異能と凡才

ナツメ

異能たち

柿原ヨウジの場合


 柿原ヨウジは時を跳ぶ。

 常人にとっては一方通行でしかありえない時間を、彼だけは遡ることができるのだ。

 同じ時を幾度も繰り返す、それは無限の時間を手に入れるのに等しい。

 ヨウジは今日も跳んでいた。

 彼の能力は彼自身、そして彼の行いにまで影響する。

 ひとつ、積み上げては過去に跳ぶ。更に積み上げ、時を遡りまた積む。何度も何度も。

 彼の戦いは孤独である。ただひたすら、彼しか存在しない時間を引き伸ばし、たった一人で同じことを繰り返す。

 だが、その効果は絶大だ。

 最後の一つを積み終え、彼が我々の時間に戻ってくる。

 その瞬間、何が起こるか。

 我々の目の前に、柿原ヨウジの築いた巨大なが突如として現れるのだ。

 そう、彼にとっては果てしない時間でも、我々はそれを知覚できない。彼の過ごした時間は極限まで圧縮される、つまりそれは、一瞬の出来事。

 柿原ヨウジの武器、それはその圧倒的なスピードだ。誰も彼を追い抜くことは出来ない。



さくらの場合


 さくらは名をつける。

 なんの変哲もない小さなぬいぐるみ。いや、ぬいぐるみとも呼べないような、布で作られた素体。

 しかし、彼女が名前を与えると、それはみるみる姿を変える。

 幼気な少女でも、不真面目な青年でも、中世の騎士や一国の王、さらには宇宙人でさえ、なんでも作り出すことができる。

 その姿は息を呑むほどリアルだ。毛穴のひとつひとつまで精巧に作られている。

 リアルなのはその姿だけではない。

 名付けられた人形たちは、意思を持つ。動き回って言葉を紡ぐ。

 さくらが操っているわけではない。彼女の意図とは無関係に、人形たちは振る舞い、関係を築く。

 その様子は、ひとりの人間の想像力を優に超えている。もしさくらが彼女の意思でをしているのなら、人形の言動に彼女の価値観がにじみ出てしまうだろう。

 だが、人形たちはひとりひとり、全く別の思想や行動原理を持っている。二体の人形が対立したとき、その主張は全く異なるが、それぞれに理がある。人形たちの発する言葉は、その内容だけではなく、語彙や口調、さらには発言をする目的まで、全てばらばらだ。もちろん、言葉を用いずに態度で表すものや、暴力に走るものもいる。

 さくらはそれを、穏やかな笑みを浮かべ眺めている。彼女は、実在しない人物をこの世に産み出す人形師だ。



ユッケマンの場合


 ユッケマンは取り憑く。

 彼(ユッケマンの性別は不明だが、今は便宜上「彼」としておこう)は実体を持たない。では彼はどこにいるのか。

 それは、誰かの背後だ。

 対象者に気付かれることなく、彼はその背後に忍び寄る。そして、すぅ、と吸い込まれるように同化する。

 彼に取り憑かれたものにその自覚はない。人格は乗っ取らず、ユッケマンは対象の五感や思考を共有する。

 つまり、彼はあらゆることを経験できるのだ。

 アメリカの大統領にだって、世界一のアスリートにだってなれる。医師に同化して外科手術を行うことも、逆に手術される患者に取り憑いて、腹の中をまさぐられる経験だってできる。

 凶悪犯の中に入り込み、誰にも理解できないその動機を覗くこともできる。

 どんな機密情報でも、ユッケマンはアクセスできる。その情報を管理する人間に取り付けばいいだけの話だ。

 ユッケマンはどこにでもいける。人間がたどり着ける場所ならばどこへでも。

 そして彼は、死さえも知っている。死にゆく人間が感じること、皮膚の感覚、見えるもの、聞こえるもの。死に際して心に浮かぶものも何もかも。

 ユッケマンはすべてを知っている。姿なき賢者だ。



sawadakの場合


 sawadakの能力は、他の者とは性質が違う。

 彼の能力、それ自体が常人には理解できない。強いていうのならば……神の啓示とでも呼ぶべきか。

 彼には「気付く」能力がある。他の誰もが思いつかない、想像もし得なかったを、彼だけは見出すことができるのだ。

 一見するとかけ離れた二つのものの繋がり、それらが繋がった時、この世に初めて生まれる新しい概念。まるで未知のもの。

 そのようなものを見せつけられて、我々はただ、言葉を失って圧倒される。

 もしかすると、彼には世界が違ったように見えているのかもしれない。たとえば、全てがパズルのように配置され、組み合わさっているように。

 我々はそのパズルのピースにすぎない。だから、一生かかっても、そのパズルの描く絵の全体を知ることはできない。

 でも、sawadakだけは、世界というパズルに一体何が描かれているのか知っている。それだけではなく、そのパズルのピースを組み替えて、新たに別の絵を描くことすらできるのではないだろうか。

 無論、これも凡人の思いつくひとつの仮説にすぎない。sawadakの能力の全貌はsawadak本人にしかわからない、いや、ひょっとすると本人でさえも理解はしていないのかもしれない。

 ともかく、結果としてsawadakは、この世界に全く新しいものを生み出し続けている。sawadakは、創造主だ。

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