第24話 劇毒、格の違いを思い知る

 アグリ村は魔王サクリファイスが統治する領土の端の方に位置していた。村の広さはかなりのものだが、その殆どが田んぼや畑で占められている。春には種をまき、夏には野菜、秋には米とサクリファイス領に豊かな食文化をもたらしてくれる重要な村であった。


 その自慢の田畑がメラメラと燃え上がっている様をサクリファイスは何も言わずに見つめていた。その顔に普段のような柔らかさは微塵も感じられない。


 そして、その魔王の背中を見つめる四人の魔族が佇んでいる。四天王と呼ばれる彼らもまた、魔王城で暮らしている時のような気の抜けた表情はしていなかった。アグリ村が受けた被害をその目に焼き付けつつ、自分達の主の決断を静かに待っている。


「…………報告を」


 ここに来てからずっと火の海を見つめていたサクリファイスがそっとその口を開いた。それを見計らっていたかのように、魔王の右腕であるマルコキアスが素早くサクリファイスの後ろに立ち、首を垂れる。


「村の被害は甚大です。次々と燃え移っていき、大部分が炎上しております。ただいま早急に消火作業を行っておりますが、被害を受けていない田や畑が残る可能性は限りなくゼロに近いです」

「村民は?」

「幸い異変を感じた村の見張りがすぐに声を上げたため、全ての村民が非難する事が出来ました。逃げる途中で膝を擦りむいた者などが数名おりますが、大方無事といって差し支えありません」

「そうか……」


 マルコキアスに一切顔を向けずに報告を聞いていたサクリファイスがホッと安堵の息を吐く。アグリ村の住人に犠牲が出なかったのは不幸中の幸いだったと言えるだろう。だからといって許すつもりなどなかった。この田んぼや畑は彼らが汗水たらしながら手塩にかけて育てた土地だ。そんな大事な場所を土足で踏みにじった狼藉者にかける慈悲は一切持ち合わせていない。


「犯人の目星は?」

「村人達の話を聞く限り、相手は人族ではなかったようです。そして、この村から一番近くにいる魔族の軍は……」

「パズズ軍か」


 サクリファイスの目がスッっと僅かに細まる。


「アグリ村の者から報告を受け、我々が駆け付けた時には既に姿は見えませんでしたが、恐らくそうだと思われます。……お心当たりでも?」

「あるな。大ありだ」


 インディゴートの街でティアリス・フローレンシアを攫いに来たパズズを追い払った。意趣返しの理由としては十分だ。

 再び黙りこくったサクリファイスに一礼をすると、マルコキアスは先ほど自分が立っていた場所に戻る。同時にラセツが視線を向けてきたが、マルコキアスは静かに首を左右に振った。


「それを決めるのは我々ではない」

「……まぁ、そうだよな。オレ達の大将はあいつだ」


 ラセツが腕を組みながらゆっくりと鼻から息を出す。自分達の領土が荒らされ、憤りを感じているのだろう。だが、ラセツ以上に怒りを覚えている者がいた。


「……やっぱりボクはあいつ嫌いだ。こんなにも自然をめちゃくちゃにして」


 燃える畑を見ながら悔しそうに下唇を噛んでいるエルビンの頭に、薄雪うすゆきがそっと手を乗せた。


「雪ねえ……」

「さてさて……お優しいぬし様がどないな判断を下すのか見物どすなぁ」


 エルビンの頭を優しく撫でつつ、薄雪はじっと魔王の背中を見つめている。

 眼前の炎を見ながら、サクリファイスは自責の念を抱いていた。この状況を招いた原因は少なからず自分にもある。パズズがこちらの領土に手を出してくる事など容易に予想できたはずだ。だが、魔王としての責務を忘れ、暢気に人族に手を貸していた結果、このような事態になった。魔を統べる王として失格だ。今すぐにでもアグリ村の者達に頭を下げなければならない。


 だが、魔王としてその前にやらなければならない事がある。


「マルコキアス、薄雪、ラセツ、エルビン」


 静かに、しかしはっきり彼らの名前を呼ぶと、サクリファイスは僅かに首を傾け、背後に視線を向けた。


「──格の違いを見せつけろ」


 静かな怒りと共に、命令を下す。


「……仰せのままに」


 四人は同時に答えるや否や、一瞬でこの場からいなくなった。残ったサクリファイスはしばらくアグリ村の惨状を眺めていたが、漆黒のマントをひらりと翻し、村を後にする。”劇毒”の魔王に”最弱”の魔王の恐ろしさを見せつけるために。



