23. 夢の中4

 俊彦と詩織が付き合い始めた頃、工場の人手不足は限界を迎えようとしていた。事業規模の拡大にあれほど慎重だった先代も、重い腰を上げざるを得なくなった。


 さほど間を置かずに会社の規模はそれまでの倍ほどに膨らんだ。受注が増え続けるようなら、すでにいるパートに加えてさらにアルバイトを雇う話も出ていた。


 人手が増えたおかげで人並みの休みがとれるようになった俊彦は、詩織と毎週のように旅行に出かけるようになった。


 俊彦は詩織のおかげで愛する女の中で果てる喜びを知った。詩織も以前に深い付き合いになった男はいないらしい、高校生の頃に一度彼氏ができたが、父親の輝邦が一人娘を溺愛していることを知って、怖気づいて離れていったそうだ。


 大学に入ってからも、同じ大学に入った高校の友人たちが、周囲にその時の事を面白おかしく話してしまったせいで、詩織に近づこうという勇気のある男はいなくなったらしい。


 二人は互いに初めて知った喜びを一心に貪った。二人とも実家暮らしだから平日に交わることは難しい。一週間分の欲望を休日にまとめて晴らそうとすると、回を追うごとに行為は激しくなっていった。


 旅先には知り合いのいない土地を選んだ。二人は毎回なるだけ早く宿に入ると、部屋の鍵を閉めた瞬間に交わった。


 旅に出るとき俊彦はいつもベルトがいらないズボンを穿いた、詩織は短いスカートを穿いて、事情が許す時は下着も着けなかった。夕食を済ませてから風呂に行く前にも交わり、風呂から帰ると寝るまでずっと交わり続けた。


 俊彦には思春期から膨らませた数え切れない妄想があった。宿の朝、俊彦のものにはゴムがはまったままで、中には必ず精液が残っていた。前日にいくら酒が入っていようと、それは変わらなかった。


 詩織にも俊彦と似たようなものがあったのだろう、彼女の記憶は毎回必ずエクスタシーの瞬間で途切れ、気づくと朝を迎えているらしい。


 二人の獣には互いに獲物を得るまではけして狩りを諦めない強欲さがあった。その強欲さが自分だけのものではなかったと知った二人は共に安堵し、さらに愛を深めた。


 互いの体の突起で口に入るものはすべて吸い、すべての穴も舐めつくした。思いついた体位で人間に可能と思われるものはすべて試した。衣装もお決まりの学校の制服に始まって、手に入るものすべてを試し、それに飽きると互いを縛って犯した。


 抱き合うようになって一年も経った頃には、二人の間に目新しい行為は、変わった場所ですることぐらいしか残されていなかった。


 初めて交わってから二度目の夏、俊彦は詩織をキャンプに誘った。夜誰もいない河原や山の中で、時には海岸の狭い岩陰で抱き合った。夜だけでは飽き足らずに昼間も何度か抱き合った。


 それでも満足ができなくなると、それまで避けていたキャンプ場にテントを張り、薄い布一枚を隔てて他の客たちが行きかう中で、声を殺して何度も極みを味わった。


 真夏の昼間に交わった時は熱中症にもなりかけた、二人の体が擦れ合うたびに汗が絡まり厭らしい音を立てていたから、周囲のテントの客たちは中で二人が何をしているのか気づいていたかもしれない。たぶん若いカップルだからと大目に見てくれたのだろう。


 二人は詩織の卒業に合わせて結婚した。古い和菓子屋にちなんで式は仏前にしたが、披露宴は詩織の希望で洋装にした。細身の詩織には和装よりもドレスがよく似合っていた。満足気に二人を見る俊彦の両親と佐橋夫妻の隣で、詩織の父親である輝邦は酔った体を妻に支えられ、最後まで泣き崩れていた。


 結婚から三年ほどで、二人の間に息子が生まれた。俊彦はまだしばらく詩織の体を楽しみたかったが、一度ぐらい無粋な薄皮から解き放たれてみたくて、大丈夫と言われた日に試したらできてしまった。


 後で考えればあれは詩織の策略だったのかもしれない、実際、跡取りを望む両家の希望はそれほど強かった。息子の名前は俊彦と輝邦から一文字ずつとって「輝彦」にした。


 詩織が輝彦を妊娠したのと同じ頃、永遠に続くと思われていた好景気に陰りが見え始めた。人々の欲望をはらんで膨れ上がった景気の終わりは当初は静かなものだった、多くの人々は、しばらくそれに気がつかなかったほどだ。


 だから皆が気づいた頃には、状況はもう手が付けられなくなっていた。その後は先代の危惧した事が、最悪の形で現実になった。


 大きくしたばかりの会社を維持するために、俊彦たちは次の子供を作ることを先延ばしにして働いた。


 夫婦は二人とも一人っ子だったせいか、周りに子供が大勢いる人生をうまく想像できなかったようだ、そのままそれほどこだわらないうちに時は過ぎ、会社の経営がなんとか落ち着いた頃には、子供は輝彦一人で十分だと思うようになっていた。


 思えば二人は初めにあまりにも性急に交わりすぎたのかもしれない。輝彦が中学生になった頃には、二人はほとんど交わらなくなっていた。


 身も心も母親になってしまった詩織に、俊彦は女を感じなくなっていたし、詩織も腹が醜くたるみ始めた俊彦に、男を感じなくなっていたのかもしれない。


 だが夫婦は仲が良かった。確かに肉体からだの喜びは遠のいた、しかし二人にはかつてあれほど激しく求め合った記憶がある。夫婦は分かり合えていると俊彦は信じていた。

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