交差点で見た色

ちびゴリ

第1話

 サラリーマンが時計を気にしだす夕方と呼ぶにはいくぶん早い時間、私の耳は車内に響く砂利の音にくすぐられた。フロントガラスに広がるほぼがら空きの敷地に、車を乗り入れたままの状態で見入っていると、まるであの頃という季節に舞い戻ってしまったような錯覚に陥り、手繰り寄せた遠い記憶と目に映る映像を重なり合わせている。

 ふと、出入り口を塞ぐ格好に気付いた私は、辺りを見回しながら車を止める場所を探す。すると、今度は狐につままれたような感覚にしばし呆然となってしまった。


 不思議だった。


 確かに案内も仕切り線も無いお粗末な駐車場だが、かつて何度となく訪れたこの場所において、なぜその記憶が無いのか理解出来なかったのだ。 ましてやここから見る限りでは、当時と何ら変わらない景色が広がるだけなのに、どうしたことだろうと頭は思考することさえままならずにいる。

 次第に焦りも生じたのか、当たり障りのない場所に車を止め、くすんだクリーム色の建物に向かって歩き出すと、その聞き覚えのある音と感触がすべてを忘れさせてくれるのだった。

 建物の窓にはいくつかの人影が浮かんでいた。


 ザッザッザッ・・・・・・。


 時折風に舞う砂埃を穏やかな目で追い、

「変わってねぇなぁ~」

 と、ポツリ。レトロなんて言葉は華やかすぎて似合わず、一口にボロが相応しいとばかり、あまりの懐かしさから思わずにやけてしまった。

 もちろん私としても何も近代的またはハイカラを望んでいた訳ではない。それがまたここへ足を運んだ理由の一つでもあるからだ。


 左手に広がる実物大のおもちゃのような街を見ながら、そんなことを思っていると建物の東側にある出入り口まで来ていた。事務所風の扉を前にし呼吸を整え、異様な光沢を放つドアノブをしばし見つめた。

 付け替えられたような新しさも感じられないことから、恐らく繰り返し人の手に触れられここまでの光を得たのだろう。気を取り直したかに手にすれば、これまた異様とも言える重さに、一瞬開ける方向を間違えたのではないかと、やや力任せに引いたところ、金属同士が渋く擦れ合う音と共に、凄い勢いで開いたためそれまで整えた気持ちはすっかりどこかへ行ってしまうのだった。


 きっとどぎまぎした顔をしていたに違いない。

 そう思いつつ記憶をまさぐったりしてはみるが、立て付けの悪い扉までは浮かんで来なかった。そしてその開け方一つだけでも、通い慣れた者、初めて来た者かが判断出来そうに思えた。踏み出そうとする足の先にある、やたら高く二十五センチもあろうかという敷居も同様だ。

 段差という言葉が相応しいもので、年配の人が頻繁に出入りでもしていたら、絶対苦情が出るのではないか。もっともそれを苦にする人がどれだけ訪れるかは不明だが。


 薄暗い室内に入ると、時代を瞬時に遡ったような光景が広がり、ただじっと物珍しそうに辺りを私は見回している。まるで先ほどの扉が過去に通じる入り口のようにも感じた。


 薄暗い事務所にいきなり目に飛び込む角度がきつそうな二階への階段。

 その近くにある三人掛け程度の待ち合いの長椅子。使い古された灰皿。黒くなった床等、薄暗い室内とはいえ、お世辞にも奇麗だとは言えず独特の香りも鼻を懐かしめた。

 遥か遠い頭の中のフィルムと照らし合わせることに夢中になり、つい本来の用件を忘れそうになってもいた。


 我に返り年期の入ったカウンターに目をやると、やや年代物のパソコンが二台。決して真新しい物ではなく薄汚れて見える。それがどこか風情を損ねているように、またここでは浮き上がっているように映った。それでも少なからず現代的になった物を見て安心しただろうか。


 さらに受付でそれを操っている二人の女性。

 ある面イメージを打ち崩されるほど若く、そこだけ妙に明るく見えたほどだった。

 車を止めた場所から思い出を辿り続ける私であっても、この若さは想像も出来なく、てっきり定年前か若くても三十代半ばの、いずれにせよ、おばちゃんが陣取って居るくらいにしか思っておらず、下手をすれば当時の人が、そのまま居るのではないかとさえ思っていた。

