ぎよくれい、あやかしたちと遊ぶのはもうやめなさい」

 敬愛する養父の忠告に、玉玲は赤みがかった黒い目をぱちくりさせた。

 しんだいに横たわっていた養父は上体を起こし、けわしい表情で玉玲を見つめてくる。

 とつぜん部屋まで呼び出して、何を話すのかと思えば。

「どうして? みんな、いい子だよ?」

 なつとくできない玉玲は、首をかしげて反論した。

 すると、部屋のとびらが開き、

「あやかしがどんなやつかなんて関係ねえんだよ。村でうわさになってんだ。だれもいない場所に話しかけたり、『待って~』とか言って一人で走り回ったり、かいな行動を取るガキがいるって。お前のせいで、うちのざつだんが白い目で見られてんだよっ」

 いらたしそうに告げながら、おおがらな青年が養父の部屋に入ってくる。

 玉玲が所属する雑伎団の団員であり、あにであるうんらんだ。

「私、奇怪なことなんかしてないよ。あやかしたちと話したり、遊んでるだけだもの」

「だーかーらー、そのあやかしがえるのは、お前だけなんだって。はたから見たら、おかしいガキの奇行にしか見えねえんだよっ。おとなしくしてろよ、まったく。が病でふせってるって時に」

 養父の病の話をされると、さすがの玉玲も言い返せなくなってしまう。

 口の悪い兄弟子ならともかく、養父にだけはめいわくをかけたくない。

「……せっかく友達ができたのにな」

 雑伎団で旅を続けて五年。団長である養父が病をわずらい、しばらくとうりゆうすることになった村。ここで玉玲は、五歳になって初めて友達を得た。村に住みついた、気のいいあやかしたちだ。年の近い団員がおらず、移動生活でなかなか友達ができなかった玉玲にとって、思いがけない喜びだった。

「すまないね、玉玲。私なんかがお前を拾ったばかりに、さびしい思いをさせて」

 玉玲は直ちにかぶりをって、養父の言葉を否定する。

「私、師父に拾ってもらってすごく幸せだよ! けいは小言ばかりで口うるさいけど、いつしよに演技をするのは楽しいし、師父はやさしいし、この団での生活が好き。誰が捨てたかもわからない私を育ててくれて、とっても感謝してる」

 養父が見つけてくれなければ、きっとおおかみじきになるかえ死にしていたことだろう。

 赤子のころほこらの前に捨てられていた自分を拾ってくれた養父には、感謝してもしきれない。

「そう思うなら静かにしてろよ。あやかしなんてな、この村の人間は誰も信じちゃいねえんだ。いいか? たいていの人間は、目に視えない存在を気味悪がるか否定する。人には視えないものが視えるって言うお前のこともな」

 玉玲は胸にチクリと痛みを覚えてたずねた。

「じゃあ、師兄も私の話が信じられない? あやかしを気味が悪いと思っているの?」

「別に、お前の話を疑ってるわけじゃねえけど、正直気味はわりいよな。あやかしがその辺にいるなんて聞かされたらよ。うそだと思いたいくらいだぜ」

 言いすぎだと感じたのか、養父が「雲嵐」と呼んで兄弟子をたしなめる。

「仕方ねえだろ、気味が悪いもんは。師父だって理解できんだろ? これまであやかしが視える人間に会ったことあっか? 玉玲が異常なんだ。俺の反応はつう──」

 それ以上聞いていられなかった。玉玲は兄弟子の話からのがれるように走り出す。

「おい、玉玲!」

 すぐに雲嵐が呼びとめてきたが、当然応じてやるつもりはない。

 勢いよく扉を開け、部屋から飛び出していく。

 兄弟子の言葉に腹が立ったというより、悲しかった。異常だと言われたことが。

 昔からそうだった。あやかしがいる、そう言っただけで、大人たちは玉玲に奇異の目を向けてきた。村の子どもには、嘘つきだとバカにされた。養父や団員たちは話を信じてくれたけど、特異なこの力とあやかしの存在を受け入れてくれたわけではない。そう感じるたびに、玉玲はずっと胸にどくかかえ続けてきたのだ。自分は周りの人間とはちがう。異質な存在なのだと。

