留守番電話

宮上拓

留守番電話

 例えばある日、あなたが外出から戻ってくると留守番電話にこんなメッセージが入っていたとする。

「○○君? あたし。アキです。明日の約束なんだけど、三十分ずらせない? 飛び込みで仕事が入っちゃったのよ。六時半って言ってたけど、できれば七時にしてほしいの。別に三十分遅れたって、デートするには問題ないでしょ? そういうことです。待ち合わせは駅の西口よね? もし都合が悪かったら——たぶんそんなことは無いと思うけど——遅くなってもいいから今日中に連絡ください。それじゃあ」


 あなたは考える。

 あなたには明日とくに誰かと約束をしていた覚えは無い。一〇〇パーセントの自信を持って無い。では間違い電話か? 答えはノー。相手はメッセージの最初でこちらの名前を確認していた。あなたの名前はそれほどありふれたものではないから、まず間違いなくそのメッセージはあなたに宛てられたものだ。留守番電話機能の故障? どう故障したっていうんだ? 吹き込まれなかったメッセージを勝手に捏造する故障だって? ははは。

 メッセージを入れている女の名前の方には些か心当たりがある。二年前に別れた恋人の名前がアキだ。でも、それから一度たりとも彼女から連絡があったことはないし、あなたの方からも連絡をとったことはない。とろうとしたことはあるかもしれない。でもとにかく、一切のコンタクトは存在していない。「二年後の今日にもう一度会おう」とか、そういった大たわけな約束をしたわけでもない。そんなやつはロケットで火星に打ち上げてしまえばいい。

 あなたのとり得る行動の中で最も理に適っているのは、まず彼女の電話番号を捜すことだ。それは簡単にできる。彼女が番号を変えていなければ、スマートフォンの電話帳をいくらかスクロールしたところで発見できる。そしてもう少しだけ元気があるならば、その番号をタップしてみるといい。それで全部はっきりするはずだ。あなたにはもう少しだけの元気があった。というわけで、あなたは二年ぶりに彼女の電話番号をタップする。コール。コール。コール。プツッ。「はい、もしもし。タテカワですけど」——彼女が電話に出る。

「もしもし、アキ? 僕だけど」とあなたは言う。「久しぶり」

「うん?」と、彼女は不思議そうな声を出す。あなたはめげずに尋ねる。

「妙なメッセージが入ってたけど、あれはどういうことなんだい?」

「うん?」と、彼女はまた不思議そうな声を出す。受話器の向こうで彼女が「さっぱりわけが分からない」といった顔をしているのが分かる。

「ねえ、僕達は明日会う約束なんてしてないじゃないか」

「うん?」

「一体どういうことなんだ?」

「うん?」

「ちゃんと答えてくれないかな」

「うん?」

「うん?」

 あなたがそう言うと、彼女は唐突にがちゃん! と電話を切る。どことなく腹を立てているような受話器の置き方だ。あなたはさっぱりわけが分からない。彼女にもさっぱり分かっていない。


 あなたがもしかなり行動的な人間であるなら、あなたはその翌日、約束の時間の十分前に待ち合わせの場所に現れる。ひげもしっかりと剃って、きちんとした格好をしている。あなたはきょろきょろと周りを見回す。人がたくさんいる。彼女はいない。あなたはいる。誰かが来る。おそらく。あなたには確信がある。彼女にはよく分かっていない。

 四分が過ぎる。

 七分が過ぎる。

 九分が過ぎる。

 十分が過ぎる。誰も現れない。

 十五分が過ぎる。五分ぐらい遅れることは誰だってある。

 三十分が過ぎる。少々致命的だ。

 四十五分が過ぎる。やれやれ、とあなたは思う。

 あなたは自分に話しかける。やあ、久しぶり。遅いじゃないか。まあいいや。最近どうしてた? 例の鬱病は再発してないかい? 周りの人がじろじろとあなたを見ている。人がたくさんいる。彼女はいない。あなたはいる。誰も来ない。あなたは間違えた。彼女にとっては知ったことではない。


 あなたがもし相当にタフな人間であったとしても、あなたは階段を下りて地下鉄のホームに向かう。あなたは家へ帰る。夜の七時に一人で歓楽街をうろつくぐらい悲しいものはないからだ。あなたはとても冷静に切符を買う。周りの人は誰もあなたを見ない。人がたくさんいる。彼女はいない。あなたはいる。ありがとうございます、と自動券売機が言う。あなたは切符を受け取る。彼女は切符を受け取らない。


(了)

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留守番電話 宮上拓 @miya-hiraku

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