 ”劇毒”の魔王パズズは用心深い男であった。幾重にも策を巡らせ、不安事項を全て解消してから勝利をものにできると確信した時に初めて行動に移す。それが彼の信条であり、ジェミニ王国を落とすにあたり、最大の障壁となりうるティアリスを真っ先に狙った理由でもある。

 だが、それはことどとく失敗に終わった。ある一人の男に邪魔されて。しかもその男とはあろう事か数いる魔王の中でも”最弱”の二つ名を冠する者。全くもって不愉快極まりない。

 そんな思いで彼にしては珍しく突発的に事を起こしたのだが、一つだけ懸念があった。それは”最弱”の魔王が使った魔法、自分のアイデンティティでもある毒魔法を軽々と打ち破ったあの魔法だ。あれは”最弱”の魔王が使える代物だったのか?

 パズズは玉座から立ち上がり、魔王の間に置かれた長机に歩いていく。その上に広げられた地図を見ながら思案するかのように自分の顎を撫でた。


「手始めに一番近い村を攻めてみまーしたが、驚くほど呆気なく攻め落とす事ができまーした……やはり、ワタシの杞憂きゆうだったのかもしれませーん」


 部下からの報告を聞いた感じ、村の者達はなんの抵抗もなく逃げ出したようだ。まさに”最弱”の魔王に相応しい脆弱な魔族達。


「念のため隊を退かせまーしたが、警戒し過ぎまーしたね。慎重すぎるのも考えものでーす」


 これならばさっさと攻め落とすのがいいだろう。どうでもいい相手に時間をかけられるほど暇ではない。この世界を支配するための足掛かりにもならない領地など片手間に蹂躙してくれる。

 そう決めた矢先、副官の魔族が魔王の間に駆け込んできた。


「丁度よかったでーす。先ほど退かせた隊を次の」

「ほ、報告します! 我が領土であるエプリル、マイ、オガストにノーベンがサクリファイス軍によって占領されました!!」

「…………は?」


 思考能力が停止する。たった今副官がした報告の内容がまるで理解できない。


「……バカも休み休み言って欲しいでーす。ワタシ達がサクリファイス領を攻めたのは数時間前の事でーす。それまでなんの動きもなかったのに、どうして四つもの町が占領されなければならないのでーすか?」

「し、信じられないのはわかります! 私も未だに信じられません! ですが、事実です!」


 切羽詰まった様子から見て、副官が嘘の報告をしているわけではないのはハッキリしている。だが、到底信じられる事ではない。この数時間で四つの町を、しかもその一つはこの魔王城に面するノーベルの町だ。信じろという方が無理がある。だが、万が一の事を考えて副官の言葉を一蹴するわけにもいかない。


「どれほどの軍勢で攻めてきたのでーすか?」

「あの! えーっと……よ、四人です!」

「四人? たった四人で一つの町を落としたのいうのでーすか?」

「い、いえ! 一人一つです!」


 困惑した様子で告げられた副官の言葉に目眩がしそうになった。一人一つ? 四人で一つの町を占領する、という事ですら絵空事だというのによりによって一人一つ? そんな馬鹿げた話があっていいのだろうか?


「……話になりませーん。それはあなたが実際に目にした事なのでーすか?」

「い、いえ! 部下からの報告です!」

「だったら、こんなところで油を打ってないで自分の目で確認してきなさーい!!」

「は、はい!!」


 パズズに怒鳴られた副官は敬礼すると、慌てて魔王の間から出て行く。その様を見ながらパズズは玉座に腰を下ろし深々とため息を吐いた。

 今の話はデタラメだ。恐らく自分の部下の誰かが適当な報告をしたのだろう。でなければ、あんなにも現実離れした話をするはずがない。

 だが、サクリファイス軍が攻めてきているのは事実だと思われる。実力がないのを誤魔化すために奇をてらって四つの町を同時に攻めたのかもしれない。それならば、間違った報告がされたのにも納得だ。それが事実だとすれば、各個撃破は容易い……。