 そんな思惑を察したのかどうだか、二人は見慣れない顔だという目付きを見せ、少し重苦しい空気が流れた。


 どちらも色白に見えたが、向かって右側の子の方が化粧も濃いめで、一層顔が白く見えた。きりっとした眉毛に、やや切れ長の涼しそうな目元。どことなく真面目そうな雰囲気が漂っていた。

 しかし、なぜか病弱な印象を受ける。化粧の仕方でそう感じたにしろ、落ち着きのある振る舞いから大人びて見えるも、二十代前半ってところだ。

 左の子は対照的に顔付きヘアースタイルから化粧とも今風。化粧も薄めで限りなく素顔を覗かせて健康的。それが原因であるのか若干右の子よりも若く見える。

 二十歳もしくは十代でも通りそうだ。

 それでも、ややきつめの表情は好ましいタイプにも映らなかった。いずれにせよ、まだ自分のものにしていないような化粧が若さを感じさせた。


 時間は夕方の五時。

 中途半端な時間なのか、事務所の中には数える程度の人しか居なく、ひっそりとそれでいてのんびりとした空気が流れている。

 一瞬で人など判断出来るものではないのだろうが、心と言うものは、そんなわずかの間に左右されることが多々あるようで、足は自然に右側の女性の方へと向いていた。

 うつむき加減に歩けば、黒く汚れたような床が目を引き、歳月の経過を私にただ感じさせた。


 コッコッコッ・・・・・・。木の床を歩く音が新鮮に足から耳へと伝わった。それでいてどこか優しく、気のせいか沈み込むような感じすら覚えた。


「あの~・・受付をお願いしたいんですけど?・・・・」

 畏まった口調で告げると、

「あ、こちらは予約の方なので、受付でしたらそちらの方へお願いします」

 と、出端を挫くように、さっぱりと応える彼女。なんとなく冷たい言い方だった。

 キリッと流し気味の目付きがそう思わせたのかもしれず、目に留まったスラッと伸びた細い指に、

(あ~指が奇麗な人だ・・・・・・)

 と、拍子抜けしたような間を埋めつつ、

「隣ですか?」と、尋ねる。 

「はい」

 そんな彼女の言葉に気を取り直し、二、三歩移動すると用件を伝える前に、

「受付ですね」

 と、先回りして隣に座る彼女が訊いた。

「え・・はい」


 つんとした彼女の表情と言い方がやや気には障ったものの、こんなときは話が筒抜けの距離は便利だと思った。同じ台詞を言う手間が省けるからである。

 これがもし役所か何かだったら、やれ一階だ二階だといくたびに同じことを繰り返さなくてはならない。

「免許の種類は何でしょうか?」

「え~と、大型です・・・・・・」

「はい、それでは手続きを致しますので少し掛けてお待ちください」

「わかりました」


 たいして大きな声で言ったつもりはないにしても、静まり返った場所にはなぜか響いて聞こえた。それからカウンターのすぐ後ろにある長椅子に腰を下ろすと、やり場に困った目が一人歩きを始め、受付の彼女らを飛び越えて後方に座る一人の男性でそれは立ち止まった。

 一度視線を外し、また見つめる。


(おやっ!?確か・・・・・・どこかで見た顔のような気が・・・・・・)


 記憶を呼び覚まし何かを思い出そうとした。見覚えのあるような顔も古すぎて浮かばないのか、ただの思い過ごしなのかと諦めかけるも、どうしても気になってしまう。どこかに引っ掛かっているような歯痒さがあった。

 薄くなった頭。人生が刻まれたような皺。メガネ。

(それなりの歳だし、場所からして偉いポジションだろう。すると所長だろうか・・・・所長!?ここの所長なんて知らないし・・・・メガネ・・・・・・)


 受付に呼ばれて説明など聞いている最中も、黙々と書類に目を通すあの男性のことが気になっている。

 いっそのこと目の前の女性に尋ねようかとも思った。だが、それはあまりに唐突であるし、小声で話しても筒抜け状態なのだから、本人に直接訊いてしまった方が早いことだと躊躇した。

