なんでお前、そんな髪長いの?


「・・・よし、それじゃあ降りようか、スピカ」


 しばらく抱っこして、ご機嫌な様子のスピカを伺い、そろりとその柔らかい身体を降ろそうとする。と、


「やーっ! めー!」


 嫌々と首を振り、ぐっと小さな手がわたしの首に腕を回してしがみ付く。


「だっこっ! ねーしゃ、だっこぉ!」

「え~……スピカ。あのね、君は重たいから、ずっと抱っこしてるのは大変なんだよ?」


 一応スピカは普通くらいの大きさ(約十キロくらい)という話なので、あんまり重くないらしいけど、子供のわたしには重たい。少しの間なら抱っこはできるけど、ずっと抱っこし続けているのはキツい。


「めーっ!」


 話の通じないお嬢さんは、嫌々をしてわたしの言うことを聞いてくれないらしい。


 そしてなにより、大きな問題があって――――


 わたしは、スピカを抱っこしたまま歩くことが怖い。もし、スピカを落としてしまったら……と考えると、一歩が踏み出せない。


 誰か通らないかな? と考えていると、


「おーい、ネイサーン!」


 後ろでロイの呼ぶ声がした。そして、パタパタと走る音が近付く。


「そろそろ授業始まるぞー? それともサボる気か? なら俺も誘えよな」

「うわ、もうそんな時間?」

「おう。って、なんだ。またかよ?」


 隣まで来たロイが呆れ顔をする。


「さっさと降ろしゃいいってのに」

「だって、ほら」


 降ろそうとすると、


「やぁ! だっこぉ」


 嫌々と首を振ってしがみ付かれる。


「ったく、仕方ねぇな。ほれ、兄ちゃんが抱っこしてやる。来い、スピカ」


 わたしの首に回った小さな手を取り、ひょいとスピカを抱き上げるロイ。


「ほら、ネイサン。今のうち行け」

「ありがとう、ロイ」

「おう。先行ってろ。それじゃあスピカ、兄ちゃんが遊んでやる。高い高い、と言いたいところだが、まだ俺には難しいからな……低い低いだっ!」


 ロイは抱き上げたスピカを手慣れた様子で膝下付近でゆらゆら揺らし、きゃっきゃっと喜ぶスピカを廊下にころんと降ろすと、


「おら走れネイサンっ!」


 パッと駆け出した。


「? ・・・にーちゃ? あ、うぁ~っ!?!?」


 スピカはぽかんとした顔で走るロイの後ろ姿を見上げ、次いで逃げられたことに気付いたようで、みるみるうちにぷくぷくの顔が赤くなり、大きな泣き声が廊下に鳴り響いた。


「ちょっとロイっ、泣いてるよっ!?」

「おう。気にすんな。つか、早く走れよ。さっさとしねぇと、追い付かれっから」

「え?」


 と、スピカを見ると、


「にぃ~ぢゃ~、ねぇ~しゃ~っ!?」


 泣きながら、猛然とハイハイでこちらへ向かって来ていた。


「って、速っ!」

「まだ歩き始めたばっかだからな。ハイハイの方が速いっぽい。ほら、追い付かれる前に行くぞ」


 ロイに手を引かれるが……


「でも」

「いいっていいって。どうせすぐ誰か来る」


 すると、ロイの言った通り、パタパタと侍女が走って来て、サッと泣いているスピカを抱き上げると、わたし達に一礼して連れて行った。


 泣き声が遠くなる。


「ほらな? つか、サボる気無ぇならもう行かないとヤバいって。ま~た母様の拳固食らうぞ」

「ぅ、わかった。行く」


 ミモザさんの拳骨は痛い。


✐~✐~✐~✐~✐~✐~✐~✐


「なぁ、ネイサン。俺さ、ずっと気になってたんだけどよ~」

「なに?」


 家庭教師からの宿題を二人でやっていたときのこと。飽きて来たのか、ロイが絡んで来る。


「なんでお前、そんな髪長いの? なんで女の子みたいに髪伸ばしてんの?」


 つんと、首の後ろで簡単に括った髪が軽く引っ張られた。


「え?」


 ロイに聞かれたことの意味がわからなくて、首を傾げる。


 そう聞いたロイの髪は、普通に短い。


 というか、わたしくらいに髪の毛の長い男の子は、見たことが無い気もする。


「? いや、だってお前、しょっちゅうスピカに髪引っ張られて迷惑そうな顔してんじゃん。痛そうだしさ。なのになんで切らねぇの? って思ってさ」


 ロイはとても不思議そうだ。


「ぁ~……いや、これは別に伸ばしてるワケじゃない、と思う」

「は? そんな長くてか? 腰くらいまであって? なに言ってんのお前」

「前髪は目に入ると困るからって、乳母が切ってくれてたけど……後ろは、切ったことない」


 確かに、わたしの髪は男にしては長い。結んでない状態で、腰くらいまでの長さがある。

 今嫌なことに気付いたけど、丁度スピカが立ったときに掴み易い位置にあるのかもしれない。


 まぁ、それはかく、実は物心付いてから、前髪以外切った覚えがない。だから、腰の位置くらいここまで伸びた……のだろう。


「? なんで?」


 ……多分だが、わたしの髪を切っていいのかわからなかったから、なのかもしれない。

 父も母も、わたしのことはあまり関心がないから。わたしの乳母は……母にあまり好かれてなくて、避けられていたみたいだし。髪を切っていいのか聞く機会がなく、ずるずるとここまで来たのだろう。


 祖父母も、特になにも言わなかったから……父か母の趣味で、わたしの髪を伸ばしているのだと思っていたのかも。


 兄上の髪は長めではあるけど、こんなに長くはないから……わたしのこの腰まである長い髪は、わたしへの関心の無さなんだろうけど。


「誰も切ってくれなかったから……?」

「マジかよっ?」

「うん」


 目をまるくして驚くロイに頷く。


「じゃあさ、お前が切ってもいいって思うんなら、切ってもいいんじゃね? そしたらさ、立ってるとき後ろから髪引っ張られなくて済むぜ」

「! そうだね! じゃあ、切ろうかな」


―-✃―――-✃―――-✃―-―-


 早速、ロイが散髪が得意だという侍女を呼んで来て、髪を切ってもらった。


 腰まであった髪の毛をバッサリと、肩の辺りまでの長さにしてもらった。


 もっと短くてもよかったけど、ずっと長かったのをいきなり短くすると、風邪をひいたり体調を崩すかもしれないからと、この長さに落ち着いた。


 確かに背中が涼しくなって、頭もなかなか軽くなった気がする。ずっと長かったから意識してなかったけど、髪の毛って意外と重さがあるらしい。


 そして、なにより一番嬉しいのは……これでもう、歩いているときにいきなり後ろからスピカに髪を引っ張られなくて済むということっ!!


 まぁ、抱っこしたり座っているときには、変わらず引っ張られそうな気はするけど……

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