第43話 私たち姉妹の幸せ
「本当にいいの?アンナ‥」
私の言葉に、アンナはどこか清々しい表情で頷きました。
ジュリアの周りの侍女たちがあまりにもポンコツすぎて頭を悩ませていた頃が懐かしいわ。アンナはその中でも悪意なくジュリアに
最初こそ反発していたのにいつしかすっかり大人しくなったわね。今のアンナならジュリアを任せられるわ。もう考え無しに強請ったりもしないでしょう。
それなのに‥
「私は勿論ジュリア様のことも心からお慕いしています。あんなにも純粋で、あんなにも心優しい人にはなかなかお会いできないでしょう」
「それなら‥」
「でも私は、そんなジュリア様を守ろうと矛にも盾にもなろうとするアレクサンドラ様に仕えていたいのです」
アンナったら、いつのまにこんなに凛とした表情を見せるようになっていたのかしら。
「‥‥それなら尚のことじゃない。私についてきたら矛にも盾にもなれなくなるわ」
少し感傷的になってしまったかしら。これじゃまるで私がジュリアのことを大切に思っているのだと口にしてしまっているみたいだわ!!私は慌てて訂正しようと思いましたが、アンナの柔らかな笑みを見て思わず唇を結びました。
「‥‥アリー様は離れたってジュリア様狂ですよね。よかったですね、ジュリア様の新しい屋敷が近くて」
スーザンが何食わぬ顔でそんなことを言いました。
仮にもこの部屋に別れを告げる最後の日だというのに、何故そんなに飄々としていられるのかしら。
この屋敷で育って16年になりました。少し癖のあるものの、私たちに何かを強要することのない父と母。そして我関せずの兄。
ジュリアと私は今日このよき日に、2人揃って家を出ます。
父も母も兄も、感傷的なところは一切見せぬままこの日を迎えました。私たちのような貴族の姉妹は、こうして嫁に出るのが常なのです。これが当たり前のことなのです。
きっとノーランド家の家族たちは私たち姉妹が家を離れても、なにも感化されずにいつもの毎日を繰り返していくのでしょう。
そんな環境だから、私はひとりで涙を流すわけにもいきませんでした。三兄妹の中で一番のしっかり者と自負しているのに、私だけしくしくと泣くわけにもいきません。
しっかりと頼り甲斐のある妹であり続けようとしていた昨夜、部屋に訪れたのはライラでした。
「‥‥‥アリー様、アリー様‥!申し訳ありません‥!!」
ジュリアの元に送り込んでいた侍女のライラ。ライラ以外の侍女たちはぽわぽわし続けていたんでしょうから、きっとライラの苦労は計り知れなかったでしょう。
ライラが涙を撒き散らしながら頭を下げていました。何で謝っているのかなんて、ライラが口を開く前に察しました。
「‥‥ジュリアのそばにいてくれるの?」
私の元へ帰らずに、ジュリアに着いて行きたいと思ったのでしょう。相当の苦労があったでしょうけど、ライラは間違いなくやり甲斐を感じて、間違いなくジュリアに誠意を尽くしたいと思ってくれたのだと思います。
「ううっ、うぅっ‥‥、私、私、体が2つあればどれほどよかったかと‥‥!!でも、私がいなくなればまたジュリア様陣営がポンコツになる気もするのです‥‥!アリー様に仕えているときには、スーザンさんもいて安心感があったんです‥!でも、ジュリア様の側にいると使命感に駆られるんです‥‥!!こんな私をお許しくださいっ!!!」
許すも何も‥。
私とジュリアは貴族の姉妹。一定の歳になれば、一番近くでジュリアを見守れなくなる。
だからここまで真剣にジュリアの側にいたいと願ってくれている侍女がいるなんて、感謝しかないわ。
「ライラ、本当にありがとう。ジュリアの側にライラがいてくれるなら、私は心から安心してレックス様の元に行けるのよ」
私がそう言うと、ライラはダバァッと滝のような涙を流していました。そんなライラを思いながら、あまり寝付けないまま今日の朝を迎えたのです。
朝食の時間、食卓には珍しく家族全員が揃っていました。
ですが私がやることは同じです。恐らくマティアス様はジュリアの好き嫌いを見抜いてくださり、ジュリアにトマトは提供されなくなるでしょうが‥
