第31話 転機〈てんき〉

 政幸まさゆき達は銀座に来ていた。

 政幸にとって銀座ぎんざは自身が一番似合わない街だと考えていた。

 現に銀座に行く事はほぼ無く、転勤して東京に来た頃に何度か接待で訪れた事があるが個人的に行く用事はなかった。




 政幸まさゆきは一人困惑していた。

 美春みはるに飲みに向かう前に食事を取ろうと、とあるレストランに来ていた。

 テーブルの前には大量のナイフ、フォークなどが並べられていた。

 所謂フレンチである。

 政幸まさゆきはテーブルマナーが全く分からなかったのだ。


 茉莉まつりは行儀よく食べている。

 以前、伯母の蛍子けいこからテーブルマナーを教わったと言っていた。

 取り合えず茉莉まつりの真似をして食事を取っていた。


 次々に運ばれてくる料理。

 味など全く分からない。

 政幸まさゆきはナイフ、フォークでの食事がかなり苦手だった。

 目の前に骨付き肉ののった皿と水の入った器が運ばれてきた。

 フィンガーボールである。

 政幸まさゆき存在は知っていた。


(確か手づかみで食べて良い料理だと聞いていたが・・・。)


 やっと緊張せずに食すことが出来る。

 だがフィンガーボールの使い方は解らない。

 茉莉まつりの姿を確認した。

 骨付き肉をナイフフォークで食べようとしている。

 美春みはるも確認したが既にナイフフォークで食している。

 ナイフフォークの扱いに慣れていない政幸まさゆきは骨付き肉など綺麗に食べる自信がない。

 茉莉まつりはそんな政幸まさゆきに気付いたのか、政幸まさゆきの顔を見てニコニコ笑いながらナイフとフォークを置き手づかみで骨付き肉を食していた。


茉莉まつりちゃん・・・何て空気の読める娘なんだ・・・。)


 骨付き肉は非常に美味だった。

 正直この料理以外の味は緊張で全く覚えていない・・・。




 食事を終え酒場へ歩いて向かうことになった。


 政幸まさゆきは先程の食事を思い出しくだらない事を考えていた。


(やっぱ箸って偉大だな・・・。)


 箸には箸で洋食以上の細やかなルールがあるのは知っている。

 まあ普段は数あるルールの一部を知っていればいいだけだ。

 それにしても手づかみで食事をするのを野蛮だと言い放ちそうなお国柄の料理に手づかみで食べる料理があるとは不可解である。

 その点和食は良い。

 本来の和食は箸一つで食べることが出来る。

 手も汚れない。

 何といっても箸を使い慣れている。

 そう考えると和食の方が優れているのではないかと思ってしまった。

 本来、食事文化なんて比べるべきものでは無い事を重々承知しておきながら・・・。




 政幸まさゆき達はバーに来ていた。

 政幸まさゆきのイメージなのだが、とても入りにくい雰囲気の佇まいである、バーである。

 客商売なら気楽に入れるよう工夫しろなんて思ったりもしたが、それがこの手の店の特徴なのかもしれない。

 何にせよ政幸まさゆきには縁のない酒場だと思っていたし、個人的にこれから積極的に通う事はないだろう。


 正直、何を注文していいのかわからない・・・。

 美春みはるは好きな物を頼みなさいと言ってくれていた。

 しかしメニューすらないこの空間で何を頼めばいいのかが解らない。

 美春みはるはボトルキープしている様だった。


「あっ、俺も美春みはる先輩と同じものでいいですか?」


 正直助かったと思った。

 別に知らない事を知らないという事に抵抗はないのだが説明を受けるのも何だかめんどくさい。


「あっ、わたしも同じもので・・・。」


 意外な事に茉莉まつりもキープボトルの酒を求めていた。


 洋酒の銘柄は解らないが、どう見てもブランデーだろう。

 あまり酒が強そうに見えない茉莉まつり・・・大丈夫なのだろうか?