「――副官をこき使うのんは感心しまへんなあ」


 なまめかしい声がパズズの鼓膜を震わせる。反射的にそちらへ顔を向けると、顔以外が糸でぐるぐる巻きにされた副官を担いだ大男と和装の美人が魔王の間へと入ってきた。


「オレは荷物持ちじゃねぇぞ?」

「うちにそないな重い物を運べちゅうんか? 筋トレアホのラセツには丁度ええ重りになる」

「はっ! こんなもん指先用のダンベルにすらなりゃしねぇよ!」


 そう言ってラセツは副官を適当に投げ捨てる。やはりそうだ。この女郎蜘蛛とオーガロードは自分の配下ではない。だが、そうなるとおかしな事がある。


「……どうやって入ったのでーすか? この城にはワタシの配下以外は入れない結界が張ってあったはずでーす」

「あれれー? あれって結界だったのー? てっきり虫除けか何かかと思って壊しちゃったよー」

「っ!?」


 いつの間にか自分の横にふわふわと浮かんでいたダークエルフが退屈そうに欠伸をしていた。


「あの程度の紙っぺらを結界って呼ぶならもう少し魔法の勉強をした方がいいよー! なんならボクが教えてあげよっかー? 甘ーい飴玉一年分で!」


 くすくすと楽しげに笑うと、エルビンは薄雪とラセツの近くに飛んでいく。その三人の後ろからタキシードを着た男がコツコツと音を立てながら歩いてきた。


「ご挨拶もなしでにここまで来てしまった、と非礼を詫びる間柄でもありませんよね」


 一瞬で魔王の間の温度が氷点下に下がったように感じる。それは目の前に現れたワイトキングが原因である事は明白だった。


「あ、あなた達は一体……!?」

「私達はサクリファイス軍の四天王。そして、私は参謀を務めさせていただいております、マルコキアスと申します」


 サクリファイス軍の四天王? マルコキアス? どちらも聞いた事がなかった。だが、これほどの黄泉の冷気を纏っているワイトキングが無名であるはずがあるのか?


「残りの四天王は、右からラセツ、薄雪、エルビンです」

「おうよ!」

「よしなに」

「よろしくねー」


 当然、その三名の名前にも聞き覚えはない。とはいえ、仮にも魔王であるパズズは四人が一介の魔族ではない事を肌で感じていた。

 ふと、副官の言葉を思い出す。彼はたった四人の魔族の手によって自分の領地が占領されたと言っていた。あの言葉は真実であり、それはこの四人の事ではなかろうか。


「……そんな事は認めませーん」


 僅かに顔を伏せ、ボソリと呟いたパズズは一気に魔力を練り上げた。こいつらはサクリファイスの手下。主人同様、大した力も持ち合わせていないに決まっている。


「あなた達の死体をあのくだらない魔王に叩きつけてやりまーす!! ‘死へ誘う毒デッドリーポイズン’ッッ!!」


 パズズは怒声と共に殺意を剥き出しにした魔法を四人へ向けて放った。この魔法は最高峰の毒魔法。最高純度の致死毒に襲われた相手は全てを諦めるほかない。過去、この魔法を受けて生きている者はいなかった。

 そのような凶悪無比な魔法の前に、薄雪が自ら体を差し出す。そして、死の苦痛を堪能するかのように身を捩らせ、天を見上げながら甘い吐息を出した。


「はぁぁ……最高やわぁ……! 流石は”劇毒”の魔王……超弩級の毒に体疼いてもうた……!」


 体が疼いた? そんな魔法ではない。あらゆる細胞を侵し、死滅させるものだ。それは毒に耐性のある者でも例外ではない。にもかかわらず、それに耐え切ったどころか喜びすら感じているだと?