私は当たり前のようにジュリアにお願いするのです。
「アリー、トマト食べたいなぁ」
「っ、!ア、アリー、これ!あ、あげるね!」
ジュリアがいつものように私のお皿にトマトを乗せていきます。あら、大変。目頭が熱くなってきました。ノーランド侯爵家は家族仲は決して悪くありません。でもこうして感傷に浸る人なんていないのです。私がここで突然泣き始めたら、とんでもないことになります。
私は猫撫で声もやめて、小さく息を吐いて涙を堪えようと努力しました。
「‥‥‥うぅ‥っ‥‥」
伏せていた目を思わず上げました。だって、まさか‥‥
「お、お母様‥?!」
お母様が泣いています。信じられないくらい、ぼろぼろと。‥あのお母様が。
お父様もお兄様も、ジュリアも私も。椅子やテーブルを揺らしてしまうほどに動揺しました。
「‥‥幼い頃から、馬鹿みたいに‥‥。ジュリアが嫌いなトマトを、毎日毎日そうやって‥奪うふりして取り上げて。ジュリアはジュリアで、ずっと眉毛を下げて困った顔ばっかりしてるのに‥アリーの言葉には嬉しそうな顔ばっかりして‥‥」
私たち家族の間には暫く沈黙が流れていました。
侍女たちや使用人たちから、啜り泣く声が聞こえて‥次第にお父様も涙を流し、お兄様の瞳も潤んでいました。
お母様は、ジュリアがトマトを嫌いなこと‥気付いていたのね。気付いたうえで、ジュリアと私のやり取りをお母様なりに見守っていたんだわ‥。
「ううぅっ」
私の泣き声は面白い程に響き渡りました。
離れたくない。離れたくないわ。だって私、家族が大好きなの。ジュリアだって、前よりも大人びてシャキッとしてるけど、それでもジュリアなんだもの。ほっとけないもの。
レックス様のことは大好き。結婚したいと思えるのはレックス様しかいないし、心から共に歩んで行きたいと思う。
だけど‥‥こうして5人で集まれることが少なくなると思うと、私の涙は全く止まってくれないのです。
さっぱりとした空気だった癖に、急にこんなにもしんみりしてしまいました。尚のこと、離れたくないとばかり思ってしまいます。
「‥‥お父様、お母様、お兄様、アリー」
私たちを呼びかけて、小さく笑ったのはジュリアでした。目に涙が浮かんでいるものの、ジュリアは私のように取り乱してはいませんでした。
「‥‥今まで私を育ててくださり、ありがとうございました。私は自分が気付かぬところでも、いつもいつも救われてきました。大切に大切に育ててもらったから‥私は皆さんに恥じぬよう、マティアス様と共に歩みます」
ジュリアがこんなにも立派なことを言っているのに‥。私は涙が止まりませんでした。前を向いて力強く進もうとするジュリアを、引き止めたいと思ってしまいます。
ふと手が握られました。ジュリアが私の手を握り、涙をポロリと溢しながら微笑んでいました。
「‥‥心配だなぁ、私。‥‥アリーが近くにいないのに、生きていけるかな‥。でも、私、がんばるね。アリーがいつもいつも私を守ってくれていたみたいに、マティアス様を守れるようにがんばるね」
ぼろぼろと、ジュリアの瞳から滝のように涙が溢れ出しました。ジュリアも寂しい気持ちを押し殺して、自分を奮い立たせていたのね。
私はハンカチでぐしぐしと涙を拭いました。
「お父様、お母様、お兄様!私たちがいなくなったらさぞかし寂しいでしょうねぇ。でも私たちおかげさまでここまでスクスクと育ちましたから!!心配ご無用ですわ!!絶対に幸せになってやりますもの!!」
そう言って、ジュリアの手を握り返す。
「お姉様。自分で覚悟をお決めになったのだから、泣き言を言ったら指を刺して笑ってやりますからね!!ただしどうしようもない時はすぐに私を呼んでくださいませ!!‥や、屋敷が近いですからね!!」
「‥っ、うん‥!」
私たち姉妹は、今日この家を出る。お互いが本当に好きだと思える人と歩んでいく為に。それぞれの幸せを、心の底から願いながら。
ーーー完ーーー
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