第22話

 中央にある交差点で足を止め視線を移すと、左手に検定マークを乗せた車。さらにその脇には、検定を受ける生徒が待つと見られる簡易的な部屋。

 そこがすぐに普通車の発着点と察したものの、なぜか待遇の違いを感じ、


「普通車は待つ場所があっていいな~」


 と、半分ぼやき気味に一言。

「ええ。大型なんて何もないですよ」

 若い彼の言葉に一同また大型の発着点を見つめ苦笑いする。絶対数の違いとは言え、あまりにも寂しい景色だった。

「検定中ずっと立って待っているんですかね?」

「信じらんねぇな~」

 と、笑いながら運送屋の彼が言う。

 最後に乗らなければならない私は尚のことそう思い、

「せめて衝立の一つでもあると、風が多少凌げて良かったんだけどな」

 と、皮肉を込めながら言い笑いを誘った。


 南向きに整列した四人は、走り始めた三角帽子の車を目を細めて追っている。ズボンや服がバタバタと揺れ、自然に姿勢は縮んで行く。


「おせぇなぁ~」


 運送屋の彼が目を細め零す。

 誰も北にある車庫を見ようとしない。吹き付ける風が顔に痛みを覚えるほどの砂埃を撒き散らしているからだ。そのうち来るだろうと、半ば投げやりな表情で待つ四人は、小刻みに体を揺らし続ける。朝の出来事と言い今日はついてない日だと思った。

 順調な進行を続ける普通車から、うなりを上げて走るトラックに視線が移ったのは、どのくらいしてだろうか。

 寒さに耐え兼ねていたので、これから検定を受ける等というよりは救われた気分で、暖機のため外周を走るトラックを胸を撫で下ろしながら眺めていた。

 恐らく他の人達も同じであったと、その安堵の滲む顔が物語っていたであろう。

 雨に日に待ち焦がれたタクシーが今、乗合所目指して走って来る。まさにそんな雰囲気だった。


「何号車?」

「三号車だ」


 と、車を確認する声が聞こえる。

 やはり一号車はみんな乗り辛いと見え気になったのだろうが、それよりも私は検定員が誰であるかの方が気になり、運転席の影だけに注意を払っている。

 見覚えのある顔だった。しかし、名前までは浮かばず、それ以降見続けるのを止め、到着するのをただじっと待った。

 わかればどうでもいい人だった。きっと教習を受けた際もそんな印象だったに違いない。

 外回りから中央の交差点を経て、トラックは発着点のポールに合わせ停車すると、まだ完全に温まっていないエンジンが、車体を不安定に揺らしている。


「はい。それではこれから修了検定を始めます。え~乗る前に必ず教習番号を言ってから乗車するように。じゃあ早速最初の人から始めます」

 ただでさえ細い目をさらに細め、教官は降りて来る早々一言告げ、すぐに助手席へと乗り込んで行く。年配の人も足早に運転席へと急いだ。

 慌ただしい光景は、時間に追われた感じもしないではないが、ただ外にいるのが辛かっただけのような気がしてならず、半ば羨ましく温かいであろう空間を見つめていた。


 それでも動作の順番を照らし合わせながら、じっと目を凝らせば、自然と身体は迫りつつある検定で気持ちは高ぶり、寒さも僅かながら和らぐのだった。眺める横の二人も同様だと思った。

 やがて発進の合図に息を吹き込まれたトラックが、外周のコースへと出て行くのを一同目で追い、顔で追い、全身で追いかける。場内は騒がしく響く音一色だった。

 どんな気分で運転しているのか等との想像も、白いボディーを窘めるように操る音に遮られてしまい、


「まだ、温まってねぇんだろ?」

 と、二人に訊けば、

「・・みたいですね。でも次あたりはもう大丈夫でしょ」


 乗り辛いのは今だけだと運送屋の彼は安心を仄めかす。

 奇しくも同じことを思ったにしろ、最後に乗る私としては心配の種ではなかった。それどころかむしろ各部が温まって、乗り易いだろうと歓迎していたのである。

 そう考えると何げなく決まった順番とて運不運があるものだと、やや年配の人が気の毒に見えて仕方がなかった。

 しかし、最後は最後ですべてが良かった訳ではない。

 三人は検定コースを順調に消化するトラックを、少しの間見続けた後は、また北を背にして立ち、時折どこまで進んだかと視線を送る程度になった。緊張感を保てるのはやはり運転している者だけなのか、開始早々の気持ちが徐々に薄らぎつつあれば、今度は忘れていたように寒さが身に染みて来る。実はこの寒さに耐えることこそが検定よりも大変だったのである。


 共に苦しみを分かち合う仲間の存在が、私のやせ我慢を和らげてくれたとは言え、かじかんで麻痺しつつある指先の感覚には、さすがに不安が募りトラックを見つめる。


 まだ半分にも達していない。


 このままではハンドルが握れなくなるかもしれない。そう直感した私は、手を閉じたり開いたり擦り合わせたりして、冷たくなった指先の感覚を取り戻そうと努めた。ポケットにも入れたりしたが、薄手のズボンでは歯止めが掛けられそうになく、また同じことを繰り返した。一番手が終わっていないというのに、果たしてあと二人も持ちこたえられるのかと、横の二人を見ながら、最後の順番を恨めしく思った。