「じょ、女郎蜘蛛という種族の特性上、毒魔法は相性が悪かったみたいでーす! ですが、ワタシを毒魔法だけの魔王だと思わないでくださーい!! ‘暴風の弩弓ストームバリスタ’!!」


 パズズは決して毒魔法だけで魔王の座に就いたわけではない。各種属性魔法を高水準で扱う事ができる高位の術者である事もまた、彼の強みであった。

 極限まで圧縮した空気弾が四天王に襲いかかる。一発一発が並の魔族など吹き飛ばしてしまう威力。だというのに、マルコキアス達は何も言わずに魔法を見据えたまま動こうとしない。いや、一人だけ嬉々として笑いながら迫り来る空気弾に向かっていった。


「うらぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 ラセツは雄叫びを上げながら空気弾目掛けて拳を振るう。凄まじい破裂音をさせながら霧散していく空気弾。怯む事なく拳を振るい続けるラセツを、パズズはぽかんと口をあけ、呆気に取られた表情で見ていた。


「……っつぅー!! 痛ってぇなまじで! サンドバッグとは別物だ!」


 全ての空気弾を殴り消したラセツがブンブンも手を振る。その手は少し赤くなっているようだ。いや、その程度のダメージで済む魔法ではない。なにより、あのオーガロードは魔力による強化を一切施していなかった。


「あり得ない……あり得ない……!!」


 悪夢としかいえない。素手で自分の魔法を弾き返したオーガロードに致死毒が全く効かない女郎蜘蛛。強固な結界を易々と解除したダークエルフ。その誰もが魔王に比肩し得る実力の持ち主なのは間違いなかった。そして、恐らくあのワイドキングも。


「あり得ない……あり得ない……」


 パズズがうわ言のように呟く。あり得ない、こんな事あってはならない。何が一番あり得ないのか、それはこのような者達があの魔王の配下であるという事だ。


「なぜでーすか!? なぜ、あなた達のような魔族があの男の下についているのでーす!?」


 それぞれが魔王を名乗っても何らおかしくない者達がどうして、魔王の中でも”最弱”と称される男に仕えているのかまったくもって理解できない。


「……なぜあの方の下に? そんなの決まっています」


 マルコキアスがさも当然とばかりに言い放った。


「我々の誰よりもあの方はお強いからです」


 そして、一歩後ろに退き、その場で跪く。気がつけば他の三人も同様に頭を下げ、膝をついていた。その者達の中央を漆黒のマントをはためかせた男がゆっくりと歩いてくる。


「久しぶりだな、パズズ。三日振りか?」

「……魔王サクリファイス」


 ギリリ、とパズズが奥歯を噛み締めた。この男こそが諸悪の根源。この男さえいなければ、聖女を我が手中に収め、こんな化け物じみた連中が城まで来る事もなかった。


「あなたさえ……あなたさえいなければ……!! ワタシの完璧な計画が遂行されたのでーす!!」


 パズズの怒りが魔力になって顕現し、この魔王の間で渦巻く。それを見て動き出そうとした四天王達をサクリファイスが片手を上げて制した。


「ワタシはこの世界の王になるのでーす!! こんなところで立ち止まってる暇はありませーん!! 邪魔をする者は一人残らず死んでくださーい!!」

「’常闇トコヤミクサリ’」


 宙に浮き上がり、魔力を爆発させようとしたパズズにサクリファイスが魔法を放つ。その瞬間、パズズの周りに複数の闇の穴が現れ、そこから黒い鎖が飛び出し、パズズの体を拘束した。


「なっ……!?」


 驚きに目を見開くパズズ。だが、その驚きは奇妙な鎖に捕まったからではない。彼が驚く理由がわかっているサクリファイスがニヤリと笑みを浮かべた。


「その鎖も俺のオリジナルだ。驚いたろ? 魔力を喰らう鎖なんてな」

「魔力を喰らう魔法……? そ、そんなのありえませーん……! そ、それではまるであなたが闇の力を扱えると言っているようで……!?」

「あぁ。俺が使うのは闇魔法だ」


 サクリファイスがはっきり告げると、パズズの驚愕がさらに色濃いものとなる。そんな事はお構いなしにサクリファイスは指をくいくいと動かして鎖を操り、パズズを自分の前まで移動させた。


「あ、あり得ない……! こ、こんな”最弱”の魔王が、げ"原初"の魔王と同じ魔法を使えるなんて……!!」

「あり得ない? 実際に使ったのを目の当たりにしているのだから、その議論は意味がないだろ。そもそも、そんな事はどうでもいいんだよ」


 まるで興味がない、と言わんばかりにそう吐き捨てると、サクリファイスは未だに現実を直視できないパズズの顔を真正面から見据える。


「選べ、”劇毒”の魔王」


 そして、魔王然とした冷たい笑みを浮かべた。


「素直に従うか、ここで果てるか」

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