 あやかしは気味の悪い存在なんかじゃないのに。自分は間違ったことは言っていないのに。

 やるせない思いをいだきながら、やみくもけていた時だった。

〝……けて。……助けて……〟

 どこからか声が聞こえた気がして、玉玲は立ちどまる。

〝助けて、玉玲〟

 言葉ではなく、心のさけびが頭の中でひびいたように思えた。ものすごくいやな予感がする。

 なぜか玉玲のかんはあたるのだ。てんの才能と言っていい。あやかしだけではなく、人には視えない空気や気配まで感知する。

 東の空を見あげると、黒いもやが上空へと立ちのぼっていた。

 そちらの方角できっと何かが起きている。

 玉玲はわきも振らずに東へと走った。住民の数は百にも満たない小さな農村をひたすら東へ。

 のどかな田舎いなかの景色が西へと流れていく。ぽつぽつとたたずむろうの家屋。ゆるやかな速度で回る風車。のんびりと草をはむ馬や牛。

 そして、そうされていない道の先からは、肌があわ立つようなだんまつが──。

「ぎゃあ────っ!」

 せいさんな光景をのあたりにして、玉玲はこおりついた。

 刀で体を両断され、あやかしたちが消えていく。黒い靄となって。

 一番初めに声をかけてくれたへびのあやかしも。興味深い話を聞かせてくれたかめのあやかしも。よく駆けっこをして遊んでいたイタチのあやかしも。

 ようしやなく刀を振りおろしているのは、十代後半くらいの青年だ。見るからに仕立てのいいこんちようほうをまとい、黒いちようはつ小冠かんむりで一つにまとめている。

 青年は流れるような動きでイタチのあやかしをはらうと、とどまることなく別の方向へと切っ先を向けた。ゆいいつ生き残り、ぶるぶるとふるえていたしろねこのあやかし、てんてんに。

「やめて!!」

 とっさに玉玲は声をあげ、天天の前へと飛び出した。今は放心している場合じゃない。天天は一番仲よくしてくれたあやかしだ。この子だけでも守らなければ。

 天天をかばうようにりよううでを広げ、ぜんとして青年の顔を見あげる。

むすめ、お前、そいつが視えるのか?」

 青年はまゆをひそめ、玉玲に冷ややかなまなざしを向けた。

「どうしてこんなひどいことをするの? みんな、とってもいい子だったのに!」

 やいばのような視線のするどさにひるむことなく、玉玲は青年をにらみつける。

 初めてあやかしが視える人に会ったのに、おどろきもかんがいもわいてこなかった。

 時間の経過と共に、大事な友達を失った悲しみといかりがどんどんこみあげてくる。

「あやかしは存在そのものが悪だ。人に害をおよぼす前にじよする。それが我らの務め」

「あの子たちが人に何をしたっていうの! 悪さをしてるところなんて見たことない! 陽気で人なつっこくて優しいあやかしたちだった!」

 負の感情を視線に込めてぶつけると、青年は罪人でも見るようにこくはくな目をして言った。

「この村にあやかしにられた少女がいるという噂を聞いて来たのだが、お前のことだったか。ならば、情けは無用だな。あやかしをかばい立てするなら、一緒にめいへ送ってやろう」

 いっさいのちゆうちよもなく、青年が刀を振りあげる。

 はくじんの光がきらめき、まぶしさに目をつむったせつ──。

「お待ちください!」

 どこからか空気を裂くように声が響いた。

 かくしていた痛みやしようげきはいつまでもおそってこない。

 玉玲はゆっくりまぶたを持ちあげていく。

 青年の後方に、決然とした表情で歩く少年の姿が見えた。年は玉玲の少し上くらい。そうしんに上等なせい色の長袍をまとい、長いくろかみは一部だけを束ねて背中に流している。

 少年が近くまでやってくると、青年は刀をおろし、鋭い目つきでこう告げた。

せい、お前はけんしやから出てくるなと言ったはずだぞ。俺のすることに口を出すな」

「いいえ、見すごすわけにはいきません。めつしていいのは人に危害を加え、大いなるわざわいとなりうるあやかしのみ。兄上は、天地をべるぎよくこうたいていの定めしてんりつおかされています」

「天律は今ではただの建て前だ。あやかしをのさばらせれば、人間にとっていずれ害となる。そうなる前にやくさいの芽をつむこともまた我々の役目」

「ならば、兄上がなされたことをすべて父上に報告します。よろしいのですね?」

 阿青と呼ばれた少年は、おくすることなく青年を見すえて意見する。

「悪さをしたあやかしならまだしも、な少女を手にかけるなど、いくら父上とはいえお許しにならないでしょう。それに天律には、むやみにあやかしを滅してはならない、とあります。人と同じく、あやかしにも善と悪がいる。兄上はその判断をおろそかにした。このあやかしは天律にのつとり、しかるべき場所へ連れていきます。よろしいですね?」

