自己責任で

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 ──自己責任で



 マーヴェリックとは意外と長い関係になった。


 長いと言っても2週間だ。だが、それだけでアロイスには十二分に長かった。


「俺といると危ないかもしれないよ」


「あんたがドラッグを売ってるから?」


「ああ。そういうこと」


 大学の傍に借りたアパートメントの一室で半裸のマーヴェリックにアロイスがコーヒーを入れながら言う。これから大学に行って、また薬学を学び、ドラッグを売る。


 アロイスもマーヴェリックもドラッグは使わない。それ以外のことで満足している。マーヴェリックのとの日々はドラッグがなくても刺激的だ。


「危険な男は好きだよ。熱々なリスクがあればあるほど燃えちゃうね」


「困った人だ。一体、大学の文学部で何を習っているんだか」


 アロイスは南部風に入れたコーヒーをマーヴェリックに渡した。彼女は“国民連合”の南部出身者だということを最近知ったからだ。


 彼女は秘密をいくつも抱えている。アロイスが尋ねても答えないことがある。


 “国民連合”の麻薬取締局捜査官? それはないだろう。スノーホワイトの出涸らしみたいなケチなドラッグを扱っている小物を相手にしているほど、向こうも暇じゃない。


 今は国際情勢同様、カルテル間でも冷戦が続ていた。


 キュステ・カルテルは完全な独立を求めている。扱える薬物をもっと増やしてくれというのが彼らの望みだった。だが、ハインリヒはそれを拒否している。キュステ・カルテルは海路で“国民連合”や西南大陸と繋がっている。それは莫大な富を生み出し、それと同時にさらなる暴力を得ることに繋がる。そして、権力が生まれる。


 シュヴァルツ・カルテルは双方に不干渉を貫いているが、最近売人が逮捕される事件が増え始め、ヴォルフ・カルテルのボスであると同時に連邦検察官という立場にあるハインリヒを疑っていた。


 グライフ・カルテルはカールが何かを考えている。裏切りの算段を進めている。


 全てはアロイスが10年間で掴んだ醜聞と人脈を駆使して得た情報だ。金と暴力は権力を生む。情報は権力に知性を与える。暴君を賢帝に変える。


 今の麻薬取締局はこの冷戦構造を解析するので忙しいだろう。


 マーヴェリックは少なくとも自分を脅かす存在ではないとアロイスは思っている。


「あたしは危険なことが好きなんだ。暴力的で、破滅的なこと。文学はその欲求を満たしてくれる。文学の世界は自由だからさ。人を殺そうが、浮気に浮気を重ねようが、嘘を吐こうが、裏切ろうが、子供を痛めつけようが、自由だ」


「確かに。文学は自由だ。少なくともこの資本主義陣営においては」


「自由世界万歳。くたばりやがれ、アカ野郎ってね。アカの国にない自由がこっちにはある。文学の自由もそのひとつ。あたしはこの国の文学が好きだよ。長い間、抑圧されてきた歴史を持っているせいか、歪んでいる。この国の人間はきっと祖国が抑圧されている間、ドラッグの代わりに文学で欲望を満たしていたんだろうな」


「『我らが大地が赤いのは祖先の血と敵の血が流れたからだ』」


 “連邦”は国家として苦難の連続を繰り広げていた。


 入植者たちによる壮絶な独立戦争、それに続く長々として陰湿な内戦。“国民連合”の政治的、軍事的介入と政治的植民地化。原住民の公民権運動。それに対する軍の抑圧。この国の大地は血に塗れている。


「アルノルト・アウラー。戦争の話は好きだ。特にこの国の悲惨な革命と内戦を語った話は。この国の人間の陽気さの裏に隠された暴力性が暴かれている」


「流石は文学部らしい分析だ」


 アロイスはマーヴェリックと過ごす日々は楽しいと思っていた。


 爽やかな性格で、独立心が大きく、教養があり、ドラッグに頼らず楽しめる関係を作れる女性。こういう女性とは1度目の人生では出会えなかった。


「結局のところ、文学に求められるのは美と面白さだ。美しく、面白ければ、どれだけ人の道を外れていようと文学は許容する。まさにセックス、ドラッグ、バイオレンスそのものの作品が評価されている」


「料理と同じだね。美味ければどんな材料でもいい」


「いいや、違うね。料理はいくら美味くても人肉やドラッグを混ぜることはできない。だが、文学はそういうことを気にしない。本当に自由だ」


「根っからの自由主義者だったのかい?」


「そうとも。アカに迎合するようなヒッピーどもとは違う。本当の自由主義者だ」


 マーヴェリックは反共主義者だ。


 アロイスはと言えばどちらでもなかった。


 共産主義に染まった連中は馬鹿だが取引相手にもなる。資本主義社会でもドラッグは商売のネタになる。結局のところ、富をもたらすならばアロイスは西南大陸にいる共産主義ゲリラとでも取引するし、軍事政権とも取引する。


 アロイスが信じるのは金と暴力。そして、権力と確かな情報だけだ。


 ドラッグビジネスは政治的イデオロギーを問わない。


 だが、アロイスは今は共産主義陣営と取引するつもりはなかった。下手に共産主義陣営の利益となり資本主義陣営の盟主“国民連合”から目を付けられたくはないのだ。


 アロイスを殺しに来るのは“国民連合”の麻薬取締局捜査官なのだから。


「そういえば、文学部でもあんたのドラッグにのめり込んでいる連中がいるよ」


「俺は学部を問わずに商売しているからね。それに最近では人を雇っている。取引の全てを把握してはいない」


 アロイスだけが売人では売り上げは限られる。


 もっと多くのドラッグを売りさばかなければならないのだ。


 特に“国民連合”の裕福な学生には、国に帰ってからもドラッグを求めてもらい、将来的な顧客になってもらわなければならない。そいつがオーバードーズを起こして棺桶に入ってしまうまでは。


「そのうち死人がでるね」


「自己責任だよ」


 ドラッグをやるのは自己責任。アロイスは押し売りはしていない。


 もちろん、ドラッグの売人に罪がないとは言わない。だが、手を出す方の心の弱さも追及されるべきだ。アロイスはそう思っている。


 ドラッグに頼らなければ親にも、国家にも反抗心を持てないような連中が、腐ったヤク中になったところで社会は何も損をしない。特に口先ばかりの平和を叫び、親の金で大学に通って、その親に反抗し、勉学を疎かにしている救いようのない連中は。


 アロイスは優秀な成績を収めつつ、親のドラッグビジネスを手伝い、着実に進んでいる。マーヴェリックの言うような馬鹿みたいなヒッピーとは違う。


 このままならば、来年にはアロイスは一足先に大学を卒業するだろう。単位は飛び級しても足りているし、もう卒論にも着手している。できれば、大学院まで進んで製薬に関する研究がしたかったが、もうその願いは叶わない。


 自分がこんな不条理な苦難を背負っているのに、親の金でドラッグを買い、のめり込む人間がいたところで、アロイスは気にしない。


 そのはずだった。


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