氷漬けの君

なんぶ

氷漬けの君

 「うっぶぶぶぶぶぶぶぶ……ぶぶ……うぶぶぶ……」

 上の歯と下の歯が小刻みにぶつかり続けている。絞り出すようにして吐く息は白く、すぐに北の風に散らされる。障害物が何もないので、どんどん強風に体温を奪われていく。

 ごぉっ。

 北風の唸り声だ。

 とっさに背負っていた氷塊を盾にして、やり過ごす。あっという間に周りが見えなくなってしまった。白い闇の中だ。さっきまでどちらから歩いてきて、これからどちらに向かっていたのかわからなくなってしまいそうだ。

 「大松の木を越えたらすぐだって言われたのにな。うぶぶぶぶぶぅ……」

 かじかむ手で氷塊を優しく撫でる。

 その中には、美しい、高貴な身分の女性が絶望と驚きの表情で硬直していた。

 ——氷漬けにされていた。



 「噂になってるよ、あんた」

 結局、宿に辿り着いたのは太陽が落ちる寸前だった。

 「氷漬けのお姫様を背負った汚い男が、常夏の国へ向かっているって」

 毛布を何重にも重ね、バームクーヘンのような姿で彼はホットココアをすすった。

 「王様の命令でね、彼女を融かした暁には次期国王を約束すると言われてる」

 「本当か、それ? 話が出来すぎてるな」

 「次期国王は言い過ぎか。王家直々の配下にしてくれるらしい」

 「こんな汚い男にお姫様の行く末を賭けるなんて、よほど小さな国とみた」

 「まあ、否定はしない。俺が雪国の出だったから話が来ただけさ。かわいい妹のためなら、藁にもすがるんだろう」

 「しっかし、なんて……まあ……」

 宿屋の主人が氷塊をちらりと見る。暖炉の前に鎮座するそれは、全く融けていない。

 「あれはただの氷じゃないんだ」

 「だろうな」

 「ある日、小さな国に常闇の魔王が現れた。そいつは国全てを凍らせて、最後にお姫様を氷漬けにして奪おうとした。だが、小さな国の王が抵抗して、失敗した。魔王は散った。残ったのは氷漬けの国と、氷漬けのお姫様と、死にかけた王様だけだった」

 「魔王の氷魔法が、ご家庭の暖炉で簡単に融けるわけがないわけだ。そりゃ藁にも、汚い男にもすがるなあ」



 男と氷塊は、次の日の朝早くに宿を出た。

 それから山を三つと大きな川を二つ、小さな街を四つ越えてまた山を二つ越えた。

 川に下ろそうとも、氷は融けずに冷気を放っている。

 「大したものだな、全く……」

 洗濯をしていて目を離した隙に悪ガキたちが氷塊を倒そうとしていた。

 男は怒鳴って、やめさせた。

 「真っ二つにでもなったらどうしてくれるんだ!?」

 悪ガキたちは蜘蛛の巣を散らすようにして逃げていった。

 「ああ、すまない。君に怖い思いをさせてしまった」

 姫は全く同じ表情で硬直している。



 日陰がない。

 どこまで行ってもない。少なくても今日歩く道にはなさそうだ。

 汗が無限に垂れてくる。口の中や足が痺れてくる。バチは当たらないだろうと、氷塊を少し舐めたら、下がくっついてしまった。離れるまでとても痛かった。

 背中は氷塊で冷やされているとはいえ、日陰のない道を延々歩くのはあまりに苦行だ。

 火傷のようになった足を氷塊にくっつけながら、今日の宿のことを考える。

 どこまで行っても砂漠、人のいる気配がない。日はもう落ちつつある。野宿だ。

 夜になっても蒸し暑い。砂漠なのに、湿気がある。水場が近いはずだが。

 だが、常夏の国へ近づいていることも事実。



 「本当に、本当に来たよ!」

 風景が熱で歪んでいる。人らしきものが見えるが、よく見ることができない。脱水症状を起こしていた。水は今朝で尽きていた。

 「氷漬けのお姫様を背負った男だ!」

 夢か、幻か。もうどうでもよかった。とてつもなくしんどかった。

 その場に倒れ込んで、人の気配を感じつつも、意識を手放した。

 もう、ここまでやったから。いいだろう。そう思った。


 目を覚ましたのは次の日の朝だった。

 「ねえ男が起きたよ!」

 「こんなところまでご苦労様」

 「彼女は……!?」

 「心配なさらんな」

 氷塊は完全に消えていた。常夏の国に伝わる融かしの魔術が効いたのだ。

 彼女は眠っているように横たわっていた。あの絶望と驚きの顔はなかった。

 「あいにく、蘇生魔法はうちの国では禁忌でね。融かした時すでに、息はなかったんだ」

 「そんな……それは…………」

 一か八かの賭けで常夏の国へ来たけど、功を奏して良かった。

 「…………つまり、ここを獲ればかなり有利になるんだな?」

 「今、なんと?」


 常夏の国の人々は、その時何が起こったかわからなかった。

 わからないまま、みんな氷漬けにされた。

 あの小さな国みたいに。


 「この姫とやらがあまりに反抗するから加減を間違えてしまった。そのせいでかなりの回り道をしたわけだが、結果的に脅威を減らせたのだから良しとしよう」

 汚い男は汚い服を脱ぎ捨てた。身体中に禁忌の魔術の刺青が走っていた。

 「ああ、やっとやっと静かな人形になった。第一印象は最悪だったが、こう共に旅をしてみるとお前はかわいい。兄が溺愛した理由もわかる。兄は今頃凍った湖の底だから、我が代わりになろう」

 姫はだらんと、魔王に抱きしめられた。

 「さて次は、力が弱まっているであろう火山の国へ参ろうか」

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氷漬けの君 なんぶ @nanb_desu

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