 青年はいらちをあらわに阿青をにらんだ。

 のように殺気立った視線を受けても、阿青は動じない。

 少しも目をそらすことなく、青年とたいしている。

 先に勝負からおりたのは、青年の方だった。

「勝手にしろ。だが、阿青。あやかしに情けをかければ、いずれおのれの身に災いが降りかかることになるぞ。その甘い判断をこうかいすることになる。覚えておくがいい」

 のろいの言葉を浴びせるように忠告すると、青年は阿青に背中を向けて去っていった。

 阿青はホッとした様子で息をつき、玉玲の方へと近づいてくる。

 いや、玉玲ではない。その後方で震えていた猫のあやかし、天天の方へ。

 意味のわからない短いじゆもんをとなえると、阿青はふところから取り出した黄色い紙を、すばやく天天の額にりつけた。

 とたんに天天が、ぐったりと地面に体を投げ出す。

「天天!」

 声をあげて駆け寄る玉玲に、阿青は安心させるようにやさしいこわで言った。

だいじよう。落ちつかせるためにねむらせただけだよ。ちゃんと生きている」

 玉玲はかがみこんで、天天の様子を確かめる。

 ぐったりはしているものの、天天は静かないきを立てていた。

 額に貼られているのは、難解な文字が書かれたたんざくだ。お札というものだろうか。

 ひとまず天天が生きていることにあんする玉玲だったが。

「ごめんね。こんなことになってしまって。この子は僕が責任を持って預かるから。決して悪いようにはしない」

 阿青は申し訳なさそうに告げて、天天をそっと抱きあげた。

 玉玲は不安なおももちで阿青の顔を見あげる。

「天天をどこかに連れていっちゃうの?」

「ああ。この子が本来いるべき場所。仲間が大勢いるところだよ。ここにいてもさびしい思いをするだけだろう? この子のためにも、仲間のもとへ連れていくのが一番いい」

「……仲間」

 玉玲ののうに、消えたあやかしたちの姿がよぎった。

 この村に天天以外のあやかしは、たぶんもういない。仲間はどこにもいないのだ。

 養父の病がえれば、玉玲もこの村からはなれることになる。あにの様子からすると、あやかしである天天の同行を許してはくれないだろう。天天はここに置いていかなければならない。仲間もおらず、独りぼっちになってしまう。

 仲間が大勢いる場所で、天天が幸せに暮らすことができるのなら。

「あのこわい人から守ってくれる?」

 玉玲は不安をぬぐいきれずかくにんした。命を助けてくれた阿青ならまだしも、あやかしを斬った青年のことだけは信用できない。

「ああ、必ず守ろう。約束する」

 まっすぐ見すえていると、阿青は優しげなみをかべて断言してくれた。

 星空のようにんだ彼のひとみを見て、玉玲は直感する。この少年のことなら信じられると。

 黒い靄がただよっている中、なぜか阿青の周りだけが、きらきらとかがやいて見えたのだ。そこだけ空気がじようされているかのように。

 こんなにきれいな空気をまとった人になら、天天をまかせられると思った。そして、わかってくれるかもしれない。あやかしの存在を受け入れ、守ろうとしてくれている彼ならば。

「私、天天のことを友達だと思っているの。それっておかしいのかな?」

 胸にわだかまるどくな気持ちを払うべく、玉玲は阿青におずおずと質問する。

 つかの間、目を丸くする阿青だったが、玉玲の胸中を察したのか、笑顔で答えてくれた。

「全然おかしくなんかないよ。僕にもあやかしの友達がいる」

「えっ、本当!?」

 玉玲は声がひっくり返るくらいきつきようする。まさか、自分以外にそんな人間がいるなんて。

「気味が悪いって言われないの? あやかしがえることだって」

「確かに、気味が悪いと言う人もいるけれど、気にする必要はないよ。あやかしが視えるのは君だけじゃない。僕たちのほかにも何人かいる。君の力はとても意味のあるものだよ。あやかしと人をつなぐ特別な力だ」

「……あやかしと人をつなぐ、特別な力……?」

 彼の言葉を聞いたしゆんかん、玉玲の体の中で何かがはじけた。

 孤独もなやみも全て打ちくだかれたような気がしたのだ。自分は独りじゃない。あやかしが視えるこの力は、人を気味悪がらせるだけの無意味なものではないのだと。

 阿青はおだやかな表情でうなずき、玉玲に「それじゃあね」と告げて、立ち去ろうとする。

「また会える?」

 玉玲はとっさに阿青のそでつかんでたずねた。

 もう会えなくなるのかと思うと、また悲しい気持ちになる。せっかくあやかしが視える同志のような存在にめぐり会えたのに。天天と別れるのも、やはり寂しい。

 まゆくもらせていると、阿青は不安をき飛ばすようなきらきらの笑顔で返してくれた。

「そうだね。君があやかしとつながっていれば、またどこかで会えるかもしれない。その時はゆっくり話をしよう。この子の話も聞かせてあげるよ」

 阿青の言葉に安堵し、玉玲の口もとにもようやく笑みがこぼれる。

「うん、約束ね!」

 かげめてある軒車へ向かう阿青を、玉玲は手をって見送った。

 いつか彼らと再会できることを願いながら。


 その日のおくは玉玲の胸に痛みをあたえつつ、大切な思い出としていつまでも残り続けることになる。

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