「僕」の思考実験録

幾兎 遥

もう一度、お話をしましょう。

──ああ、来たのね。待っていたわ。


お久しぶりですね。


──ん? ……ああ、そっか。確かに、君にとっては私は既に会ったことのある存在なんでしょうね。


え? 違うのですか、あなたにとっては。


──そう、ね。いえ、けれども、君も本当は、ずいぶん前から此処にいたのでしょう?


はい。それに、あなたとのお話なんて今でも強く印象に残っているのですけど……


──ええ、そうよね。つれないことを言ってしまったわ。大丈夫、君の頭の中に残っている対話の相手は間違いなく私よ。きっと、あのときの私はまだ君の人格を見つけていなかったのね。


人格?


──そう。……まあ、それもこれから説明できると思うわ。ひとまず座って。そろそろ本題に入りましょう。


わかりました、それじゃあ……失礼します。


──……さて。改めて、お久しぶりね。


……お久しぶりです。


──今日来てもらったのは他でもないわ。君の、お手伝いをしたいと思ってね。


お手伝い?


──ええ、やりたいことがあるんでしょう?


ああ……はい。そう、なんですよね。


──うん。だから、そのお手伝い。


それはとても心強いですけど……何かお願いできることあるかな。


──あ、ううん。お手伝いの内容はもうこっちで決めているわ。


え?


──そう、要は完全に一方的な申し出ね。断ってもらってもいいわ。


まあ……あって困るようなものはないでしょうけど。一体、何をしてもらえるんですか?


──お話、しましょう。


お話?


──そう。昔みたいに、また。


それだけ?


──そう。ただ話して、それから……

あなたを壊してみようかなって。


え、壊す?


──そう、壊すの。できるだけさりげなく、一瞬で、思いきり。……ううん、もっと言うのなら、寄生虫になって君に食べられて、君の細胞を食べてみたいの。


……なんだか、ますます恥知らずになったものですね。


──あらら、はっきり言われちゃったわね。でももう自覚はしているのよ。それだけまともになったものじゃない?


無知の知、ですね。


──そうそう。倫理は勉強になるわね、私たちの思考を言語化してくれたもの。……そうだ、それこそさっきの人格のことに繋がるかしら。君が現れたおかげで、人格の輪郭がはっきりとしたのよ。言うでしょう、自己は他者の承認があるからこそ確立するものだと。


人格の輪郭か。いい響きを見つけましたね。


──んん、褒められる方が反応に困るのだけど……君こそ敬語だなんて、よそよそしいじゃない。同じ住処の住人だというのに。


そうですね、これも同じ原理なんじゃないでしょうか。きっと、この話し方が僕の人格に最も近しいのだと、確立してきたんです。


──ふうん。ふふ、君の気味の悪さも私のと変わりないんじゃない?


ええ、知っています。

……ううん。とはいえこの試みは、あなたと僕で本当に成立するのでしょうか。


──それはそうなのよね。確かに私と君はとても近しいものだから……本当はまったくの他人と対話できる方がより実りのあるものになるのだろうけども。でも、他人との対話は回避したくなるという恐ろしさもあるでしょう?


ああ……確かに。確かに僕らは特に、臆病だった。


──ね。……そのうち必要になれば呼ぶということで、ひとまずは君と私でいいんじゃないかしら。


そう、ですね。考えてみると今の時点でも、僕の不安は意外と補ってもらっているし。完全ではないでしょうが、充分ではあるかもしれません。


──そう言ってもらえると助かるわ。……それにしても、やめてくれと言わないのは、さすが此処の住民と呼ぶべきものがあるわね。


そりゃあそうですよ。……破壊の全部が恐ろしいものというわけではないというのは、よく知っています。


──ええ……そうね。必要な、やわらかな破壊もある。


ね。それに、わかっているのでしょう? 僕を壊すというのはつまり、あなた自身を壊すことでもあるというのは。


──ええ、その通りよ。だって君と私は、とても近しい存在なのだから。反動を受け止めなくてはね。


その用意がある上でのお誘いなら、いいんじゃないかなって思っています。いくらやさしい破壊でも怖いものは怖いから、僕も簡単に守りを解く気はありませんけれどね。あなたのことも守って見せますよ。


──ふふふ、それは心強いわね。

……ということで、受けてくれるということでいいのかしら?


そう、ですね。楽しませてもらいます。


──ありがとう。本当のこと言うと私も練習してみたかったのよ。「聴く」っていう営みをね。


はは、なんとなく察していました。僕の方も手伝わされるってことですね。まったく、もはや実験体だ。


──そうね、でも利害は一致しているでしょう?


ええ。あなたの、僕らの大好きな言葉だ。


──ああ、やっぱり君と話すのはわくわくするわ。

それじゃあ、始めましょう。聞き手は私、語り手は君。正解のない問いを、選んでもらうわ。本当を隠すのは構わないけれど、できれば嘘は避けて。まあ矛盾もこれまた私たちの大好物だから、いくらでも見つけ出してあげるけれどね……


さあ、これが君の心臓の形。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る