はじめましてって、よろしくしましょうね~。


「俺はロイだ。お前は?」

「ネイサン」


 わたしの滞在する屋敷の、同い年の少年ロイがムッとした顔で右手を差し出した。が、


「っ、痛ってぇっ!?」


 ガツン! と、その頭頂部へと拳が落ちた。


「お前はっ、挨拶もろくにできないのかっ!?」


 次いで、ロイの背後から低い声。ロイと似た男性が現れた。おそらくはロイの父親なのだろう。


「なにすんだ父上っ!!」

「煩い、お前は黙ってなさい! 全く。すまないね、ネイサン君。このアホが言ったことはその……気にしないでくれ。悪かったね」


 気遣わしげなロイの父に首を振る。


「いえ、大丈夫です。お気になさらず」


 むしろ、なんだか清々したような気もする。やっぱりわたしは、両親によく思われてないのだと。


 もう、いいかな?


 両親がわたしをよく思ってないんだったら、わたしも・・・もう、頑張らなくていいかな?


 わたしだって、自分なりに両親と親しくなろうとはしてみた。けど、父も母もいつも疲れた顔をしていて、「後にしてくれ」と言って、わたしの相手なんかしてくれなかった。


 あの家で、わたしと親しくして、わたしの相手をちゃんとしてくれた家族・・は、兄上だけ。


 そしてわたしは、隣国の親戚の家ここにいる。


 この状況こそが、両親の答えだろう。


 両親にあまりよく思われてないとしても、わたしはちゃんと、祖父母と兄上に大事にされている。


 だから――――わたしは大丈夫。


「それにしても、ネイサン君は若い頃のネヴィラ伯母上に似ているね。すぐに判ったよ」

「ネヴィラおば上? ああ、おばあ様のことですか。そう言えば、よく言われますね」


 おばあ様は白髪の混じる金茶の髪にペリドットの瞳で、若い頃は美女だと社交界で評判だったそうだ。今でもお綺麗だと思うけど。

 わたしは金茶の髪に薄茶の瞳をしている。兄上に、「ネイトの瞳は、お日さまに透けると翠色に見えて綺麗だね」って言われたけど、自分では見たことがないからわからない。鏡で見るときには、いつも普通に薄茶の瞳だし。


「そうか。わたしは、君のおばあ様の弟の息子に当たるトルナード・クロシェンだ。わたしのことは、気軽におじさんと呼んでくれて構わない」

「ネイサン・ハウウェルです。本日よりお世話になります。よろしくお願いします」


 目を細めながら微笑むトルナードさんへ、ぺこりと頭を下げる。と、


「こちらこそ、よろしくお願いします。うちの愚息がごめんなさいね。しつけがなってなくて恥ずかしいわ。わたしはロイの母で、ミモザと言います。この子は妹のスピカよ。よろしくね、ネイサン君」


 赤ちゃんを抱いた女性が現れた。


「ほら、スピカ。今日から一緒にお家で暮らすネイサン君よ~? はじめましてって、よろしくしましょうね~」

「おーち? ね~、しゃ?」


 舌っ足らずな声。ぽわぽわした亜麻色の髪で、つぶらな瞳の、目の覚めるようなコバルトブルーがわたしを覗き込み、にこーっと笑う。


「よ~、しうー?」


 ぷにぷにしてそうな小さな手がわたしの方へ伸ばされたと思ったら、


「え? っ!!」


 そのまま、小さな身体がぐらりと傾いた。危ない! と思わず出した手が、小さな手に掴まれる。ぎゅっと握られた指先。細くて小さな手の、思わぬ熱さと力強さ。ほわりと甘酸っぱいような優しい匂いがする。


「へ? な、なに?」

「あら、ネイサン君に抱っこされたいみたい」

「はあっ!? ちょっ、あ、危なっ! なにっ? どっ、どうすればっ!?」


 びっくりしてわたわたと慌てるわたしに、なにが楽しいのかきゃっきゃっと笑った顔が近付き、小さな手がぺたぺたと頬を叩く。なんだか、その手が濡れてるような気がするんだけど……?


「もしかしてネイサン君、赤ちゃんを抱っこしたことない?」


 小さな手がなに・・で濡れているのか、気になったのは一瞬のこと。赤ちゃんが、ミモザさんの腕から抜け出そうともぞもぞと身をよじる。


「な、ないですよっ!?」

「ねーしゃ♪」


 慌てるわたしを余所に、赤ちゃんはきゃっきゃっと笑ってわたしの方に身を乗り出す。ふにゃふにゃと柔らかく、ちょっと高めの体温が、わたしの腕にぐでんと寄り掛かって来る。


「ねーしゃ、ねーしゃ♪」


 とうとう腕に乗って来たふにゃふにゃでぷにぷにの柔らかさが、なんだかとても脆そうに感じて、怖くて迂闊うかつに動けない。

 おまけに、ミモザさんは手を放すしっ!!


「ちょっ、ミモザさんっ!?」

「あらあら、スピカはネイサン君を気に入ったみたいね。抱っこされてよかったわね~」


 にこにこと笑うミモザさん。いや、そんな場合じゃないんですけどっ!?


「大丈夫よ。大丈夫。ほら、こうしてお尻を持つようにして、腕を背中に回すの。そう、上手よ」

「ぷっ、どこが上手いんだよ? 抱っこすンの下っ手くそじゃね? ほ~ら、スピカ、兄ちゃんが抱っこしてやるぞ~。おいで~」


 と、ロイが手を伸ばし、わたしの腕から赤ちゃんをひょいと持ち上げて自分の腕に抱っこした。


「ふっ……よ~し、スピカは可愛いなぁ」


 彼は妹を抱き慣れているようで、確かにその手付きは危なげなく、余裕そうで……だからと言って、ふっと鼻で笑う必要はあるのだろうか? わたしに。それも、得意気な顔で。


 なんかこう・・・若干、イラっとする。


「なに言ってるの。初めてにしては、ネイサン君は上手いわよ。あなたの方が、スピカを抱っこするのもっと下手くそだったわよ? ロイ」

「なっ! か、母様っ!?」

「ねー? スピカ」

「あい!」

「っ、スピカまで……」


 得意気だった顔から一転。落ち込むロイの顔を、きゃっきゃっと笑いながら楽しげにぺしぺしと叩く赤ちゃん。


 こうしてわたしは、クロシェン家預りとなって、彼らの家に滞在することになった。

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