 いつも騒がしい店にしか行ってない政幸まさゆきだったが、意外とこういった空間も悪くないと感じていた。

 落ち着いて話が出来るし、騒がしくない。

 政幸まさゆき美春みはるは思い出話に盛り上がっていた。

 意外な事に茉莉まつりが話に入ってこない。


 茉莉まつりはずっと美春みはるを見ていた。

 美春みはるがグラスの酒を飲めば茉莉まつりもグラスの酒を飲み、美春みはるがチェイサーを飲めば茉莉まつりもチェイサーを飲む。

 茉莉まつり美春みはるの行動を真似していたのである。

 マナーが解らないからなのだろうか?

 どうもそうではないらしい・・・。

 茉莉まつり美春みはるの事がよっぽど気に入ったみたいで、美春みはるみたいになりたいのだろうか、美春みはるの行動を真似している様だ。

 茉莉まつりにしては珍しい。

 政幸まさゆきはそんな茉莉まつりを見て親の行動を真似る子供の様だと少し可笑しくなっていた。





 茉莉まつりは潰れていた。

 バーの広いカウンターにうつぶせで寝てしまっている。

 あまり酒が強そうなイメージは無かった。

 しかもよくよく考えてみれば美春みはるはストレートで飲んでいたのである。

 茉莉まつりもそれを真似していた・・・。

 そして茉莉まつり美春みはると同じペースで飲んでいたのである。

 美春みはるはそこそこ酒が飲める様だ。

 もっとも深酒はしていない様であるが。

 そこそこ飲める美春みはるに対してあまり飲めない茉莉まつり同じペースで飲んでいたら潰れるのは当然である。




茉莉まつりちゃん無理しちゃって・・・。」


 政幸まさゆきは茉莉に上着をかけてやった。


茉莉まつりちゃん何か美春みはる先輩の事えらく気に入ったみたいで、ずっと美春みはる先輩の真似ばかりしていましたね。」


 美春みはるは少し微笑んでいた。


「あら、こんなおばさんにこんな子がそう思ってくれているのだとしたら光栄ね。」


 政幸まさゆきは即返答をした。


「実際、美春みはる先輩は今でも魅力的だと思います。」

「でも茉莉まつりちゃんがここまで他人に好感を抱くのは今まで見た事ないです・・・この子茉莉は母親をずっと追いかけていたようですしね・・・。」



『わたしは『おかあさん花桜梨』 になりたかったんだよ。』



 帰郷した時聞いた気がするあの声を政幸まさゆきは思い出していた。


「話を聞いていると下野しものさんとは以前からの知り合いの様ね。」


 政幸まさゆき茂田しげた以外には茉莉まつりとの関係は話したことはない。

 政幸まさゆき美春みはるにはこの関係を知ってほしいと思った。

 美春みはるなら茉莉まつりとの未来の関係の答えを見出してくれるのではないかといった期待もあった。


 政幸まさゆき茉莉まつりとの関係を全て美春みはるに打ち明けた。

 茉莉まつり本人の事はもちろん、親友だった真司しんじの事、真司しんじの妻である蛍子けいこの事、政幸まさゆきが今でも愛してやまない花桜梨かおりの事、そして政幸まさゆきの気持ちといままでの経緯を洗いざらいすべて・・・。


