風に吹かれ

諏訪森翔

第1話

「暑い...」

 私は遥か頭上から照らし続ける陽光を浴びながら、二徹の身体に鞭打って取引先へと向かっていた。

 ふと耳を澄ますと先ほどまで聞こえていた人混み、車の音などが消え去り、聞こえるのは風鈴と蝉の声だけとなっていた。

「どこだ?」

 そんな疑問を抱えながらも私はなんの疑いも持たずにぬかるんだ道を進んでいった。頭上を埋める木々から注ぐ木漏れ日に目を細めながら歩いていると、いつの間にかぬかるんでいた地面はアスファルトへと変わり目の前にはいつもの景色と自販機があった。

 ちょうど喉が渇いていたので一番安い紅茶のペットボトルを購入し、レバーを下げながら落ちてきた商品を手に取る。パキッという新品の封を開ける音と共に乾いた喉にそれを流し込む。

「うわっ、微糖かよ」

 口の中にわずかながら残る人工甘味料に顔を歪めながらもひとまず潤ったことで良しとしてまた歩き始める。

 だが、歩きながら私はまた目を疑った。私はさっきまで都会のビル群の中を歩いていたはずだが今私が歩いている場所は閑静な住宅街だ。それもひどく古い形の家が多く、どうやらバブル期の名残りだと分かる。しかし、どこも壁に亀裂もなく新築のようだった。

 それから歩き続けていると、ついに住宅街も消え草原と田んぼが広がる場所に出る。

「どこだよ...」

 私は疑問を浮かべながらも進んでいけばなんとかなるという信念を掲げて歩き続けているとある場所で立ち止まる。

 そこは神社だった。

 奥に見える御社おやしろは苔が生えていたり蔦が絡まっていたり鳥居の朱に至っては禿げ上がり下の木片が見えるほどだった。普通なら誰もが通り過ぎる。だが私は止まった。奥に影が見えたから。

 私が今まで歩いていた時も人はいた。だがここはどこだ、という疑問と暑さが私の思考を支配し、改めてまじまじと人影を見たのはこれが初めてだったからかもしれない。

 どうやら影も私のことに気づいたのかムクリと起き上がって私の方へ歩いてくる。靴の音ではなく、どちらかというと草履に近い音で、私はその足音の主に近づこうと鳥居の敷地に足を踏み入れようとした瞬間に彼女は現れた。

「——おかえり」

 姿を見せた少女は初対面の私に笑顔を見せながらおかしなことを言った。だが、私もおかしな返答をした。

「ああ、ただいま」

 我ながら頭がおかしいと思う。しかし、この時私の中で狂おしいほどに求めていた何かがここにある、という感情が支配して突き進んでいた。さらに言えばこの言葉を言うのに私がこれまで積み上げてき全てを捨て去ってでもここにあるソレは欲しかったのだ。それほどまでに、私は求めていた。

「うん。ご飯できてるよ。お母さんも待ってるから」

 私の返答を聞いた少女は私の手を引いて御社へと向かう。そして私が神社の鳥居の敷地を跨いだ瞬間、意識が途切れた。

 次に目覚めた時、私は見慣れた都市の中にあるベッドの上で目覚めた。どうやら都心のど真ん中にある空き地の中心部で大の字に倒れているところを通行人に発見され、搬送されたという。そして、奇妙なことにその通行人で通報者でもある老婆は私が救急車に乗せられるまで「」と呼んでいたらしい。年齢的には二回りほど年下の若造にそう呼びかけ続けていたと聞き、その老婆の行方を尋ねた。

 だが誰も知らないといい、私のその奇妙な体験も信じなかった。

 私は簡単な検査を受けてから退院し、倒れていたという場所に足を向けた。そこは空き地で周りにはビルや駐車場が乱立していてここに何もないのが不思議なほどである。

「ん?」

 無駄足かと思ったがアスファルトと空き地の間にあるモノがあった。それは木片だった。

 それは表面の部分が朱に染まった木片で、それを拾い上げて見た時に確信した。私は狂ってなどいなかった、と。

 だが、その確証以来なにか進展があったわけでもなく私はこの時間で家庭を築き、あっという間に時は過ぎ息子も結婚し孫がたまに遊びに来るほどにまで年を取っていた。

「じゃあ、行ってくる」

「ええ。行ってらっしゃい」

 いつもの日課である散歩に行くと妻に告げて出かける。この日はとても身体の調子が良くいつも悩んでいた腰と膝の痛みも恐ろしいほどに消え、背筋もシャキッとできた。一昨日主治医から処方された新しい薬の効果だろうか。

 時代は進歩したものだと結婚当時とかけ離れた散歩景色を見ながら思いふけっていると、いつの間にか車のエンジン音なども消え蝉と風鈴の音のみが聞こえた。そして目の前にあった水たまりに映る若かりし頃の私を見て思わず周りを見渡すと―――



 私はまた、あの閑静な住宅地のど真ん中にいつの間にか迷い込んでいた。

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風に吹かれ 諏訪森翔 @Suwamori1192

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