第39話 姉妹の距離


 私たちは今、広大な野原にいました。今日はお父様主催の狩猟大会‥だそうです。お母様はもちろん興味がないご様子で屋敷内で寛いでいます。ゲスト参加されるマティアス殿下がジュリアと私にも応援して欲しいと申されたそうで、ジュリアと私は野原に設置された簡易的なテントの中にいました。


 ‥‥マティアス殿下はジュリアにいいところを見せたいだけでしょう。どうして私まで呼ばれなくちゃいけないのよ‥。


 ぶつくさ文句を言いながら、テントの中からぼーっと外の様子を眺めていると、誰かがひょいっ顔を出しました。


「あ、アレクサンドラ嬢!体を冷やさないようにね!ジュリアさんも!」


 テント内を覗き込んできたのはレックス様。


「っっ!!な、なんでレックス様が?!」


「なんでって、ノーランド侯爵に誘われたからだよ」


 風に揺れる黒い髪、柔らかな碧眼。狩猟大会用なのかいつもよりも煌びやかな刺繍が入ったコート。あぁ、どうしてなの?!何で鼓動が早くなってしまうのかしら‥!


「そ、そうですか。獲物を仕留められずに恥をかかないようせいぜい頑張って下さいませ」


 ツンとした態度でそう伝えると、レックス様は嬉しそうに「頑張るね」と言いました。ど、どうしていまの言葉を聞いて嬉しそうにするんですの?!意味が分かりませんわ!


 レックス様がその場からいなくなった後も、私は暫く顔に熱がこもったようでした。外は肌寒い風が吹いているというのに、扇子で顔を扇ぎます。


「‥‥アリー」


「な、なんですの」


「私、マティアス殿下が好きだよ」


「?!」


 バッとジュリアを見ると、ジュリアは柔らかく笑っていました。

え‥なんですの?突然の告白‥?!え、というか、殿下がジュリアを好いているのは分かっていましたけど‥ジュリアも‥?

 え、ジュリアって恋愛感情を理解できているのかしら?‥できているわけないわよね、きっと。だってジュリアだもの。優しくしてくれる、受け止めてくれる、悪意を感じない、好き。‥そんな感じじゃないかしら?!


「‥‥殿下はね、私のノロマなところとか頭が回らないところとかもね、笑いながら受け止めてくれるの。それでね、私と結婚したいって言ってくれたの」


「け?!?!」


「‥殿下はちょっと強引なの。でも強く引っ張ってくれるから、私はおどおどしなくていいんだ。‥目線もね、同じくらいだし、髪の色もね、アリーと同じなの。だから緊張しないで隣にいれる。たぶん私がこういう風に思える男の人、殿下だけだと思うんだ」


「‥‥‥‥」


「‥‥背はあまり変わらないけどね、手は温かくて大きいんだよ。頼り甲斐があるなぁって、守ってくれるんだなぁって、そう思えるの」


「‥‥‥‥‥そ、そうですか‥‥‥‥」


 上唇と下唇が縫い合わされたようにくっ付いて、無理矢理こじ開けて何とか紡いだ言葉がこれでした。

 とても高い崖の上にジュリアがいて、私はその崖の下で呆然としているような錯覚に陥ります。


 なんででしょうか。ジュリアがいつのまにかしっかりと恋をしていたから??私は自分の気持ちもろくに認められないのに、ジュリアがこんなにも素直だから‥??


 ジュリアは少し照れたように口元を緩ませて、ほんの少しだけ頬を赤くしていました。そんな表情が何故だか凄く大人っぽく見えて、ジュリアとの距離がとても離れてしまったようにも感じました。



「‥‥アリー、どうしたの?」


「‥‥‥なんでもありません」



 そう。なんでもない筈なのよ。むしろ、あのジュリアがちゃんとした相手に恋をして、ちゃんとした結婚をするの。マティアス殿下は第3王子だから、公爵にでもなるのかもしれないわね。ノーランド侯爵家としても全く問題のないお相手‥。むしろ、お父様も大喜びの筈だわ。

