俺は魔法使いになれない

noon

「縄張り争い……マーキングってやつは、所詮畜生の本能だ。なんらかの群れに属しておきたいやつらの、他人を寄せ付けないための示威行為。俺らはお前らと異なる能力を持っている……っていうアピールだな、要するに」

「そういうもんっすか?」

「そういうもんだよ。自分たちの群れの方がより強い力を持ってるって証明だ。これも、そういう奴らの悪戯だよ」


 ミントグリーンの作業帽を目深に被った駿河先輩は、同じ色の作業服のポケットからインスタントカメラを取り出す。彼が仰ぎ見る廃工場の巨大な壁には、複雑怪奇な意匠の極彩色グラフィティが躍る。


「〈crazy hounds〉……でしたっけ? 最近この辺を騒がしてる不良グループですよね」

「畜生の考えてることは共感できないが、類推はできる。まぁ、俺がやるべきはそんな事じゃねぇがな」


 駿河先輩は口元を歪めるように笑い、社用ミニバンに積まれた機材を運ぶ。

 スプレー着色剤を脱色する薬品に、汚れを固めて落とす洗剤。元の建物の色に似た塗料と、大小さまざまのハケ。〈スルガ清掃〉のテプラが貼られた、彼の仕事道具だ。


「じゃあ、見させてもらいますね……」

「お前も手伝えよ……って言いたいところだが、ワンオペには慣れてるんだ。そこで黙って見とけ、な?」


 ガスマスクを片手に、駿河先輩は俺に向けてサムズアップした。


    *    *    *


 治安の悪い片田舎だった俺の故郷で駿河先輩が起業したのを知ったのは、数週間前のことである。高校の時から「魔法使いになりたい」と大真面目に言っていた先輩は卒業後に町を出て、15年ほど帰ってこなかったのだ。そんな彼が実家のクリーニング屋を継ぎ、新たに清掃も請け負ったと聞いた俺は、興味本位で働いてる様子を見学したいと伝えた。同じ清掃に携わる者として、先輩がどのような仕事をしているのか興味が湧いたのだ。


「クリーニング、出来たぞ。……なぁ、お前は今何やってんの?」

「あー、公務員ですね。こんなクソ田舎、働き口が少なくて……」

「ハハッ、自分の故郷をそう悪くいうもんじゃねぇって……」


 クリーニングされたスーツとワイシャツを受け取り、俺はその出来栄えに驚嘆する。あの汚れやほつれは買い換えないといけないかと思っていたが、まるで新品かのように修復されている。魔法のようだ。俺は素直に思った。

 父親の跡を継いだ先輩は、スルガ清掃を大きな会社にするつもりはないらしい。従業員1人の個人経営の方が気が楽らしく、自分の気に入った仕事しか受けないらしい。経営はうまくいっているのか聞くと、笑いながら首を振った。


「金で動いてるなら、故郷になんて帰ってこねぇよ」

「……先輩は相変わらず郷土愛が強いっすね」

「まぁな。じゃあ、次の仕事行くか!」


 この町に、帰ってくる価値はあるのだろうか。俺はそう思いながら、洗ったばかりのスーツを着込んだ。


    *    *    *


 古びたコンクリート壁にバケツで薬品を掛け、ガスマスクをした駿河先輩は後ろ姿で俺にハンドサインを行う。下がっていろ、という事なのだろう。俺はミニバンの助手席に乗り込み、先輩の仕事の様子を黙々と眺めることにする。

 外の気温は35度を超えるらしい。鬱陶しいほどの青空に延びる入道雲と、照らしつける太陽。それに揉まれる駿河先輩は、どこか楽しげに自分の培ってきた魔法を行使する。薄汚いほどにカラフルで下品な落書きを剥がし、漂白する作業だ。

 彼に常人と異なる能力があるとすれば、その手際の良さだろう。高校の時から手先は器用で、よく後輩に手品を見せていた。あの頃が奇術師なら、今は魔術師だ。痛ましいほどに汚されていた廃工場の落書きは、瞬く間に消えてしまった。

 その後は、丁寧な修復作業が待っていた。漂白剤によって斑らに白く染まった壁を、ハケを片手に元の色に塗り進めていく。これは思った以上に繊細な作業のようで、照りつける陽射しに汗を拭いながら、駿河先輩は老朽化したコンクリート壁を新品同様に塗り替えていた。

 俺は助手席の窓を開け、声を張り上げる。鳴き続ける蝉の声に負けないように、茹だるような外の熱気を感じながら。


「どうせ廃工場なんですし、誰もそこまで見ないっすよ!! 誰にも感謝なんてされませんし、もう切り上げてもいいんじゃないっすか!?」

「……あのなぁ、俺は魔法使いだぞ? 完璧な仕事じゃないと魔法とは言えないだろ。それに、この落書きを放置するのは俺が一番嫌なんだよ。愛する町の原風景に、勝手にマーキングしやがって。俺が綺麗にしなきゃ、誰がやるんだよ!」


 よく響く叫びと共に、ハケの動きが止まる。廃工場の壁は建築当初かのような輝きを見せ、陽光が形作る先輩の影をスクリーンのように映した。魔法のような技術がもたらした、奇跡のような出来栄えだった。

 駿河先輩は汗を拭い、水分補給用の水を頭に振り掛ける。僕は先輩の元に駆け寄り、非礼を詫びた。


「お前も清掃業なんだろ。仕事に誇りとか、ないのか?」

「あれは金がもらえるからやってるだけで……やり甲斐とかは……」

「それも悪くないが、自分なりの理由は見つけた方がいい。どんな仕事でも、人の役に立ってるんだ。……これ、やるよ。頑張れ」


 先輩は作業服のポケットから薬品入りの小瓶を取り出し、俺に投げ渡す。中身の泡立ちから、きっと洗剤なのだろう。


「それ使えば、お前のスーツの汚れはある程度落とせるはずだ。もし俺が急にダウンしたりしたら、それを使ってくれ」

「えっ、俺にできますかね……」

「今度クリーニングのやり方教えてやるよ。お前が失業とかしたら安月給でコキ使えるようにな!」


 豪放磊落に笑う駿河先輩に合わせるように、俺はぎこちなく笑った。

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