二、須久奈の村の童子のこと

 西澤淵は闇に沈んでいた。少し前までは遠目に見えていた灯も、今は消えている。家主はどうやら床に入ったらしい。

 月が陰ってきたこともあって、提灯がなければ足元もおぼつかない。提灯があってさえ、夜目のきかない裕二郎や右京は歩き難そうだ。

 そう思った矢先、裕二郎がつんのめる。ゆらりと提灯が揺らいで、影が一瞬、不気味な形に変わる。

「気を付けろよ、うっかりすると川に落ちるぞ。……うん? 志月のやつ、ここに来ていたのか」

「何と?」

 胡堂が首を傾げ、眼をすがめて呟く。聞き咎めた裕二郎が、尖った声で聞き返した。

「さっき視た気が視えてるからな。多分志月がここに来たのは、今日の夕方ちかく、だろうな」

 百や蘇芳のような、鬼と人の混血である鬼人も同じように、そういったモノを視ることはできるが、鬼は更にはっきりと見分けられるらしい。

 特に百などは、あまり混雑する場所では気に酔うこともあるのだが、鬼にはそういうことはないようである。

 ようやく百の住む百姓屋につくと、裕二郎はむしゃくしゃ腹からか、酷く乱暴に戸を叩いた。

 ややあって、がたりと戸が開く。寝入り端を叩き起こされた百が、白い寝巻姿のまま、じろりと四人を順に見た。

「何ぞ、御用でございますか」

「しらばっくれるな! 貴様、よくも手配者に手を貸したな! さあ来い、嫌だと言うならこのまま縄をかけて番屋へ引っ立ててくれる!」

「はあ? 何のことです、藪から棒に」

 右京が逸る裕二郎を宥め、その間に蘇芳と胡堂が百に次第を説明する。途中で話が長くなりそうだと察した百が四人を家へ入れ、何もありませんが、と幾分声を尖らせながらも茶を出した。

「なるほど。それで、家まで来られたわけですか」

「いや、まさかここに志月が来ているとは思わなかったよ。いつ来たんだ?」

「今日の、十六刻頃、だったでしょうか」

「何が目的だったんだ?」

「知らずにたまたま立ち寄っただけのようでしたよ。向こうも驚いていましたから」

「何故それを届けて出なかった! 志月は手配中の者だぞ!」

 きんきんと甲高い声で怒鳴る裕二郎に、百が心底呆れた眼を向ける。

「それを聞いたのは今しがたです。先にも言いましたが、始末屋は八卦見ではありません、分かるはずがないでしょうに」

「知らなかったで済むことか! 貴様の目は節穴か! それでも始末屋か!」

「止せ、田中」

「……旦那はずいぶん、ご自分の眼力に自信がおありのようで」

 冷えた声音。冷たい炎が百の眼に揺れる。

「知らぬものをどうこうできるわけがないでしょう。第一、志月の物腰には、おかしなところはありませんでした。それで気付けなど、無理な話です」

「貴様――」

「だから落ち着け、田中。百が言うのは道理だ。道理だが……本当に変わった様子はなかったのだな?」

「ええ、ありませんでした」

 右京の問いに、いくらか百も苛立ちを抑えて答える。

 百が始末屋であることを、何やら気にかけていたのは確かだったが、その理由を聞いてもいないのに言うわけにはいかぬと、百はそれについては口を閉ざしていた。

「では、からとり、なるモノについては、何か知っているか?」

「からとり、ですか? さて……。私は一向に心当たりはありません」

「え?」

 思わず問い返した蘇芳に、百が首を傾げる。

「何か妙なことを言ったか?」

「姉さん、覚えてないの? 椿屋の童子ぼっこ!」

「ぼっこ?」

 きょとんと百が眼をまたたく。

「よく遊んだじゃないの、夜鳥と空鳥! ほんとに覚えてないの?」

 む、と百が眉間にしわを寄せ、黙って考え込んだ。

「いや……思い出せない」

「適当なことを言っているのではあるまいな! しらばくれようとしてもそうはいかぬぞ!」

「止めないか、田中。なんだってお前はそうあたりがきついんだ」

 裕二郎が胡堂を睨む。

「蘇芳、その、ぼっこというのは?」

「はい、須久奈の村で遊んでいると、ときどき子供が増えていることがあったのです。誰の顔も知っているし、同じ顔があるわけでもない。だから誰が増えたのかは分からないのですが。それで、確か言い出したのは志月だったと思うのですが、その増えた子供は童子ぼっこと言うのだと。たしか北方のどこかの国に、そんな妖がいるとかで、それから皆、誰かが増えていると、ああ、童子ぼっこが来ている、というようになったのです」

