始末屋怪叢譚

文月 郁

辻斬り童子

一、尾上右京、鬼人の女を見ること

 尾上右京が荒谷町でその女を見かけたのは、その日の日暮れのころであった。

 日の入りも早い冬のこと、既に辺りは小暗くなっていたが、まだ人の顔を見てとれぬほどの闇ではない。

 からす蛇のごとく艷めく緑の黒髪を、無造作に一つに結い、腰には脇差、背に太刀を負い、左目には革の眼帯をぴたりと当てた女を見たとき、珂国は将領の都、西筋郡の奉行所でも手練と知られる尾上右京ほどの男が、思わず口の中であっと声を立てかけた。

蘇芳すおう……?)

 角から出てきた女は、浪人姿の右京を気にするでもなく、前を見すえてすたすたと先へ行く。

 一瞬考えて、右京は女と同じ方へと歩き始めた。

 蘇芳も町方のものである。しかし彼女は役人ではなく、彼らの遣う密偵の一人である。その蘇芳が捕物で、生命も危うくなるような傷を受けたのは、半月前のことである。

 傷は肩から胸へのひと太刀。いちじは危ぶまれた蘇芳の容態も、ようやく近ごろ峠を越し、奉行の長谷部平内も、この分ならば大丈夫と、愁眉を開いたのが数日前のことであった。

 その蘇芳そっくりの女を見たのだから、右京は黙っていられず、見回りを理由に、彼はその女の後を、尾けるともなく尾けていく形になった。

 ひょいと女が角を曲がる。後を追った右京も角を曲がり、そこではたと足を止めた。

「何ぞ、御用でございますか?」

 右京と変わらぬほどの長身をすっくと伸ばし、じっと彼の顔に視線を注ぎながら、眼前に立った女が静かに問いをかける。

 凛とした声は、辺りにはっきりと響いたが、咎めるような調子ではなく、本当にただ疑問なだけのようだった。

 小首を傾げたその拍子に、女の前髪の間から、親指の爪ほどの角が一本、ちらりと姿を見せる。

「いや、何、たまたま行き方が同じになったまでのことで」

「左様ですか。これは失礼を」

 軽く頭を下げ、女がやはり早足に歩いていくのを見ていた右京の眉根は、いつか寄せられていた。

 右京も角を見届けていた。その角の小ささから、恐らくは女は鬼と人の混血――鬼人であろうと察せられたし、左目の眼帯にも得心した。

 鬼と人の間に生まれた鬼人は頭に小さな角を持ち、多くは瞳に特徴を持つ。白目が黒く黒目が白い逆眼であったり、二重瞳孔であったりする。女もそれゆえに、目を隠しているのだろう。

 そしてそれは、右目と左目の違いこそあれ、蘇芳にも当てはまることだった。

 とはいえそれ以上、彼は女を追うわけにはいかなかった。密偵の一人に似ていると言うだけで、女が何かした訳でもなし、何よりこの先は下手町で、右京の見回り区域から外れていた。

 それでも追うと言うならば、今度は本当に尾行になってしまう。まだ何も起きてはいない以上、右京もそれはやりかねた。

 女のことは、一旦自分の胸ひとつに留めることにして、彼はまた見回りを再開した。


 下手町を流れる柚羅川は、珂国でも有数の清流である。珂国の名川はと人に聞けば、皇領なら羽瀬川、将領なら柚羅川と、名が挙がる川である。

 川幅も広く、夏になれば鮎がとれ、人々の口を喜ばせる。

 反面、柚羅川は暴れ川としても有名で、何年かに一度、この川は大氾濫を起こしていた。特に十四年前の台風による水害は、将領の川沿いの村をいくつか流し、未だに生死が分からぬ者もいるほどだった。