 運送屋の彼も我慢の限界と言った顔で私を見る。辛そうな表情だった。


「修検あたりじゃ・・余裕だろ?」


 私は寒さを紛らすため彼に話しかけるものの、震え気味の声までは隠せなかった。

「まぁ・・・・なんとか」

 強ばった顔にうっすら笑みを浮かべ彼は絞り出すように答える。二人の会話に反応し若い彼もこちらを向いていたので、

「そっちも大丈夫だろ?」

 と、訊くと、

「・・・・たぶん大丈夫だと思うんですが・・・・」

「乗ってたことあるんだろ?」

 自信がないのか寒いのか不安そうな返事に聞こえたので、また訊き返すと、

「いえ、普通車しかないんですよ」

 と、彼。この答えは一瞬寒さを忘れさせた。

「そうかぁ~・・・・普通車からだとちょっと大きく感じるよな」

「そうですね~。最初は怖かったですよ」

「じゃあ、これから運送か何かで?」

 ここで会ったのも何かの縁だと、どんな理由でここに来たのか尋ねれば、

「いえ、全然違う仕事なんですよ」

 と、またも寒さを忘れる答え。

「・・・・・・え!?じゃあ何で大型を?」

「あ・・まぁ資格はあってもいいかなと・・・・それに今就職するまでけっこう休みが多くて暇ですからね」

「あ~じゃあ、大学卒業して?」

「ええ。そうなんですよ」


 歳が来れば当たり前のように取る普通車と違って、大型ともなれば人それぞれ様々な理由があるものだと思った。

「まぁ、大型の修検あたりで落ちる奴はいねぇだろから」

「え・・でも今乗ってる人は一回落ちてるみたいですよ」

「え!?・・・・そうなん?」

 と、意外な顔で走るトラックを見た後、

「大丈夫だよ。緊張しないでいつもやってることをやりゃ~」

「ええ。頑張ります」

 彼は清々しく笑った。

 気が付けば目の前のS字にまでトラックは来ていて、最後となるコースをゆっくりと通過している。若い彼の顔に緊張が混じった。

 目安となる位置に停止した運転席から年配の人が降り、私達の後ろを通り真っすぐ建物へと向かって行く。交わした言葉は無かった。


「じゃ、行って来ます」

「頑張れよ!」

「気楽にな!」

 二人は声を掛け彼を送り出す。良い光景だと思った。そしてまた寒さとの格闘が始まる。ほとんど無言に近かった。相棒が居るだけ救いだったが、何かを考え話そうとするのさえ辛くさせた。

 入れ替わるように出て行く運送屋の彼に一声掛けたあとで、

「どうだった!?」

 と、無事に終わったことを近寄る彼に確認すれば、

「ちょっと一カ所ミスっちゃいました」

 開口一番照れ臭そうな表情で一言。

「ミスって!?」

「・・・・脱輪なんです」

「脱輪!?どこで?」


 思いも寄らぬ答えに驚きながら訊き返す。開始前の注意事項で脱輪は一発不合格と聞いていたからだ。

「坂道を下って鋭角に曲がるところです」

「あ~。あそこは結構きついんだよな~・・・・で、乗り越えちゃった?」

「いえ・・まぁ・・途中で止まって戻った・・・・ような気がするんですけど・・・・」

 と、判断が曖昧なのか口ぶりには自信がない。

「越えてないんだったら大丈夫だろ?」

「平気・・ですかね?」

「ああ・・、たぶんね。なんたって最後まで走れたんだから大丈夫だよ」

 現場を見ていないとは言え、途中で検定の終了を告げられなかったのだから問題は無い。そう思った私はさらりと言い払った。


「じゃあ・・・・先に行ってますから」

 と、彼は言い残し建物へと小さくなって行く。

 内心出来るなら一緒に行きたいとその背中を見つめた。

 寒さも会話も分かつ相手のいない今、一人取り残されて吹きざらしの中に佇む格好は、まさに歩きながら見た年配の人そのものではないかと、自分自身の姿が異様に見えたりする。これが遅れて来たことの天罰であるなら、いっそ断られて別の日に受ければ良かったとも思っただろうか。だが、そんなことはどうでもよかった。


 指先や顔の感覚がどうにかなってしまいそうで、ただ一番早く訪れる温かい場所のことしか考えられなくなっている。言わば本能の部分が身体を支配していたのだと思った。

 従ってあと二人も待たされることにでもなったら、恐らく安全確認や番号も言えずに乗り込んでいたに違いない。


 運転席に腰掛けた私は、必死に検定を受けるのだと言う自分を呼び覚ました。そうでないとこの上ない幸せに融けてしまいそうだったのだ。

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