第21話

「どうも、遅くなってすみません」



 特に誰にと言ったつもりはないが、遠くまで響いた声に所長は軽く手を上げている。


(植木さん・・・・ありがと)


 心の中でそう呟きながら、指示された二階の教室へと駆け上がって行った。部屋には修検を受ける数人の男女が、その開始を今や遅しと待ち、入所時一緒だった運送屋の人の顔もあった。奇しくも同じ日なのかと見ていると、私に気づき軽く頭を下げる。

 同様に私も返し彼の後ろに腰掛けた。

「・・・・道が混んでたんですか?」

 クルッと振り向き声を殺すように彼が訊く。

「ああ、参ったよ・・・・」

「それでは、みなさんお待たせしました」


 次に言いかけた台詞は、声と同じスピードで入室する教官の姿に遮られ、一気にムードが高まる。心地良い緊張を感じた。

 しかし、目に映る時間に追われたかの慌ただしい雰囲気は、どうしても他人事には見えず恐縮してしまうのだった。

 室内は入所時に指示された場所。大型は北側と言う具合に予め別れていたため、席を立つ者もなく進行は円滑で、それがこの教習所に通い慣れた証しだとも思った。所定の説明はやはりただ聞いているだけで、入所時の光景をもう一度見ているような気がしてならない。居眠りを誘うほどの温かさはない。それがあの時との違いかもしれない。いくら日当たりの良い場所でも、さすがに早朝は隠せないとみえ、誰もが背中に丸みを帯びている。


 もちろん私とて例外ではない。

 持ち点がいかほどあって、脱輪がマイナス何点などと言う話も、私にはどうでもいい事だった。見た目には教官の話に聞き入る姿勢も、込み上げるやる気をどう紛らそうか賢明で、体は犇々と闘争心にも似た力に覆われて行く。

 早く始めてくれと叫びたい心境だった。遅れて来たことなどすっかり忘れてしまっていた。


 やがて、本日の検定のコースと何枚かのファイルが配られ、手にした者は試験の問題でも受け取ったように目を凝らし眺めている。

 ファイル三枚に対して大型は四人居たが、一番前に座るやや年配の人が気を遣い、サッと次に回してくれたため、待つ事なく後方の私にもコースの記されたファイルが届いた。

 じっくり辿りながら頭に叩き入れようと努めた。何度も繰り返した。

 方や普通車はその三倍の十二人。三列に別れた先頭から順番に目を通し、覚えたら後ろに回す作業であるため、一人当たりの時間は長い。お陰で入念にチェックする間が出来て良かった。


「走りながらその都度、教官が次のコースを言いますから、全部覚えなくても大丈夫です」


 一向に行き渡らない普通車の人達に教官は声を掛ける。

 コースを把握した私は、紙面の上に再現されたコースを見て、場所と形を照らし合わせて時間を潰していた。

 続いて受験する順番や発着点場所の指示を含めた話が始まり、内容もより現実味を帯びて気分も高まる。

「普通車の人は、まず教官の後ろに乗って一回走ります。戻って来たら後ろに乗っている人が検定を受け、次に受ける人が今度は後ろに乗ってコースを覚えますから、二回ずつ乗ることになります」

 どこか耳に懐かしい響きだった。ふと大型もそうだったら面白いだろうなと、つまらぬことを考え込んでしまった。後ろの寝台に座る光景を思い浮かべたら、何とも間抜けな格好でおかしく笑いをこらえるのに苦労した。


