第3話 不二くんは、振り回される#2

「腹減ったなぁ」

「日吉、飯を食いながらそれはないだろう」

「いや、俺の空腹に食事のスピードが追い付かねぇ」

 日吉はそう言いながら、重箱のような大きさのお弁当をかき込んでいた。

「おいおい、健康に悪いぞ。そんなに早食いしたら」

「そうだよ海斗。みっともないよ。汚いし」

「んごんごんごむご(そこまで言うことないだろ)」 

 俺の注意も馬の耳に念仏という感じである。

 俺と優と日吉はホームルームで昼食を取っていた。教室には俺たち以外に、女子生徒の三人組がいるだけで、他の生徒は各々食べたい場所や、食堂に行っているのだろう。日吉は野球部の先輩に絡まれるのが面倒という理由で、食堂には出向かない。優は騒がしい場所が嫌いらしく、食堂には稀にしか行かない。俺は別にどこで食べてもいいのだが、二人と離れる理由もないので、こうして二人とご飯を食べている。

「そういえば奏太。今日の放課後予定ある?」

 綺麗な声で優が尋ねてきた。

「いや、何もないが」

「良かったらさ、付き合ってくれない?」

「ごめん。俺は男とは付き合えない」

「——は?」

「ち、違うね。そうだよね……」

「本屋に一緒に行って欲しいだけなんだけど」

「あぁ、いいぞ別に。どうせ帰ってもアニメ見て、ゲームするだけだし」

「う~ん。それはそれで充実しているね」

 優は日吉と対照的に、ダイエット中の女性が食べるような小さなお弁当を開き、上品に食べ始めた。

「いいよなぁ~。部活がないお前らは」

「あぁ、野球部は今日も練習か。大変だな」

「タイヘンダネ」

「棒読みだな……。まぁ試合が近いからな。ピリピリしてるから余計にしんどいんだよ」

「海斗ってレギュラーなんでしょ?一年生で唯一なんだよね?」

「まぁ一応な。ショートでレギュラー」

「凄いね。うちの野球部って結構強いのに」

 日吉は照れを隠すように、そっぽを向いて昼食の続きを食べ始めた。非常にわかりやすい奴である。俺はコンビニで買ってきたおにぎりを貪りながら、日吉を更に煽てた。

「ねぇ知ってる?ショートって一番守備が上手い選手のポジションなんだぞ」

「なにそのCMで聞いたことある台詞。——そうなんだ。ピッチャーじゃないの?」

「まぁ守備だからな。ショートはボールを触る機会が多いんだ。高校野球だと特にな。どうしてもゴロが多くなるから。だから身体能力が高く、センスのある選手のポジションなんだ」

「よく知ってんな奏太。お前野球好きなのか?」

「いや、博識なだけだよ。ははは」

「「うざい」」

 えぇ……。あれ?また俺なんかやっちゃいました?これ以上反感を買いたくないので、無理やり話を元に戻す。

「だ、だから日吉はかなり上手いんだろうな」

「ふ~ん、すごいね海斗」

 キラキラした瞳で日吉を見る優の姿がそこにはあった。普段は毒舌だが、基本的には純粋な気持ちを持っているのが優の良いところでもある。

 そしてその言葉を聞いて、耳が真っ赤になってしまっているのが日吉である。日吉は中学からの友人なのだが、彼は運動神経抜群で、弱小だった中学野球部を、一人で地区大会優勝まで導いた実力者である。しかし、褒められると顔を赤くして黙ってしまう。彼は謙虚で自己評価が何故か異様に低い。天狗にならないのは美徳だと思うが、もう少し自信を持ってもいいのではないかと俺は思う。

「ま、良かったら応援しに来てくれよ。クソ暑いけど」

「そうだな。都合が合えば優と一緒に行くよ」

 優はこくりと頷いた。それを見た日吉は、また照れ臭そうに笑った。



 五時限の授業が終わると、教室には一気に放課後の空気が流れる。毎週月曜日は終礼がなく、授業が終了次第帰宅となる。月曜日はオフの部活が多いが、野球部は当たり前の様に練習があるらしい。日吉を待ち受ける悲しい現実に涙が止まらない(大嘘)。

 日吉と別れを告げた俺と優は、駅前にあるショッピングモールに向かっていた。ショッピングモールと言っても、そんなに大きなものではなく、ブティックや値の張るカフェなどが多いため、学生たちはあまり訪れない場所である。学生たちは電車で二駅ほどのところにある某大型ショッピングセンターで遊ぶことが多いらしい。しかしそこに行こうとすると、俺と優の最寄り駅に逆行することになるので、俺たちは頻繁には行かない場所である。

