ドラッグパーティー

……………………


 ──ドラッグパーティー



 アロイスは絶対に自分の商品には手を出さない。


 だが、下っ端の売人たちは違う。連中は自分たちがドラッグを買うために、他人にドラッグを売る。ドラッグの売人もまたドラッグ中毒なのだ。


 そんなドラッグ中毒者たちはパーティーを開く。ドラッグパーティーだ。


 アロイスの売っているようなスノーホワイトの出涸らしのようなゲートウェイドラッグを使ってから酒を飲み、踊り、歌い、馬鹿騒ぎをするのである。


 この手のパーティーのことをアロイスは知っている。10年間の年月の中で、ドラッグカルテルのボスたちですら、こんな馬鹿みたいなことをやるだから。もちろん、ドラッグカルテルのボスたちはスノーホワイトの出涸らしみたいなちんけなドラッグは使わない。精製してよりハイになれる危険なドラッグを使う。


 アロイスはその手のパーティーが嫌いだった。


 アロイスはそもそもドラッグが好きではない。自分がドラッグカルテルの幹部の地位にありながら、扱っているドラッグのことを好ましく思っていなかった。


 ドラッグは人を腐敗させる。かつては頭の冴えていた幹部が商品に手を出し、落ちぶれていく様子は見てきた。ドラッグは脳を侵食する。精神を腐敗させる。人を堕落させる。だから、アロイスはマーヴェリックのような安易にドラッグに頼らず、他の楽しみを見つけられる知的な女性が好きだ。


 だが、エルケはドラッグに手を出した。


 それでもまだアロイスはエルケに複雑な感情を抱いていた。


「最近、どう?」


「え、ええ。今のところ順調かな」


 エルケの成績は落ちていないと教授たちからは聞いている。


 エルケはドラッグに本当に手を出したのだろうかとアロイスは思っていた。


 興味本位で1回切りという可能性もなくはなかった。だが、ドラッグは常習性があるからこそ危険なのだ。1回切りと思って、またもう1回くらいならばと思い続け、ずるずるとドラッグの沼に引きずり込まれて行くのが危険なのだ。


 そして、さらなる刺激を求めて、もっと危険なドラッグに手を出す。


「エルケは具体的にどういう薬を作りたいの?」


「父が肺がんで亡くなったから、抗がん剤を。今の抗がん剤は副作用も強いし、効き目も定かじゃない。それなのにがんで亡くなる人は増える一方。生活習慣の変化と新しい化学物質の登場でがん患者は増え続けている。それをどうにかしたいと思うの」


「そうか。お父さんのためなんて君は立派だね」


「そうかな」


 アロイスは父を憎んでいる。自分をドラッグビジネスに引きずり込んだハインリヒを憎んでいる。ハインリヒを自然死に見せかけて殺せる薬物が開発できるなら、喜んで開発に手を貸すだろう。


 だが、少なくともハインリヒは自然死しない。そのことはアロイスが知っている。ハインリヒは事故で死ぬのだ。このまま運命通りに死人が出続けるのであれば、だが。


「ところでスノーホワイトって知ってる?」


「知ってる。麻酔学の講義で出たでしょう?」


「そういう意味じゃなくてさ。分かるだろ?」


 エルケは結局スノーホワイトに手を出さなかったのだろうかとアロイスは思う。


 アロイスの心の中ではエルケが夢を叶えて、製薬会社で抗がん剤を開発するのを歓迎したという思いと反面に、スノーホワイトに手を出して身を滅びしてしまってほしいとの思いがあった。愛憎相半ばするとはまさにこのことだ。


「……うん。進められて1回だけやった。誰にも言わないでね?」


「言わないよ。やったのは1回だけ?」


「1回だけ」


 1回だけ。1回で終わるだろうか。アロイスが扱っているスノーホワイトの出涸らしは安い。手を出そうと思えば金持ちの娘ならば簡単にもう一度手を出せる。それからずるずるとスノーホワイトの刺激なしではやっていけなくなる。


「今度、パーティーがあるんだけど来ない?」


「パーティー? どんなの?」


「気の合う仲間でわいわい騒ぐパーティー。パーティーは好きじゃない?」


「そんなことない。誘ってくれてありがとう。パーティーはいつ?」


「明日の20時から。場所は案内するから大学の正門前で待ち合わせでいいかい?」


「分かった」


 アロイスは善意からエルケをパーティーに誘ったわけではない。


 試しているのだ。彼女を。彼女がドラッグで破滅するのか、それともしないのか。


 神の不在を証明するような大災害が起きたときに聖職者たちは声を揃えて言うではないか。『神は我々を試されておられるのです』と。『我々が苦難に立ち向かうことができるのかを試されておられるのです』と。


 ならば、アロイスも試そうじゃないか。


 果たしてエルケは苦難に耐えられるのかどうか。誘惑に耐えられるのかどうか。


 そう、ドラッグパーティーの場で。


 開催されるのはドラッグパーティーだ。もちろん、表向きはただのパーティーである。アロイスがナイトクラブを貸し切って、学生たちを集め、馬鹿騒ぎをする。そして、ドラッグを売る。


 パーティーで新しい客が増えることもあるし、売人たちにボスが誰なのかを示すこともできる。ただ、アロイスは自分がボスだということを示したいのは売人たちに対してだけで、普通の学生たちにはパーティーの参加者のひとりと思わせておきたかった。


 このドラッグビジネスの場において、目立つことはメリットとデメリットの両面がある。メリットは売人や他のカルテルのボスたちに権力を示せること。ドラッグカルテルのボスたちが目立つスポーツカーを乗り回し、金のアクセサリーを身に付け、派手に金をばら撒いて遊ぶのは自分がそれだけ金を持っているぞということを示す示威行為である。


 デメリットは捜査機関の目を引くこと。金遣いが荒く、権力を誇示すればするほど捜査機関はその人間を危険視する。金があるということは暴力もまた備えているということを意味するからである。それに加えてその金の出どころは大規模なドラッグ取引によるものであることは間違いないのだ。


 アロイスはひとつだけハインリヒを見習っているところがある。


 目立たなければならない人間に対しては目立ち、目立つべきでない人間に対して目立たないという点。ハインリヒは財産を散財して財力を誇示せず、金のアクセサリーも身に付けない。だが、その金は“連邦”の全捜査機関を買収してしまえる程であり、彼がドラッグカルテルの幹部たちをもてなす場では一流の品が振る舞われる。


 それ以外の富は投資に使われている。


 マネーロンダリングを行って綺麗になった金は不動産投資や株式投資などに使われている。富はさらなる富を生み、ヴォルフ・カルテルという帝国は栄える。


 アロイスもハインリヒを見習って目立つ場ではない場所では目立たないことにしている。今回のパーティーもナイトクラブを貸し切ったのがアロイスであることを知っているのは大学にいる売人たちだけだ。


 アロイスは影で動く。


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