外国から女主人が無事に帰って来た事に対する喜びがあるのだろう。

 しかし、彼女の様子はそれだけではない様に私には見えた。

  

 西日に赤く照らされたベランダの鳥篭の中で、二匹のヘビュオイロスが仲むつまじく頬を寄せ合っている。

 マーサが言うには私が帰って来る少し前に早く入れろとでも言いたげに鳥籠の前で鳴いていたというのだ。

 私は開いた口が塞がらなかった。 まったく、私はもう二度と戻って来ない物と思って覚悟をしていたというのに、ひょっこり帰って来たというのだ。

 私の目の前でひとしきり互いの存在を確認し終えたヘビュオイロスのつがいが、ようやくその場を動く。

 そこで以前に見た時から一歩も動いて居ない様子だったオスが移動して初めてその足元にある物を見たとき私は目を剥いた。

 足元には小さなつるりとしたガラスの様な質感の石ころの様な物が現れたのだ。

 それは二つ仲良く並んだ卵に違いなかった。 ヘビュオイロスの卵を見るのは初めての事であったが、それは紛れもなく卵であった。

 オスが移動し、入れ替わる様にしてメスのヘビュオイロスがその上に柔らかな腹を広げる。

 オスは私に向かって仕切りに私に向かって扉を開ける様にやかましい声を出した。

 私の後ろでマーサがどうしましょうどうしましょうと慌てはじめる。


 私は……鍵を外して扉を開けてやった。

 ヘビュオイロスは私には目もくれずに夕日の中に飛び去って行った。

 


 


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