白い少女と灰色の男

宮代魔祇梨

影の街へ

 ──ガタン、ゴトン。

 規則正しい──合間にガタンッと突き上げるような衝撃が時折挟まるのはご愛嬌というやつだ──揺れの中、心地好い微睡まどろみから覚めた僕は、少々名残惜しく思いながらも伸びをして、寝台の上で身体を起こした。

(そろそろか)

 車窓の外へと目をって、外界の眩しさに若干顔をしかめながら、俺は枕元に置いていた紙片を手に取った。


 この国の片隅、とある辺境の街に、が現れる。

 夜に現れるというは灰色の男の姿をしていて、人の魂を奪う。

 に魂を奪われた白い少女もまた、人気ひとけのない夜の街を彷徨さまよっている。

 無力な少女にはを止めるすべはなく、が新たな犠牲者を生み出すのを、ただ見ていることしかできずにいる──。


 週刊誌『フックス』の編集部に、そんな手紙が送られてきたのは、つい数日前のことだった。


   ◆


「駄目だ」

 にべもなくそう断言したのは、イレーネ・ジョゼット──我らが編集部のデスクだ。

「そんなぁ」

 俺は悲痛な声を上げた。

「売れない週刊誌のこれまた下っ端記者である俺には、起死回生の一手はもうこれぐらいしか残されていないんですよ!?」

 俺の抗議を受けて、しかしジョゼットデスクはやれやれと頭に手をった。

「起死回生の一手を期待して飛び付く情報ネタが本気でなのかと思うと、あたしは頭が痛いよ……」

 それと、とデスク。

「お前が三流記者なのは今に始まったことじゃあないし、事実なので好きに自称していてくれて構わないんだが、お前ごときが雑誌や会社を悪く言うなよ。これでも創刊ウン十年の由緒ある週刊誌で、それが売れない責任の一端は三流記者であるお前にもあるんだからな」

「うぐ……」

 さしもの俺も言葉に詰まった。

 美人の睨みは迫力がある。

「これならまだ芸能人や政治家の尻でも追い回して尻尾を掴もうと張り付いていたほうがまだ実りがあるぞ。……見ろ」

 そう言って、彼女は俺の背後を顎で示した。

流行はやりの女性歌手、シャルロッテ・ロシュ。こいつメリノは調査や取材の名目にこじつけて好みの女ガチ恋アイドルをストーキングしていたんだが、その甲斐あって三十は歳上の既婚俳優との不倫現場を押さえてきた。独占大スクープだぞ、これは」

 その声を受けて、それまで自席に突っ伏していた男がよろよろと上げた顔は、色々な液体でべちゃべちゃになっていた。

「……うっ、うぇっ……」

「メリノ……」

 記者としては俺より一年先輩である彼は、ラグビーをやっていた学生時代につちかわれたらしい筋肉質な体型に、ふわふわとした髪や甘めのマスクが合わさって、少し軟派ながらも快活で人懐っこい好青年、といった印象の持ち主であるのだが、この時ばかりは見る影もなかった。

 有り体に言えば、ボロボロだった。

 デスクはそんなメリノの様子は意に介さず、誇らしげな顔で「お前も見習え」と俺に言い放った。……人の心はないのだろうか。

「そもそもフックスウチはオカルト雑誌でもなんでもない」

 なおも嗚咽するメリノを無視して、彼女は俺に釘を刺した。

「魂喰らいの怪異どうこうなんて胡乱うろんな与太話の確認のためだけに、遠方に小旅行させるような許可を出すわけにはいかないんだ。……だいたい、情報の確度が低すぎるだろう。もっと堅実に情報ネタを追え。あたしには、十中八九は空振りに終わるたぐい情報ネタにしか思えないが?」

「俺にだって、勝算がないわけじゃあないんですよ」

 俺は弁解した。

「魂どうこうの胡乱うろんな話は差し引くにしても、怪しげな灰色の男の目撃談は、この地域では結構多いみたいなんです。実際、行方不明者もちらほらといるようで……。マフィアによる人身売買目的の誘拐ひとさらいのような、なにか組織的な犯罪が行われている可能性は、大いにあります」