下野しもの君と妹さん亡くなっていたのね、とても残念だわ・・・。」

下野しもの君達の事は知っているわ、小中学校が一緒だったし・・・。」

「そう、この子が下野君の妹さんの娘さんだったのね・・・。」


 美春みはるは知己のある真司しんじ茉莉まつりの死を悼んでいる様であった。


「話を聞いたところあなた政幸この子茉莉にとっての『あしながおじさん』の様ね。」


 以前茉莉まつりからも言われた事のある『あしながおじさん』・・・。

 美春みはるの印象も同様の扱い、茉莉まつり政幸まさゆきに恩を感じているからこそ好意を抱いているのが他人からも明確であった。


「そしてあなた政幸この子茉莉の好意に対してどの様な対応をして良いのか解らないと・・・。」

「私は当人同士が納得しているのなら他人の目は気にしなくてよいと思っているわ。」

「でもあなた政幸この子まつりの気持ちが解らない・・・。」

「そしてあなた政幸自身も自分の気持ちが理解できてなさそうね・・・。」


 美春みはるの指摘通りだった。

 政幸まさゆき花桜梨かおりの事はかつて誓った様に今でも愛している。

 これは本心であり疑いようのない事実である。

 茉莉まつりの事も愛情が確かにある。

 だがその愛情の種類が全く解らなくなっているのだ。


「亡くなった人は手強いわね。」

「思い出はどんどん美化されていくものだからね。」

貴方まさゆきは一途な人みたいね。」

「特にそんな一途人に対しては・・・。」

「本当この子茉莉はかわいそうね・・・。」


 政幸まさゆきは意外そうな表情をしていた。

 酔っている為か明確に会話の内容が理解できていなかった。


 美春みはる政幸まさゆきの目を見つめていた。


あなた政幸気付いてない様ね・・・。」

この子茉莉あなた政幸を見る目は完全にをしていたわ・・・。」





 政幸まさゆき美春みはる茉莉まつりとの関係を打ち明けて良かったと思っている。

 何かのきっかけになった様な気がしたのだ。

 それが何かは解ってはいない。

 だが停滞していた気持ちが前に進んだ様な気がしていた。


「さて人生相談はここまでにして本題に入ろうかしら・・・。」


 美春みはるは何か話したいことがあったようだ。


この子茉莉が居たから今日は話すのはやめようと思っていたのだけれど、いい機会ね。」


 美春みはるは寝ている茉莉まつりを見ていた。


「私は2年後にこの会社を去ります。」

「私は外部の人間と話した様にこの会社に今までと違った視点から改善に取り込むつもりです。」

「もっとも会社の方は私を招いたのはだと思っていますが、私は本気で取り込むつもりです。」

「今から話す事はまだ動きもない事なので他言無用でお願いします。」

「今度の役員会でプロジェクトを立ち上げる提案を提出します。」

「必ずこの提案は承認させます。」

「そこで、私の最初の生徒でもあるあなた政幸にもこのプロジェクトに参加してもらうつもりです。」

「私の生徒が才能を発揮できていない現状は私には我慢できません。」

「ただし私はチャンスは与えますが贔屓はしません。」

あなたまさゆきはこのプロジェクトに参加していただけますか?」


 政幸まさゆきはこの提案は受けるべきだと考えていた。

 大恩ある美春みはるの期待にこたえたいというのもあったが、何より自分を変えるチャンスだと思った。


「承知致しました。」

「私は菲才浅学ひさいせんがくの身ですがご期待に沿えるよう精進いたします。」


 美春みはるは満足そうな笑みを浮かべていた。


あなた政幸菲才ひさいではないわ、だからきっと成功します。」

「もっとも浅学せんがくであるかどうかは私にはわからないけど・・・。」


 美春みはる政幸まさゆきの事はあまり良い評判では無い事は知っている。

 それでも政幸まさゆきにチャンスをくれようとしている。

 ある意味贔屓をしないと言っていたがこれは贔屓である。

 だが、初めての教え子でもある政幸まさゆきに対してはある意味仕方のない感情なのかもしれない。

 ある意味での特別、気恥ずかしいが心地良い。

 そして政幸まさゆき美春みはるに対して1つの質問を投げかけた。


「一つ質問があります。」

沢渡さわたりさんは二年後に会社を去ると仰られていましたが、その後はどのようにされる予定なのですか?」


 美春みはるは満面の笑みを浮かべ答えてくれた。


「勿論、教育現場に復帰するつもりです。」


 美春みはるの夢は現在も潰えていないようである。

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