「御座敷童子ぼっこ、かな。確か『新説北国草子』に載っていた」

「何に載ってたかまでは知らないけど、元は確かそんなだったと思う」

「とにかくその、空鳥、ですか。私もそれについて調べたほうがよさそうだな」

「不要だ!」

 額に青筋を浮かべ、裕二郎がすかさず噛み付く。

「黙っていれば勝手なことを! いいか、乱心者は奉行所の領分だ、身の程をわきまえろ。下賤の始末屋風情が、要らぬちょっかいをかけるな!」

 す、と百の眼が細まった。怒気がまっすぐに裕二郎に向けられる。

「そちらこそ、夜中に押しかけて、詫びの一つ言うでもなく下手人扱いのあげく、言うに事欠いて下賤の始末屋風情とは、よくも言ったものですね。お役目ゆえと思って黙っていましたが、喧嘩を売るなら言い値で買いますよ」

 感情を排した声音が、逆に恐ろしい。元々、百は寝起きがさほど良くないのである。ことに寝ばなを叩き起こされた上、ろくな説明もなく頭から下手人扱いときては、百の機嫌は輪をかけて悪くなろうというものだ。

「貴様、俺を誰だと思っている!」

「いい加減にしろ、田中。憑き物が相手なら始末屋の領分だ。第一押しかけたのはこっちなのだし、そう上からものを言うものじゃない」

「何を偉そうに言うか、子供一人相手に出来ぬくせに!」

「何だと!?」

「喧嘩なら表でやっていただけますか。家の中でやられちゃ、寝太がゆるんでしまう」

 言いつつ脇差を引き寄せているのを右京が見咎め、今にも掴み合いを始めそうな裕二郎と胡堂を宥める。

 しかし激した裕二郎は、荒々しい足取りで家を出ていった。

「いや、失礼した」

「いえ。とにかく私も動いてみようと思います」

 裕二郎の無礼な振る舞いと、夜遅くに訪ねたことを再度詫びて、同心二人も帰路につく。

 蘇芳も帰りかけたのだが、それを百が引き止めた。

「もう遅いし、泊まっておいきよ。何に遭うのだか、知れたものじゃないよ」

「そうね、そうさせてもらうわ」

 この夜、姉妹は十余年ぶりに、枕を並べて床についた。

「姉さん、昔のこと、覚えてないの?」

「何も、ってわけじゃないけど、あんまりよく覚えてないんだ。水害のときに死にかけたせいじゃないかって、今の父さんなんかは言ってたけど。今はだいたい思い出してるけど、忘れたままのことは、多分たくさんあると思う。実際、志月のことは、今日会って思い出したけど、童子ぼっこのことは思い出せないし。……童子ぼっこがどんなだったか、覚えてるだけ話してよ、紅」

 蘇芳が記憶を辿りながら話すのを、百はじっと聞いていた。

 話を聞くうちに、少しずつ童子ぼっこの面影が、百の頭にも蘇ってきた。


 翌日、珍しく百が起きるのはいつもより遅かった。童子ぼっこのことを思い出したものの、それで神経が興奮したのか、昨夜はほとんど眠れなかったのである。

「姉さん、大丈夫?」

「ん? うん。大丈夫」

 井戸端で顔を洗って眠気を飛ばし、米飯と味噌汁、漬物で朝餉を済ませる。

「昨日はあんなことを言われたけど、こっちはこっちで空鳥について調べてみるよ。どうもしっくりこない。夜鳥も空鳥も、人に憑くとは思えない。……憑いているなら、何か理由があるはずだ」