「ふぅん、それで?」とデスク。

「犯罪絡みなら、地元警察が動いていないはずもないだろう。こう遠くては実態はわからんが、少なくとも表立って事件のセンで動いている様子はない。そこへお前が──警察でもない一個人、記者と言う名のただの余所者が──のこのこと顔を出して、いったい何ができるつもりでいるんだ?」

「そ、れは……」

 言葉に詰まる俺に、彼女は更なる追撃を加えた。

「田舎の警察は口が軽いように見えて、なかなかどうして余所者には口を割らない。聞き出そうにも、お前が渡せる賄賂もない。そもそも犯罪についてはお前の勝手な憶測であって、実際に発生しているという確証はどこにもない。ない、ない、ない。ないない尽くしだ。オカルトであれ犯罪であれ、お前が何か有力な情報ネタを掴める可能性はないに等しい」

 それでもあたしにお前を行かせろと? と問われる。

「それでも、俺はこの情報ネタに賭けてみたいんです。オカルトであれ犯罪であれ、まずは手紙の差出人や、現地の人間への聞き込みを通じて情報収集がしたいんです。夜もホテルから外の様子を観察して、それらしいものは写真に収めて。……そうすれば、何かしらの記事は書けるかと」

「ほう?」

 彼女は机に肘をついて両手を組み、値踏みするように俺を見据えた。

「なら、聞かせてもらおうか。現地で足を使って、それでも中途半端な材料しか手に入らなかった場合、お前はそれをどう料理するつもりなのか」

「ふっふっふ。よくぞ聞いてくださいました。ジョゼットさん、俺には切り札があるんですよ」

「なに?」

 怪訝な顔をするデスクに、俺は少しばかり勝ち誇ったような気持ちで「お忘れかもしれませんが」と言った。

「俺、祖母が東洋人なんですよ」

 デスクは眉根を寄せて、頭に手をった。

「……。だからなんだ」

「なんだって、そりゃああれですよ。『東洋人の血を引く記者が見た怪異、その正体とは』……ってなもんで、なんだかそれだけでなるじゃあないですか。妖怪変化に魑魅魍魎、闇の化生を相手取り、東洋人のおばあちゃんの知恵袋を活かして快刀乱麻の大立ち回り。さながら悪魔祓いエクソシスト、はたまた陰陽師、……とまぁ多少脚色することにはなるでしょうが、それはそれ。収穫した材料ネタもしっかり入れ込んで、きっと良い読み物を書いてご覧に入れましょう」

「……」

 息巻く俺をよそに、デスクは盛大に嘆息した。

「お前を引き抜いたあたしが馬鹿だったよ……」

「え」

フックスウチは一般総合誌だと言ってるだろう。お前を主役にした一大スペクタクルオカルティックアクションバトル小説の掲載に割ける誌面ページはどこにもないぞ。……それに」

 ずい、と顔を覗き込まれる。

 蒼みの強いすみれ色の瞳に吸い込まれそうだ。

「お前、東洋人の面影ないじゃないか。童顔で身長が低い、ぐらいか? 強いて言えば、赤毛にしちゃあ瞳の色が濃いが、それも別に琥珀アンバー黒曜石オブシディアンのそれではなく、紫水晶アメジスト赤鉄鉱ヘマタイトの中間だ。今どき外見や人種的特徴をあげつらってとやかく言うようなことはあたしだってしたくはないが、それにしたって圧倒的にってもんが足りないだろう」

「……ち、近い」

 苦々しい顔で、彼女は「もういい、どのみちお前は何を言っても聞かないだろう」と言った。

「──カスミ・カッツェ、行ってこい」

「え」

 思わぬお許しに、俺は目を瞬かせる。

「こっちもその間に、お前の今後の処遇を考えておく。原稿の出来次第、ということにはなるだろうが、まぁ覚悟はしておけよ。……餞別代わりに、旅費と交通費は編集部持ちで出してやる」

 それにしても、と彼女は独りごちた。

「藪をつついて蛇を出す、だったか。記者をやっている限り、半分はそれが仕事のようなものだが。……退きどころを間違えて、好奇心は猫をも殺す、なんてことにならなきゃいいんだがな」