 きっかけのないまま淡々と手続きは進んだ。

 紺色のジャケットに白の名札らしきものが見え、名前がわかれば一番の近道とばかり目をこらして見るが、翳された文字が見えるほどの視力は、生憎持ち合わせていなかった。


 やがて一人の教官らしき人が、

「所長・・・・」

 と、歩み寄って行く。

(あ、やっぱり所長だったか・・・・)

 謎解きの推理が一つ解けた気分で、それが記憶を呼び覚ます手段と期待したが、何も進展はしなかった。

 途切れ途切れに聞こえる声に今度は耳を傾ける。内容などはどうでもよかった。

 声は私の記憶をただくすぐるのだ。


(う~ん・・・・・・確かにこの声は聞き覚えがある) 


 ザッザッザッ・・・・・・。


 目を細めながら自分の車に向かって歩けば、整列された真新しい教習カーが飛び込み、古びた施設には浮いても見える車も、さすがにこれだけはそのままって訳にはいかないだろうと一人考え顔を緩ませた。そして順番に眺めるように視線を遠く移せば、一番奥のガレージに大型トラックが二台並んでいた。


(あ~あれだな。これから世話になる車は・・・・それにしても誰だったっけな~)

 そんな疑問が頭から離れなかったのか、逆方向から見る風景に違和感を覚えたのはその後で、敷地の先にある今風の建物を、記憶と照らし合わせるようにじっと眺めていると、建物は見る見る姿を消して行くように見え、視線の中には何も無いあの頃という景色が広がって行く。そして突然、吹き荒れる風を思いだしその目を一層細めたりするのだった。


 ドアを開け手にしている書類を助手席にポンと放り投げ、夕方やや混み出した道路へと車を出した。

 運転していてもどこか身が入らなかった。

 時間の経過から少なからず記憶の糸は繋がり出し、見覚えのある顔は紛れも無くあの場所で見たということがわかるも、普通車で通ったのはあの西教習所ではなかった。


(するともっと前の話か・・・・だとすれば・・・・バイク・・・・中型か・・・・)

 そこまでたどり着いた時、ふっとぼやけながらある顔が浮かぶ。

「・・・・・・・・そ、そうかぁ~あの時の教官だよ」

 今まで頭の片隅に所長というのが離れなかったため、なかなか出て来なかったのだろう。

 当時の光景が朧げに浮かび出す。


────「よ~し、そうだ!もっとアクセルを開けて!」

「だめだ~!安全確認を忘れるなって言ったろ!」

「そうそう、今の感じだ。その感じを忘れないように──」


 細身の体に指導時は必ずブーツ、歩き方は小気味よく、凛々しいと言う表現が当てはまる。

 はきはきした口調で注意するときも厳しく、遠くにいてもその声がバイクの音を越え、ヘルメットの中まで届くような気がした。それも頭ごなしに怒るのではなく、叱るといった方が適切だったであろうか。

 きっとこれから世に出る新米ライダーを心配するがゆえに、熱の入った教習になったのだろう。

 時間の中だけ立ち会い判を押して帰るだけの教官と違い、一分や二分は話で長くなることもあった。正しく出来ればうれしそうに褒めてくれ、逆にうまく出来なかった時など、判をもらえるのかも不安にさせる教官だった。だが、いつしか褒められてもらう判に価値を覚えるようにもなっていた。

 そういやあの人に教わった友達も話してたな・・・・・・あの人は本物のライダーだって。思い出が頭の中を駆け巡ると懐かしさが溢れた。


「そうだ・・・・・・あの教官なんだ。え~と・・・・・・名前は何て言ったっけな?確か・・・・う、植・・・・植田!?・・・・いや、植木?・・・・・・そうそう植木だ!植木だよ!」

 何かを探したようにうれしく、それでいておかしく、一人車内で大声を上げていた。フロントガラスに見える景色以外にも、あの頃の風景が浮かんで見えた。

「植木さん、所長になったのかぁ・・・・・・へぇ~」

 偶然か巡り合わせかはわからずとも、また同じ場所で会えたことを素直に喜んだ。

 出世したというよりも、真面目な人だったから当然だとも思った。

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