「うん、今日のうちには胡堂様か尾上様が、長谷部様に報告されてると思う。そうなったら多分、姉さんのところに連絡がくるかな」

「くるだろうね。私は今日、皇領に行くつもりだから、なんなら帰りに御役宅に寄ってみるよ。どうせ一日かかるだろうし」

「分かった。私からも長谷部様に話しておく」

 見回りに出る蘇芳と別れ、百は皇領の富田村へ向かった。富田村には百の養父である始末屋、梶春臣かじはるおみが住んでいる。

 戸口で訪うと、中からは春臣ではなく、禿頭の大男が出てきた。

 身の丈は六尺をゆうに超える。鬼ならばさして珍しい体格ではないが、人間でその体格は、珂国では珍しい。大入道である。

 百は驚く様子もなく、脇に避けて道を開けた。

「おう、百坊、春臣に用かい」

「羅漢さん、お久しぶりです」

 この大入道は名を石田重助といい、春臣とは竹馬の友である。その体格から、彼は村人達に羅漢さん、羅漢さんと呼ばれていた。

 重助は内を見返って、百坊が来たぞ、と声を投げる。

 ややあって、あがれ、と声がした。普段なら軽口の一つも叩く春臣が、今日は何も言わなかった。

 どうやら何かあったらしい。

 ちらりと百を見た春臣の顔を、影が覆っている。眼だけがぎらりと光っていた。

 俺は帰るぞ、と重助が、あまり建て付けの良くない戸をやけにがたがたと言わせて閉めるのを聞いているのかいないのか、何の用だ、と春臣が問う。

 百が事情を語るのを、春臣は渋面を崩さず聞いていた。

「こういうわけで、父さんなら、空鳥、について何か知らないかと思って」

「手を引け」

「はい?」

「手を引け、と言った」

「何故、ですか」

「お前が関わる必要はないからだ。用は済んだか? なら帰れ」

「父さん!」

 取り付く島もない春臣に、百が苛立った声を上げる。春臣がぎろりと百を睨むように見、百もきっと春臣を見返した。

「空鳥が人に憑くとはどうしても――」

「帰れと言ったはずだぞ!」

 一喝を食らって百が顔色を変える。これ以上は何も聞けぬと察し、百は黙って立ち上がった。

「百坊、手ひどくやられたな」

 帰ったと思った重助が戸口を出たところにいたので、百は少しばかり驚かされた。

「帰らなかったの」

「いや、うっかり戸板を外しかけてな。直してたら中で話が進んで、まあ聞くつもりはなかったが聞いちまったわけだ」

 矢鱈に戸が鳴っていたのはそういうわけだったのである。

 どうにも今日の春臣は妙だと愚痴る百を見やり、重助はさてどうしたものかと考え込んだ。

 春臣の変質の理由を、重助は知っている。今日来たのも、春臣から連絡があったからなのだ。

「百坊、ちょっと付き合え。春は今んとこ、話を聞く気がなさそうだからな。何がつっかえてんだ。聞いてやるよ」

 重助の実家は飯屋である。店に名はない。〔めしや〕と書いた暖簾が出ているばかりである。それでも富田村の飯屋と言えばここしかないのだから、屋号がなくとも困りはせぬ。飯と汁、それに漬物を出す小さな飯屋であるが、割合に繁盛している。

 飯屋の二階で、百は昨夜の顛末と自分の懸念を重助に語った。

 自分が空鳥を知っていること。ひとに憑くような妖ではないこと。今回志月に憑いたという空鳥と、自分の知る空鳥、両者の差が気にかかること。

 ふうむ、と唸って、重助が腕を組む。

「俺はどっちも知らないが、空鳥が良くないものになった、と、その夜鳥が言ったんだろう? 性質が変わることはあり得るんじゃないのか」

「確かにないことではない、らしいけど……とにかくこれから津地村へ行ってみる」

「あの家へか。気を付けろよ?」

 何に気を付けろと言うのかと思いつつ、百はそれに頷いた。

 重助の言葉の真意は、津地村の志月が寄宿していた家――屋号を西屋という生薬屋だった――に行ったときに知れた。

「志月の知り合いだかなんだか存じませんが、何の御用でございます?」

 家を訪ねた百の用向きを聞くなり、つかつかと表に出てきた、志月の父方の伯母だという女――名を松江といった――は、そう語調鋭く言い放った。

「志月の生家で祀っていた、夜鳥と空鳥について、なにかご存知ではありませんか」

「またあれが関わっているのですか。だからあれほど捨ててしまえと言ったのに!」

「何か、あったのですか」

「あなたには関わりのない話です」

 ぴしゃりと叩きつけるようにそう言って、もうお引取りください、と松江はぴたりと戸を閉ざした。

 百の調査は行き詰まった形である。こうなっては富田村に戻って、腕ずくでも春臣に口を開かせるか――などと物騒な考えが頭をよぎったときだった。

「始末屋さん!」

 後ろから声がかかる。足を止めて振り返ると、百とそう年の変わらぬ娘が家の内から駆けてくるところだった。

「ああ良かった間に合った! って、紅!?」

「妹をご存知ですか」

 娘はきょとんと眼をまばたいた。

「百と申します。紅菊は、私の妹です」

「ああ、紅の姉さん! 聞いたことがあるわ、双子の姉さんがいたって。ああそれより始末屋さん、志月兄さんのことでいらしたんでしょう。あたし知ってることは全部話しますから、だから志月兄さんを助けてください!」

「月乃! 余計なことを言うのではありません!」

「いいえ、話します! さあ、こちらへいらしてください、始末屋さん」

 否応なしに引っ張っていかれたのは、近所の小料理屋の二階座敷だった。

 月乃は志月の従妹であった。彼女の口から百は、志月が空鳥に憑かれた事情を知るに至った。

「ありがとうございました。大変、参考になりました」

「志月兄さん、助けられますよね?」

「……必ず、とは言えません。ですが、最善を尽くすことを誓います」

 座を立った百を、何か思い出した様子で月乃が引き止める。それまでと違い、ためらいがちに語られたことを聞いて、百は首を傾げたものの、ありがとうございます、と再度頭を下げた。

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