何度目の春だろうか

春菊 甘藍

花束は貴方の為に

 世間はGWゴールデンウィーク


 同僚はやれアウトドアだ。家族サービスをせねばと休日だというのに忙しい。かく言う自分も彼女に会うため出かけている。


 街中を少し歩き、馴染みの花屋へ着く。


「あら、市原いちはらくん? まことちゃんにお土産?」


 店の奥から眼鏡を掛けた女性が出てくる。


「あ~、はい。そんなトコです」


 後ろ頭を掻きつつ視線を逸らす。この店は彼女、誠が働いていた場所だ。そのためこの女性とも顔見知りなのだが、男の自分が花を買うことに少しばかり恥ずかしさを感じてしまう。こればかりは何回買いに来ても治らない。


「じゃあ、いつもの包んでおくね」


 手際よく、目的の花を包んでくれる。いつもそれしか買わないから。


「ありがとうございます」


 まだこの時期に出回り始めたばかり花。紫色に五角形の花弁には、春の日差しを乱反射する水滴が付いている。


 代金を払い、花束を受け取り、店を出る。


「……市原くん」


「はい?」


 呼び止められ、立ち止まる。


「誠ちゃんによろしくね……」


「……はい、伝えておきます」


 足早にその場を去る。


 駅に着き、目的の電車に乗る。いくつかの駅を過ぎる。規則的に体が揺れる車内には暖かな光が差し込む。


 車内を見回す。自分以外に人は居ない。ならば良いかと、目を閉じる。人間の脳が八割も頼る感覚器官が閉じると不思議と思考が溢れ出す。


 今思えば、彼女と初めて会ったのもこんな春の日だった。

 何回、前の春だっただろうか。


「市原くんだよね?」


「はい?」


 あの頃も、自分は今と変わらず無愛想だった。本屋に行くため通りがかった花屋の店先で、彼女に声を掛けられた。


「ほら、同じクラスじゃん。私、覚えてない?」


 彼女はほぼ初対面の自分にすら快活に話しかけてきた。


「えっと、永井ながいさん?」


「誠でいいよ。いやぁ、同級生とは心強いよ!」


 まだ朝は冷え込む日もあるだろうに彼女は半袖にのシャツの上からこの花屋のであろうエプロンをしている。


「え?」


 状況が飲み込めてないが、何となく嫌な予感だけはする。


「私ね、このお店でバイトしてるんだけど……その、花買っていかない?」


「おっと、押し売りかな?」


「頼むよ~。ほら、クラスメイトを助けると思ってさ~」


 茶髪気味な髪を乱雑に束ねた尻尾を彼女は揺らしていた。


「ごめん、今日は本を買いに来たんだ。今日買う本のおつりで何か買えそうなら帰りに来るよ」


 この場を誤魔化し立ち去るつもりだった。


「ええ~、そう言っておつり出ないように買うんでしょ~。私は詳しいんだ!」


「詳しいんだ……」


 はじけて明るい彼女の様子に、適当に言い訳をつけてその場を立ち去る自分が少し恥ずかしかった。


 無事本屋に着き、目的の本をレジへ持って行く。


「あ」


 この本屋で使える。スタンプカードが貯まっていた。これで手持ちと合わせてもう一冊何か買える余裕ができる。何を買おうかと思ったがふと永井誠の顔が浮かぶ。


「……」


 スタンプカードを使い、本を買う。金銭的余裕ができてしまった。


「……行くか」


 購入した本を脇に挟み、足早に花屋へと向かった。


「あ、来た!」


 店先で、何かを運び出していた彼女はこちらに気付くと手を振ってくる。


「また顔を見せてくれたってこ~と~は? 買ってくれるっ?!」


 期待に満ちた瞳には、抗いようがなかったんだ。


「あー、もう分かったよ。でもさ、花瓶が無いんだ」


 大事なことを思い出す。うちには花瓶などと文化的なものは無かった筈だ。


「ほーう! そういったお客様には、こちらの花瓶なんていかがですか~?」


 そういって彼女は筋骨隆々な男性の臀部に花を生ける為の穴が開いた花瓶を持ってきた。


「もっとなんか綺麗なのがいい」


「ええー、これ格好いいじゃん」


「いや、さすとこが問題なのよ」


「さすだなんて、きゃ!」


「ええ……」


 頬を赤らめるタイミングではないと思うんだ。店を見回すと、色とりどりの花だけで無く、花瓶も多種多様なものが用意されていると分かる。


 その中で一際目を引く、七色のガラスの用いられた万華鏡のような花瓶を見つける。


「これはいくら?」


 花瓶を指さし、彼女に尋ねる。


「二千五百円なり~。結構高いけど大丈夫?」


 財布を見る。ちょうど、ある。


「大丈夫、でも花は買えないや」


「……そっか、ふっ」


「え、今笑うとこ?」


「い~や、何でもないよ~」


 そうは言いつつ、彼女は微笑んでいるように見えた。会計を済ませ、袋に包んで貰う。


「はい、これサービス」


 一輪の花。紫色の花弁をしている。


「いいの?」


「まさか高い買い物をしてくれるとは思わなかったから、お詫びに」


「そう……ありがと」


 さっそく、買った花瓶を使えるという高揚感があった。


「この花、なんて名前?」


桔梗ききょう、家紋とかによく使われてるんじゃないかな」


「おお、これが。しかし何で桔梗?」


 少し、気になった。彼女が数ある花からこれを選んだ理由が。


「あなたにぴったりの花だよ」


 そう言って彼女は笑う。


「君じゃなくて?」


 なんてスカシた発言ぐらいできないものか。


 それから事あるごとにこの花屋へ足を運ぶようになっていた。季節の花を、誠に見繕って貰い、部屋で飾った。


 いつしか、部屋の花瓶が見たいと彼女が来るようになった。二人で植物図鑑を見ながら、どの花が花瓶に合うか議論したりもした。


 月日が経ち、何回目かの春。

 彼女は病院にいた。


 幸いにも進行性の病気ではなく、手術から数週間で退院できそうだという話だった。そんなに危険性のある手術ではないが誠はやけに怖がっていた。少しでも慰めになればと、変わらず花瓶に合う花を毎週末語らった。

 

 その時間が心地よくて、あまりにも幸せで。


 手術は無事成功し、退院の日が来た。病院の前の交差点。


 彼女に渡す、桔梗の花束を買っていった。信号が変わるのを待っていると、反対側に誠はいた。


 こちらに気づき手を振る誠に自分も手を振った。信号が変り、君はこちらに駆けだして来る。


 急に目の前に現れた車に、誠が跳ね飛ばされた。

 腕が変な方向に曲がり、動いてる様子はなかった。


 後続に現れた別の車に、彼女の頭は潰された。

 彼女の血と車の青い車体の色が混ざって紫色になっていた。


 そこから自分の記憶は途切れてる。


 いつもここで目が覚める。自分を揺らしていた電車が、目的に近い事が分かる。


 海辺近くの霊園。

 ここに彼女の墓はある。


 手早く彼女の墓を掃除し、花を供える。

 自分にぴったりの花だと、彼女が言ってくれた花を。


 せめて墓前の近くに居たいんだ。

 ちゃんと言えなかった言葉。


「誠、守ってやれなくてゴメン」


 花瓶は今どこにあるのだろう。


「あれから何年か経ったみたいだけど」


 それでも変われない。


「僕は君が好きだ」


 意味が無いのかもしれない。

 誰かの為に、あるべき思いは届く先を失った。


 あぁ、今は君が居なくなって……


 「何度目の春だろうか」


 



 


 


 



 




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