第18話 手紙
次の日からサロメは公爵に迫り始めた。
サロメは決して強引ではなかった。ただ甘い声ですり寄って、頬を撫で、ゆるくしなだれるだけだった。公爵は頬を赤らめながらサロメの髪を撫でている。サロメは公爵の喉に軽いキスを落とした。
すべてを知っているリザから見れば、毒牙を突き立てているようにしか思えなかった。サロメは本気で公爵の財産を巻き上げるつもりだ。
夜、扉の隙間から光の帯が伸びていた。リザは背を向けながらもちらりとのぞき見している。息を殺して、二人の様子を伺っていた。
「……いける」
リザは足音を立てないように離れた。その足で向かったのは公爵の寝室だ。
――自分にできることをしよう。
リザは密かに決意していた。サロメに立ち止まるつもりがないなら、せめてより良い方へたどり着きたい。サロメに黙ってついて行って、その先がろくでもない未来などまっぴらだ。
公爵の寝室の前で足を止めたリザは左右を見た。念入りに確認してから耳も澄ます。人の気配もしないことを確かめた。誰もいない。リザは静かに深呼吸した。
扉のノブに手をかけて、ゆっくりと回す。
部屋にそろりと足を踏み入れた。
「暗い……何も見えない……」
リザは懸命に目を凝らした。目が慣れるまで悠長に待っているだけの時間はない。急がなければ公爵が寝室へ戻ってきてしまう。リザは足を少しずつ踏みだして前に進んでいった。両手は前に突き出して障害物を探る。
テーブルにたどり着いたころには目が慣れてきて、本が几帳面に積み上げられているのが見えた。だが大したものではなさそうなので、リザは机の上を物色し始めた。
机の上にはインク壺やペン、メモ代わりに使ったらしい紙の切れ端などが置かれていた。よく整理されている。埃もなく、公爵が日ごろから手入れを欠かしていないのが分かる。繊細な公爵らしい、とリザは思った。
「……ん?」
そんな中、机の上の端、本の下敷きになっている何かがあった。リザは本を動かさないように押さえながら引っ張り出した。
「封筒?」
すでに封が切られていた。しかし中には便せんが入っていない。
リザは机の前をうろうろとしながら封筒の中身を探し始めた。他の本の下も念入りに確かめた。しかしそれらしいものは見当たらない。最後の一冊を持ち上げたところで、リザはふと気が付いた。
「公爵だったら、手紙もちゃんと片づけてあるはず」
リザは椅子の前に回り込むと引き出しに手をかけた。ゆっくりと手を引くと、引き出しはひっかることなく動いた。鍵がついていないもののようだ。運が良かった、とリザは息を吐く。
リザの予想通り、引き出しの中に手紙がひとまとめにされていた。ざっと数えても三十通はある。リザは一番手前にあった手紙だけを引き抜いた。
宛先には知らない名前があった。送り主には公爵の名前が書かれている。
どうやら書きかけの手紙をしまっていたようだ。
「フランス……宮廷……」
リザは目を細めながら文字を読み始めた。文字を読むのは苦手だから、知っている単語だけを拾いながら読んでいく。
「宮廷、金が……ない。借金多い。金策が、失敗……?」
リザは首を傾げた。読めない単語も多く詳しいことは分からないが、手紙にはフランスの宮廷について書かれていた。
サロメも時事に詳しいから時々話しているときがあるが、聞き覚えのないことばかりが書かれている。公爵という立場上、彼しか知りえないことも多くあるだろう。リザは両手で手紙を掴みながらぶつぶつと呟いた。
「やっぱり公爵は何か隠して――」
リザは手紙を束の中に戻した。ぎゅっと押し込んで引き出しを閉めようとした。だが引き出しの中に一枚の紙が広がっていることに気が付いて、手を止める。
「何これ」
つまみあげて、窓の月明りにかざした。
「地図?」
間取りからしてどこかの屋敷だ。ところどころかすれたインクで、広間やサロンなど部屋の名前が書かれている。リザは首を傾げた。妙に見覚えがあるような気がするが、間取りを考えながら歩いたことはないので、どこの地図が分からない。
机の中にわざわざしまっていたということは、公爵にとって重要なものであることは間違いない。
凝視しているうちに、最近書きこまれたらしい文字があることに気が付いた。濃いインクで“屋根裏から”と書きこまれている。
何かの手がかりを手に入れた嬉しさで、リザの鼓動は早くなっていた。
リザは目の前のことに夢中になりすぎていたのだ。
「――足音!」
リザはさっと周囲を見回した。運が悪いことに足音はだんだんと大きくなっている。この部屋へと向かっているのだ。リザが視線を巡らせている間にも近づいてきていた。
リザは逃げられないことを悟って、机の下にもぐりこむ。身体を丸めて息を殺した。
ガチャリとドアが開いたとき、リザの顔からは血の気が引いていた。
「旦那様?」
声の主は執事だ。部屋へと入ってくる。近づいてくる。
「……っ、っ!」
収縮する心臓に痛みが走る。血が巡る。身体が熱い。
机のすぐそばまでやってきて、足音は止まった。
衣擦れの音がして、また動き始める。
「またあの女のところか……」
執事はぼやきながら踵を返した。遠ざかっていく足音がリザの耳にも聞こえていた。扉が閉まる音が響いても、リザはピクリとも動けなかった。心臓の鼓動だけが部屋中に響き渡っているかのようだった。
リザは止めていた息を細く長く吐き出した。唇はまだ震えていた。
緊張のあまり手の感触が分からなかった。床についていたはず右手は、いつの間にか地図を強く握り締めていたらしい。くしゃくしゃになった地図を目の前にしてリザは沈黙した。
「……これは……戻しても意味がないな……」
リザはため息を吐いた。そして地図をポケットに突っ込んだのだった。
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