 マティアス殿下がジュリアにメロメロなのは一目瞭然だし、きっとジュリアを大切にしてくださるでしょう。


 それなのに、それなのに。なんで私は心が沈んでいるのでしょうか。


 レックス様とジュリアが婚約していたときはこんな風に心が沈んだことなんてありませんでした。


「‥‥アリー、どこいくの?」


「‥‥少し風に当たってきますわ」


 ジュリアは心配そうに私を見ていましたが、私はジュリアと目を合わせずにテントの外へ出ました。


 ジュリアに掛けてあげるべき言葉は他にあった筈でした。

おめでとう、良かったね、お幸せに。祝福の言葉の候補は脳内にあっても、口から出てきませんでした。


 暫く歩くと、抱きついても手が回らない程の巨木を見つけました。巨木に背を預けて、心の底にある謎のモヤモヤを見つめてみます。


 一体なんなのよ‥。‥‥ジュリアは別に、何も悪いことをしていないじゃない。それどころかノーランド侯爵家にとっては素晴らしいことなのに。



「体を冷やさないでって言ったばかりなのに」


 ふと聞こえた声。下を向いてる私の視界には、レックス様の足元が見えました。何故でしょうか。声を出したら泣いてしまいそうです。


「‥‥‥」


「どうしたの?ジュリアさんと喧嘩でもした?」


 いつものように憎まれ口を叩きたいところですが、声が震える予感がして口を開けません。

 涙がいつの間にか瞳に溜まっていて、顔を上げたら涙の粒が落ちそうなので顔も上げられません。


 レックス様はそんな私の様子を察してか、何も言わずに私の隣に並んで木の幹に背を預けました。


 不思議と、一人にしてほしいとは思いませんでした。結構な時間が流れたかもしれませんが、レックス様は静かに私の隣にいました。


「‥‥狩猟大会はいいんですの?」


 心が少し落ち着いたのか、もう声は震えない気がします。


「狩猟大会よりもアレクサンドラ嬢の方が大切だから」


「‥‥‥」


「落ち着いた?」


 訳も聞かずにただ隣にいてくれたレックス様に、何故か私の気持ちを聞いてほしいと思いました。自分でもわからない気持ちを、レックス様なら分かってくれるかもと思ったのです。


「‥‥‥ジュリアが、殿下のことを心から好いてるみたいで、結婚したいとも、言われているそうで‥その、ジュリアがまさか、異性のことをちゃんと好きになるとは、思ってなくて‥‥」


 あれ、どうしましょう。何故かまた目が潤んで、声が震えてきました。いつものように取り繕えないから、ジュリアのことも呼び捨てになってしまいました。


「‥‥うん、それで?」


「‥‥‥ジュリアがそういう、想いを抱くようになるのは、もっと先だと、思って、たんです。政略結婚からは、逃げられないし、若くして結婚するのは、分かってました。‥でも、ジュリアは殿下を好きで、殿下もジュリアを好きで、2人が好き同士で‥‥ジュリアが知らない顔してて、」


「‥うん」


 ぼろぼろ、ぼろぼろと涙が頬を伝ってます。やだ、恥ずかしい‥そう思うのに、やっと視界に入れたレックス様はとても優しい顔をしていて‥私は涙を止めることができませんでした。


「‥‥温かい言葉も、なんでか言えなくて、っ、でも‥この気持ちがなんなのか、分からないんです」


 レックス様は私の涙をハンカチで拭いてくれていました。いつもなら結構ですわ!と突っぱねていたかもしれませんが、私は甘えるように泣きました。


「アレクサンドラ嬢は、寂しいんだよ」


「‥え?」


「ジュリアさんがまるで別な人になったみたいで。好きな人の手を取って、どこか遠くに行ってしまうんじゃないかって寂しいんだ」


「‥‥なんで、私が‥」


 そんな幼稚な理由で泣くなんて信じられないのに、ストンと何かが心に落ちました。レックス様の言葉で自分の気持ちに納得したのかもしれません。


「ジュリアさんのことが大切で、大好きで仕方がないからだよ。でもそれはジュリアさんも同じ。大丈夫だよ、アレクサンドラ嬢。2人はずっと互いを思い合える素敵な姉妹のままだから」


「‥うぅ‥‥」


「‥‥提案があるんだけど」


「‥?」


「‥抱き締めてもいい?そっちの方が、アレクサンドラ嬢も俺の胸でたっぷり泣けるよ」


「‥‥」


 私は小さく頷きました。レックス様が優しく笑って、私のことをすっぽりとその腕の中に収めました。

 寂しくて寂しくて心細くなっていた筈なのに‥私は安心して声を出して泣きました。

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