 ……かくして。

 事実上の最後通牒と共に編集部を追い出された俺は、きょうび珍しくなりつつある夜行列車に揺られ、目的地である街・シャッテへとおもむいたのだった。


   ◆


「さて、と……」

 夜行列車を降りてからも鉄道をいくつか乗り継いで、俺は目的の街へやっとたどり着いた。

 辺境の街、シャッテ。

 古くは城郭都市として栄えていたらしいこの街には、なるほど確かに「昔の大都市近郊の街並み」の面影が色濃く残っていた。

 石畳で舗装された道路。建ち並ぶ家は石造りのものと木組みのものが入り交じっている。

 現在の首都からは遠く、交通の便も良いとは言いがたかったが、しかし田園風景が広がる牧歌的な田舎の村落ということはなく、純粋に昔の街という印象だ。

 これはこれで趣があって、観光地化されていても良さそうなものだが、どうもそうはなっていないようで、少し寂れた雰囲気が、この街にどこか影のようなものを落としていた。

 ──あの路地、何の変哲もない普通の路地なのに、どこか不気味だな。なんと言うべきか……うっかり足を踏み入れたら最後、別の世界へと誘い込まれてしまいそうな独特の雰囲気がある。

 そんなことをつらつらと考えながら、例の手紙の送り主、ヴィクトール・ベッカー氏の家を探して、俺が地図を頼りに歩いていると。

「ねえ」

 背後から声をかけられる。

 俺が振り向くと、そこには少女が立っていた。

 手紙にあった白い少女──ではないだろう。

 長めの髪は黒い。

 十代後半ぐらいだろうか。

「うん? 俺で合ってる?」

 そう問うと、緑がかった灰色の瞳で軽く睨まれる。

貴方あなたがカスミ・カッツェ? ……学生かと思った」

「……」

 俺はこれでも三十路だ。

 先に声をかけてきたのはそちらだろうに、随分な態度である。

 顔が若干引きりそうになるのを感じつつ、俺は笑顔を作ってみせた。

「これでも大人で、記者をやらせてもらっているよ」

 それも今後はどうなるかわからないけれど、という言葉を飲み込む。

「俺の名前を知ってるってことは、君はベッカーさんのところの娘さんなのかな?」

「……エリザベート・ベッカーです。父に言われて迎えに来ました」

 渋々といった感じで、少女はそう名乗ると、くるりと背を向けて歩き出した。

 ついてこい、ということなのだろうが、少し……いやかなり、無愛想だ。

 ──娘がいたのか。

 いても不思議はないのだが、俺は少し驚きつつ、その背を追った。

「よろしくね」

「……ホテルではなく、うちに泊まっていかれるんですよね。図々しいとは思わないんですか?」

 俺が何を言っても、エリザベートからは刺々とげとげしい反応が返ってくる。

 彼女に先導されて歩きながら、俺は曖昧に笑った。

「あ、あはは……。ヴィクトールさんのほうからご厚意で提案があったから、お言葉に甘えさせていただくことにしたんだ」

「そうですか」

「……一応、謝礼も払うからね」

「はあ」

「……」

 予定では一週間程度滞在するつもりでいたが、早くも大丈夫なのか不安になってきた。

 そもそも存在を知らなかった以上は今更どうしようもないことであるし、俺自身に何かよこしまな考えがあるわけでもないのだが。とはいえ年頃の娘さんと記者を名乗る素性の知れない余所者の男がひとつ屋根の下、というのは、いくら期間限定と言っても一般的な社会通念に照らすとあまり歓迎されることではないだろう。

 ……いや、改めて考えると本当によく提案したな、ベッカーさん。

 少しばかりエリザベートが気の毒に思えた。

「こんなところまでのこのことやってくるような人に、何か言うだけ無駄なんでしょうけど。……先に忠告しておきますね」

 ここです、と自宅でもあるらしいパン屋の前で足を止め、彼女は俺のほうへ向き直った。

「本当は、貴方はすぐにでも帰るべきだ。こんなところに、貴方は来てはいけなかった」

 彼女の緑がかった灰色の瞳は、ひどく真剣な色を帯びていた。

「夜に何を見ても、誰に呼ばれても。ついていっては駄目。心を許しては……警戒心を忘れては、いけない。目を閉じて、耳を塞いで、やり過ごして。……そうでないと、きっと貴方も取り込まれてしまうから」

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