儘ならないなら
鼻歌を歌っていると「ご機嫌だね」と声をかけてくる奴がいた。それは誤解だ。そいつとは縁を切った。
俺が鼻歌を歌うのは頭の中に次から次へと湧いてくる濁流のような思考の渦に飲まれないように違った潮流を生み出す必要があるからで、この鼻歌は命綱でありつまり鼻歌を歌っている時はご機嫌なんかではない。苦しく目まぐるしいほどに揉まれ必死で抗っている。
洋楽がいい。洋楽は歌詞の意味がわからない、いやむしろ意味しかわからない。洋楽がいいというか、母国語でない言語がいい。英語、また英語圏の文化についてさっぱり堪能でない俺にとって洋楽は意味だけを与えてくれる、その単語の背後にある膨大ななんとやらを想起させない、リズムと韻律に身を任せられる。
「怠ける」という単語を聞いただけで俺は吐き気を想起する。それは俺が過去にした吐き気を催すような経験に「怠ける」という単語が関わっているからだ。俺の母国語が日本語なせいで、生活を日本語で紡いできたせいで芋づる式に要らない感情や記憶を想起させる。余計だ。だから俺は日本語で綴られる歌詞に身を委ねることができないんだ。
カラオケが苦手なのはみんなの日本語とその背景が流入してくるからだ。一曲ごとに目まぐるしく切り替わる背景とそれに対する感想、共有、好き、聴いたことなかった、どこかで聴いた、誰かのおすすめ、どこ、何、コーラスや合いの手も俺が日本語を知っているからこそバチバチと経路を繋げ、どこにも寄る方がないままに翻弄され、疲弊する。無駄に暖房が効いて暑い。俺以外の奴らが一体何を楽しんでいるのか一切理解できない。一片の頼りに俺が洋楽を入れれば「洋楽歌えるのかっこいい」なんて余計な価値を付与する奴がいる。そいつとは縁を切った。
そいつは俺をカラオケに誘った奴だった。俺なんかに声をかけてくる奴だった。何人もの集いに参与するのは限りなく脳のギリギリまでエネルギーを消耗するから避けたいのが俺の常だが、その時は、なんでだかわからないが、それに迎合した。案の定時間の無駄を感じ、途中で用事があることにして帰った。カラオケ店から出ると肌寒さが感覚を奪ってくれて、丁度良かった。
何かとそいつは声をかけてきた。例えば大学の講義室で「消しゴム貸してくれない?」とか。例えば授業前の昼休みに「次の課題なんだっけ?」とか。俺は文学部で、そこそこ真面目にレポートを書いて出していたから授業の中で先生に名指しで褒められたこともあった。大学の成績評価の価値なんてどれくらいのもんなのか知らないから特に誰にも言ってはいないが確かに一応成績はいい方で、それが周囲にバレる機会だったわけだ。社会が個人につける価値なんて社会の中でしか役に立たないけどそれが社会の中でどんなに効力を持つか身を以て知ってはいるつもりだ。虚しい。そんなの贅沢だとかいうご指摘も入るだろうが、うるさい。虚しいもんは虚しいのだ。だってこいつみたいな輩に集られるんだから。
俺は心の底から思ってないことをどうしても言えない。そういう脳みそに生まれたんだからしょうがない。それを取り繕うのが社会性だってわかってんだけど、学生なんだからまだいいだろって甘えたいんだ。そんな甘えがある日俺に言わせた。いつものように声をかけてきたそいつに向かってだ。「何が目的なんだ?俺を利用したいのか。いつだって俺から何かを得ようとしてるじゃないか。俺が優秀な人間に見えるんならそれは否定しないが生憎俺はそんなにお人好しじゃない。俺から何かを搾取するつもりなんならどっかに行ってくれよ。俺は濁流に飲まれそうで忙しいんだ。ご機嫌なんかじゃない。お前の感覚で俺を判断しないでくれ」
そいつの表情が強張ったのがわかった。俺でもわかった。そいつは目を逸らし、俯き、5秒ほど沈黙し、「友達が欲しかった、だけ」と、か細い声で独り言のように呟いてゆっくりと席を立ち、その場から去った。全ての授業が終わった後だった。教室は俺だけになった。
そいつとは縁を切った。縁が切れたわけだ。俺はしばらく経って気づいた。俺もあいつだったんだ。あいつ、俺だったんだ。そうか、今気がついた。俺もあいつだったんだ。いつも気付くのが遅すぎる。後悔は取り返しがつかなくなってからしかできない。
空いた椅子がわずかに傾いだ気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます