二度目の人生の生存戦略! ~平穏な暮らしを殺してでもうばいとる~

第616特別情報大隊

10年前

二度目の人生

……………………


 ──二度目の人生



 ああ。空が綺麗だ。


 アロイス・フォン・ネテスハイムは空を見上げてそう思った。


 痛みは鈍く響いている。9ミリ拳銃弾が抜けていった腹部が痛む。血が流れていくのが分かる。血が止まらない。寒気がしてくる。体温が急激に低下していく。


「アロイス・フォン・ネテスハイム!」


 アロイスを撃った魔導式拳銃を握った男が姿を見せる。


 麻薬取締局DEAと記されたボディアーマーを纏ったスーツ姿の男が拳銃の狙いをアロイスに定めたまま、歩み寄ってくる。服装はスーツだが、靴は登山靴だ。


「お前……。お前は終わりだぞ……。俺が誰か分かってるのか? お前は英雄になったつもりか? 国に帰れば、お前のキャリアも人生も何もかもお終いだ、クソッタレ……」


 アロイスは柄になく強がってみる。


 銃を持った男に追い回され、アドレナリンは出るだけでている。気分は最悪だ。


「知ったことか。俺は俺の正義を遂行する。国が、政府が、大統領が何を考えていようが知ったことじゃない。お前ために人が死んでいるんだ。何十万人という人間が死んでいるんだ。お前の扱う品を巡って争うことで、お前の扱う品を使用することで」


「大した正義感だ、フェリクス・ファウスト捜査官……」


 呆れ果てるほどの正義に燃えた男。


 国家の計画も、カルテルの計画も、アロイスの計画も何もかも蹴り飛ばした。


 自分の祖国の思惑すらも振り切って正義を執行した男にはあっぱれというしかない。


「なあ、煙草、くれないか……? 死ぬ前の1本ってやつだ……」


「そうする義理が俺にあるか?」


「ないな……」


 アロイスはにやりと笑った。こいつは本当に自分を憎んでいると。


「だが、最期の言葉なら聞いておいてやる」


「あいにく、俺は無神論者だ……。告解をする気はない……」


「無神論者でも死ぬときは死ぬ。言い残すことは本当にないのか?」


「そうだな……」


 フェリクスの言葉にアロイスが考える。


「10年前の俺に告げる。馬鹿なことはやめろ。平穏に生きろ。それが……」


 ああ。畜生。本当に空が綺麗だ。


……………………


……………………


「若旦那様」


 アロイスはふと目覚めた。


「ああ……? 助かったのか……?」


 アロイスはあの正義に燃える男が自分をどうにかして止血し、どこかに運んだのかと一瞬思い、周囲を見渡してその考えが否定されるのを感じた。


 ここは屋敷だ。ノイエ・ネテスハイム村にある実家の屋敷だ。


 ここにあの男が自分を運ぶはずがない。運ぶなら刑務所だ。


「若旦那様……?」


 頭髪の後退した50代ほどの執事服姿の男がアロイスを怪訝そうに見る。


「な……。イーヴォ……? お前、7年前に事故で……」


「大丈夫ですか、若旦那様? 今回は私ではなく、奥方様のご容体が問題でして……」


 母さんの容体!


 アロイスの脳細胞が一斉に活発化した。


 そう、1975年の夏の日だ。


 世界は精神科の閉鎖病棟に閉じ込められた偏執病の患者のごとく叫んでいた。


 第五元素兵器──第五元素、虚無の元素を生み出す強大な威力と高い汚染性を持った兵器を世界を二分する超大国同士がドカドカと実験場で爆発させ、威嚇し合っていた。小型の戦術級第五元素兵器から都市を消し飛ばす戦略級第五元素兵器まで、あらゆる大量破壊兵器が製造され続け、世界はそれで吹っ飛ぶだろうと思われていた。


 資本主義陣営を代表する超大国『国民によるローベルニア連邦共和国及びレニ、ザルトラント自由都市連合』──通称“国民連合”。


 “国民連合”の大統領は共産主義の脅威を声高に叫んでいた。


「我々の自由を守らなければならない。我々の暮らす自由世界が共産主義によって浸食され、そこから自由が失われるならば、それは世界の破滅と同義である」


 そして、“国民連合”の政治的植民地たるこの『メーリア連邦』──通称“連邦”も、また資本主義陣営に所属し、共産主義の脅威と戦うということをアピールしていた。


 テレビがニュースを報じている。


 共産主義陣営に属する『スクアーマル大共和国』が新たに第五元素兵器で武装したというニュースだ。ああ、このニュースは記憶にある。


 アロイスがあの男に撃たれる10年前のニュースだからだ。


 そう、きっかり10年前。


 この時のことはアロイスの記憶にしっかりと刻み込まれている。


 アロイスの人生が狂い始めたのはこの時からなのだから。


「若旦那様。旦那様がお呼びです。お疲れの様子でしたら、そうお伝えしますが……」


「そ、そ、そうだな。少し疲れている。父さんには後で行くと伝えてくれ」


 アロイスは首をぶんぶんと縦に振ってそう言う。


「では、そうお伝えしておきます」


 イーヴォと呼ばれた執事はそう言って退出していった。


「畜生。なんてこった」


 アロイスの下に母が危篤状態ですぐに“国民連合”から帰国しろという電報が届いたのはこの2日前の深夜。アロイスは“国民連合”の名門大学の薬学部に留学しており、飛行機でこの“連邦”に帰国していた。


 アロイスの父は連邦検察官で、正義の番人……であるはずだった。


 だが、アロイスはこの日、知ることになるのだ。


 父が汚職に手を染めているばかりか、ドラッグビジネスの大物であることを。


 アロイスは全てを思い出していた。


 父のドラッグビジネスの片棒を担がされ、父が亡くなったのちには自分がそのドラッグビジネスを仕切っていくことになることを。


 そして、最期は“国民連合”の麻薬取締局捜査官フェリクス・ファウストに射殺されるという末路を辿るのだ。


 アロイスはドラッグビジネスは周囲を身を滅ぼすどころか、自らの身を滅ぼすことを知っている。何としてもドラッグビジネスに関わることは避けなければならない。


 だが、どうやって父に説明するのかとアロイスは考える。


 まさか10年後に起きることを知っているでは話にならない。


 仮にもアロイスは薬学部という科学の世界にいた人間だ。それが10年後に死んだから10年前に戻ってきたなどといえば、確かにドラッグビジネスの片棒が担がされないだろうが、精神科に入院させられる羽目になるだろう。


 そもそも1度目の人生でもアロイスは父がドラッグビジネスに関わっていることに衝撃を受け、そのビジネスパートナーになる申し出を断ろうとしたはずだ。あの時は何と言って失敗したのだったか……。


「若旦那様」


 アロイスが頭を悩ませているのにイーヴォが戻ってきた。


「お体の具合が悪いなら休まれますか? 旦那様は体調が回復してからでも構わないと仰っていますが」


「ああ。休む。少しばかり飛行機で酔った」


 アロイスはそう言って、屋敷にある自分の部屋に向かった。


 アロイスに部屋は“国民連合”の大学に出ていったときのままだった。清掃はされているが、思い出の品は定位置にあった。


 懐かしく思う反面、いずれはここを去らねばならないのだという気持ちが湧いてくる。この部屋は船の碇のようなものだ。アロイスをこの“連邦”に縛り付け、ドラッグビジネスに関わらせるための重りだ。


 アロイスはベッドに横たわって、どうやって父の申し出を断るかを考え続けた。


……………………

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