 びゃくはそんな川の岸辺に店を出す、〔島屋〕という船宿に入った。船宿は川岸のあちこちにあるが、この島屋は以前から百の馴染みの店だった。

 朝に預けておいた小舟に乗り、器用に舟を操って、柚羅川を下っていく。川を渡る風は冷たく、肌が粟立つほどだったが、百は平気な顔で舟を漕いでいる。

 しばらくして、柚羅川から引かれた水路に舟を入れ、岸にもやって舟から降りた百の元へ、軽い足音が近付いてくる。

「姉ちゃん、どこ行ってたんだよう」

 小さな肩に天秤棒を担ぎ、両端に籠をぶら下げている少年の姿を認め、百はちょっと微笑んでみせた。

 彼はこの辺りを回っている魚売りの平助の子供で、六助といった。平助は百とも馴染みで、彼女はしばしば彼から魚を買っていた。しかし平助は十日ほど前に腰を痛めてしまい、ここ何日かは六助が、父の代わりに魚を売りに来ていた。

 六助はまだ十になるかならないか、という年頃だったが、それでも文句も言わずに魚を売り歩いていた。

「ちょいと、な。六坊、ちゃんの具合はどうだ?」

「うん、今日は良いって言ってた」

「そうか、そりゃ良かった。ところで今日は何がある?」

「むむ、今日はたいてい売れちまったけど、しじみがまだひと掴みは残ってる」

「じゃ、それを貰おうか」

 しじみの代を払うと、六助は怪訝そうに頭を傾けた。

「姉ちゃん、お金、多すぎるよ」

「良いんだよ。何か甘いものでも買いな」

 六助が目を丸くして、それから顔いっぱいに笑みを広げる。顔の半分が口になったかのような笑みで、百もつりこまれてふっと顔をほころばせた。

 百の家は人々が西澤淵と呼ぶ場所にあった。町から離れた場所にあり、町中と違って人家はごく少なく、夜になれば狐狸も出てくるような場所である。

 柚羅川から水路が引かれ、その傍には作物よりも雑草のほうが多い、猫の額ほどの畑があり、その畑を背にしてわら屋根の百姓屋が建っている。その百姓屋が百の家である。

 玄関にかけていた『他行中』の札を外し、家に入った百は、台所に、家を出る前にはなかった籠を見つけて首を捻った。

 籠の中には大根と蕪がしめて四本、土がきれいに落とされて入っていた。

 百の口元に笑みが浮かぶ。こうした届け物はこれまでにも幾度かあった。

 百は始末屋を生業とする女である。始末屋の百、といえば、その筋ではそこそこ有名であった。

 この世に生きるモノは、全てが好意的なモノではない。ときにはひとびとを脅かすモノもいる。それはときに同じ人であったり、鬼や鬼人であったり、あるいは全く別のモノであったりする。

 そんなモノたちと相対し、処分を行うのが、俗に『始末屋』と呼ばれる者たちである。

 ひとを傷つけるモノに対して、ときにはその手を下し、それによって業を負いながら生きて行く彼らの道筋は、決して平坦なものではない。

 人と鬼との間に生まれた鬼人の百も、そうした始末屋の一人だった。

 数年前、始末屋として独り立ちをすると同時期に、百はこの百姓家を買って住み着いた。それ以来、この西澤淵近辺の村人とは、良い関係を築いている。

 百は村内の組にこそ入ってはいないが、節季ごとに付け届けをし、村の祭りや何かには手を貸し、ときには本業の始末屋としての仕事もした。

 そのおかげで、世話になった村人が、こうして畑にできたものや、ときには川で取れた魚を届けてくれることがあった。

 土間の隅に置いた笊に、買ったばかりのしじみをあけ、砂を吐かせるために塩水につけておく。

 そうしておいて、夕餉の支度に取り掛かる。

 炊いた飯に蕪の味噌汁、煮染めの残りが今日の夕餉だった。

 舌鼓を打ちながら飯を平らげて、百は身の丈ほどの太刀を負い、外に出た。

 月影さやかに地を照らし、冷えた空気が夜を引き締めている。

 このところ、西筋郡では夜、辻斬りが出ると噂が広まっていた。辻斬りとはいっても多くは皮一枚、浅く斬られたのみで済んでいた。しかし日に日に深刻な傷を受けるものが多くなり、被害も、一人二人から、日に三人、四人、ときには五人もが凶刃を受けたと届け出があった。奉行所でも捜査は進めているようだったが、いっかなはかがいかぬようであった。