「え~それでは、少し休憩したあと検定に入りますから、各自発着点で待つようにしてください」

 その号令ともいえる声を最後に、教室に置き去られた別の静寂。階段はより寒く体を締め付け暖へと急がせる。室内で吸えなかったタバコも理由の一つだろう。


 ストーブに当たる見覚えのある作業服が視線に止まり、私は近くに腰を下ろした。

 彼の近くには同じ列で見た服の人もいる。学生の休日のような支度が顔をさらに若く見せ、普通車と言っても何ら不思議ではない感じだ。

「修検も同じだなんて奇遇ですね」

 どうもと言った調子の後、運送屋の彼は煙草を点けながら私に言った。

「ああ、もうとっくに路上行ってて、のんびりしてるのは俺だけかなって思ってたよ」

 冗談めいた私の言葉に、運送屋と若い彼が笑いをこぼした。

「あれ!?そっちの人も大型だったよね?」

「はい」

「入所はいつだったん?」

 卒検までどれくらいかかったのか気になって訊くと、

「あ、俺も同じ日なんですよ」

「一緒!?」

「ええ、あの日に居たんです」

「そりゃ気がつかなくて悪かった。まぁ顔までジロジロ見ないからしょうがねぇか。あ、じゃあ三人一緒ってわけだ?」


 何か気の知れた仲間に会ったように場が和んだ。

「仕事が忙しくて乗れなかったんかい?」

「え~。ま~。仕事のせいもあるけど、予約も取れなくて・・・・」

「そっちの彼は?」

「そうですね。予約がやっぱり取れないですね」

 短い言葉でもその真面目な人柄が感じ取れた。

「やっぱりそうか~・・・・大型なんてたいして人がいねぇ割りには、予約って取れねぇもんだよな~」

 二人はうんうんと頷く。

「たぶん、時間が重なっちゃうせいだろ」

「だと思いますね」

 と、若い彼。運送屋の彼も同様の素振りだ。

「やっぱり朝とか夕方かい?」

「ええ・・・・仕事があるからどうしてもそうなっちゃいますね」

「俺も夕方あまり取れないから、朝に回ったんですけど、やっぱり取れなくて・・・・」


 しみじみした口調で話す運送屋の後に、笑いながら若い彼が言う。

「そうそう。予約ってまとめて取っちゃうんかい?」

「そうですね。なかなか取れないですから、取れるときはまとめてって感じで・・・・」

 今度は先に若い彼が口を開いた。

「俺は仕事の予定がわかんないから、あんまり先までは取れないですね」

 と、運送屋の彼が続ける。

「仕事は定期便?」

「いえ、特には決まってないんですよ。会社もあんまり遠いと、ここに来るのも大変だろうからって、近くの仕事を回してくれてるんですけど、すんなり行かないですよね。やっぱりまとめて取っちゃうんですか?」

 運送屋の彼は同じ質問を私に返した。取れない予約は誰もが気になるのだと思った。

「いや、俺は今日乗ったら次回って、その都度取ってる感じなんだけどね」

「そうですか・・・・でも、それだと俺と一緒でけっこう間が開くんじゃないですか?」

「開くね~。まぁ俺の場合はいつまでって期限は無いから、それでも良いんだけどね」

「・・・・だったら良いですね。俺なんて会社から早く取れって、けしかけられてますから大変ですよ」

「それじゃ~尚更大変だな」


 返事はなかったが、優れない顔に今置かれた状況を察した。若い彼も黙ったままじっと聞き入っている。ストーブの音だけが聞こえていた。重い空気だった。

 今後どう予約を取ろうかと思案しているのが、語らずとも伝わって来る。だから、

「みんなおんなじ時間だとすると、こりゃ~路上に出てからも予約が大変だな~」 

 と、あえて私は冗談半分の口調で茶化してみせた。

 誘った笑いにしても、健闘をたたえ合う笑顔の中の瞳に、少なからず心が通じ合ったのだと思った。

「ボチボチ行くかい?」

「そうですね」


 連なり外へと足を踏み出した三人は、思わず髪を乱す冷たい風に顔を見合わせ、

「寒いね~」

「寒いですね」

 と、声と笑いを交える。ずっと以前から知り合いだった距離が心地良い。

 車道は歩かないようにとの注意から、コース中央の道沿いにある枯れた芝生の上を真っすぐ進んで行くと、普段と打って変わった荒れ模様の天気に、ストーブで温められた身体など一瞬で縮めなければならず、足に伝わる感触だけが優しかった。


 不合格を告げられた後にも似た姿で歩けば、狭い場内がやたら広く感じてしまい、私はその奥行きを確かめながら歩いた。

 ふと、発着点に立つ一人の男が目に入り、すぐに一番前に座っていたやや年配の人であることに気付く。ストーブを取り囲んで雑談している時は、すっかり忘れてしまっていたのだが、まさかこの寒い吹きさらしの中、ずっと待っているとは思いもしなかった。


 やる気の表れか、居場所がなかったのかは別にして、トラックも教官もまだ来ていない場所に一人佇む姿は、時に哀愁。時に悲壮すら感じさせる。

 気楽に資格を取りに来たのではない風貌が、そう映し出させたのだろうか。女房、子供を抱え突然のリストラ。やむを得ずトラックでも乗って稼ぐかなどと、私は一人勝手な空想をしていた。


「あれ!?もう待ってるよ」


 運送屋の彼が気が変だとばかりに言う。確かにまともな神経とは言いづらかった。



 心構えなら、むしろ悠長な三人の方が不謹慎なのだろうが。

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