 学校の校門から出ると、西日が容赦なく俺たちを照らしてきた。

「暑いね」

 優はヘアゴムで髪を結んだ。すると彼の白いうなじに汗が糸を引くように流れる。俺は謎の背徳感に襲われ、慌てて目を逸らした。いかんいかん、こいつは男だ。

「——今年の夏は暑くなりそうだな」

「ふふふ。毎年言ってる気がするね。それ」

「確かにそうだな」

 日差しが強い。しかし湿度は少なく、爽やかな暑さだ。最近の夏はまるで熱帯雨林のような蒸し暑さなので、こういった爽やかな暑さは珍しい。

「そういえば優。本屋に行ってなにを買うんだ?」

「あ……あの、お母さんに頼まれて、雑誌を買ってきてって言われたの」

「なんだその煮え切らない反応」

「なんでもないって!それより、奏太。買い終わったら、カフェに行かない?」

「おい優。昼食をしっかり食べないから腹が減るんじゃないのか?」

「食べるんじゃなくて、休憩だよ。なに?お父さんみたいなこと言わないで」

「まぁ、いいんだが」

 それからしばらく雑談をしながら歩いていると、『アスカ』という名前のショッピングモールに到着した。中に入ると寒いぐらいの冷風が吹いてくる。汗で蒸れたシャツが一気に冷えてしまった。

 本屋は三階にある。俺と優はエレベーターに乗り込み、三階に向かった。

「なんかあんまり人がいないね」

「なんでそんなひそひそ声なんだ?」

「いや、本屋さんって静かにしないといけない風潮じゃん」

「なるほどな。——まぁ平日だしな」

「奏太は漫画でも見て待っててよ」

「良い百合漫画を探してくるよ」

「いちいち言わなくていいよ」

 俺は漫画コーナーのある方へ向かう。この本屋は結構広く、漫画コーナーもスペースを広くとっている。少年漫画や少女漫画がある手前のコーナーを抜けた先に、俺が求めるコーナーがある。まぁニッチな界隈であるのは理解しているが、まるで隠すように設置するのはどうなんですか?まぁしょうがないが。

 百合のコーナーはボーイズラブ系のコーナーの隣にあった。

 そこには一人制服を着た少女がいたので「すいません」と小声で言いながら、後ろを通って目に入った百合漫画を手に取る。それはアニメ化が予定されている『いつか君になる』だった。一度も読んだことがない作品だが、どうしようか。悩んでいると視界の横から腕が伸びてきた。その手は『抱きつきたい男に脅されています』というBL漫画を掴んだ。思わず横を見ると、見覚えのある女子が、真剣な顔つきをしていた。

「あれ?黒木……」

「…………へ?」

 挙動不審な動きをする黒木がそこにはいた。

「——腐女子」

 黒木が腕に抱えた数冊の漫画を見て、俺は思わず口走ってしまう。

「はっ!な、なんでもない」

「不二君よね?」

「人違いじゃ……」

「どういう嘘かしら?」

「あはははは」

 俺の乾いた笑いが響き渡る。気まず過ぎて、顔は笑っていない。黒木も同じだった。

「迂闊だったわ。こんなところでクラスメイトと会うなんて。変装もしてないし」

「あ、あの黒木さん?」

「不二君」

 彼女がぐっと近づいて、くっきりとした瞳で俺を見つめてきた。俺は思わずたじろいでいしまった。

「は、はい?」

「ここで会ったことは内緒にしてほしいの。あなただって腐男子であること、バレたくないでしょ?」

「いーやいやいや、俺は腐男子じゃない!ほら」

 俺は手に持っている漫画を彼女に見せる。すると黒木は目を丸くして漫画の表紙を睨み、次に俺の目を睨んだ。そして何故か残念そうな顔をした。

「同族かと思ったのだけれど、仕方がないわね。——いずれにしても、バレたくないでしょ?」

「え?いや別に」

「はぁ?なんなのその反応。俺はそういうの気にしませんよみたいな顔して」

「バレるも何も、俺の友人は俺の趣味のこと知っているからなぁ」

「……じゃあ、分かった。何をすればいいかしら」

「ひゃい?」

 突然の質問に素っ頓狂な声が出てしまった。

「内緒にしてもらう代償よ。煮るなり焼くなり好きにしなさいっ!」

「ちょ、ちょっと待て!なんで目を瞑って口を尖らせているんだ⁉」

 黒木は俺がイメージする真面目な雰囲気から大きく逸脱していた。だが、端正な顔立ちと艶やかな長い黒髪、凛とした立ち姿の彼女はとても美しかった。その黒木が俺の目の前で、まるでキスをするような顔をしているのには、さすがの俺も動揺してしまう。

「黒木!なんか勘違いしてないか?他人に言ったりしないよ。代償なんていらないさ」

「へ?」

 黒木は頬を赤くしていた。白い肌と赤い頬のコントラストが綺麗だった。

「言わないよ」

「不二君、あなた……すごく優しいのね」

「なんでそんなに感動しているんだ?」

「うふふ、じゃ、じゃあ。私はもう行くから。またね」

「え?あぁ」

 黒木はくるりと踵を返して、早歩きで去って行った。唐突に会話を切り上げられた気がするのだが。何だったのだろうか。

「あ、あれ?」

 黒木が手に持っていた数冊の漫画が陳列棚に置いてある。置きっぱなしにして帰ってしまったのだろうか。一番上に置いてあった一冊に視線を向ける。

「(なんで『キャラクターの描き方 男性編』なんだ?黒木は絵を描くのだろうか?)」

 その本をそっと棚に置き、その他の漫画を手に取る。『俺の先輩は悪魔でした』というタイトル。言わずもがなBL本である。

「どういう先輩だよ」

「えぇ、奏太。遂にBLにまで手を出したの?」 

 振り向くと優が軽蔑の眼差しを向けていた。俺の必死の弁解が始まった。


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