 ただの辻斬りなら百の出る幕ではないが、辻斬りの被害にあった一人が、島屋の船頭、玖善くぜんで、百の知己の男だった。その男から、そのときに逢ったのは童子一人だけだと聞いて、百は少し探ってみる気になったのだった。

 なんでも玖善の言うには、夜道を歩く童子を認めて声をかけ、おそらくすれ違ったときに腕をすっぱりとやられた……ということである。そのうえ斬られたことに気付いたのはその少し後、痛みだしてようやく、というのだから、なおのこと不審である。

 玖善は鬼であり、船頭をやっているだけあって腕っぷしも強い。そんな彼に一切何も悟らせず、腕を斬るというのは普通の子供にできる技ではない。

 これはあるいは自分の領分かもしれぬと、百はここ二、三日、夜に町中を歩いていた。

 下手町から荒谷町を抜け、茅町へ来かかったときだった。

 闇の中、百の耳が呻き声と、何かが倒れる音を捉えた。

 ぱっと地を蹴って、声の方へ駆けていく。下駄の音が高く響く。

 目前の橋の上で、男が倒れていた。鬼の男である。その首元が鮮血に染んでいた。

「しっかりしろ!」

「う……役宅に……報せを……たのむ……」

 手早く傷を止血し、近くの医者に男を担ぎこむ。幸い、首元とはいえ傷は急所を外れており、また手当が早かったというのもあって、どうやら男は助かりそうであった。

 男の言葉と持ち物から、彼が胡堂という、奉行所の役人であるらしいと悟り、胡堂を医者に任せておいて、百は役宅へ報せに走った。

 同じ夜、役宅では奉行の長谷部平内が、尾上右京と面会していた。

 夕刻右京が逢った鬼人の女の話を聞き、ふむ、と平内が小さく唸る。

「さほどに似ていたのか」

「瓜二つでございました。ときに蘇芳の具合はいかがでございましょうか」

「おお、良くなってきておる。今日はな、昼は起き上がって女房殿とも話をしたそうな」

 日頃、その温和さから眠り猫とも称される平内が目を細める。

「それはようございました」

 そう話をしているところへ、胡堂の一件が舞い込んできたのである。

 門番が言うには、彼に話を伝えた女は、ことのあらましと、胡堂のいる町医者の家を短く伝え、引き止める間もなく去っていったという。

 町医者の家へは右京が走り、他にも幾人かの同心が、胡堂の奇禍の場へと走り出ていく。

 百もまた、捕り方よりもひと足早く、胡堂を見つけた場所に戻っていた。闇を透かしみても辺りに人気はなく、血の痕以外には何もない。

 無造作に眼帯を外す。白目が黒く、黒目が白い左目に、妖しい光が灯る。

 百の左目は、普通は見えぬモノを視る。今、左目には、多くの人々の行き来した痕が映っていた。人の発する気の残滓である。

 人の気、鬼の気、鬼人の気。それぞれに違う気を見分けていく。

 そのどれとも違う、異質な気を見つけ、百はその方向に足を進めた。

(金気に血に木……、さて)

 人でない、のは察していたが、その気はごくわずかで、ともすれば見失いそうになる。実際、長く追うことはできず、二、三町も歩いたところで、百はその気を見失ってしまった。

 周りを見回してみたが、余計なモノが見えるばかり。

 ふと息を吐いて眼帯を付け直し、この夜は家路についた。

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