十四、箱庭の勇者

 マリアが迦楼羅の焔を使って敵の足止めを行っている背後で、三人は互いに顔を見合わせて、頭に疑問符を浮かべていた。


「……もしかして、聖剣の保持者を勇者と呼ぶのですか?」

「世界の法則で、最低でも一人は『必ず』選別されるようになってるンだ。まァ、うちの場合は特殊で、俺とマリアがそれに該当している。だが、箱庭にも『勇者は一人』って法則が適用されるとは限っていない。何せ『世界を管理している庭』なんだから」


 どうせ、あの駄目な女神さまのことだ。

 獣が現れたことで動揺して、詳細を伝え忘れていたのだろう。もしくは、うっかりで記憶から抜け落ちているのか。

 どちらにせよ、彼らはナギがポロリと零した言葉に、そこはかとなく驚いたようであった。


「では、こちらの聖剣に宿っている精霊が起きないのは?」

「お前がソレの『保持者』である自覚がないからだろうな」

「そ、そんな……」

「嘆く暇があるなら、とっととソレを叩き起こせ。全員で同時に核を穿つ必要があるんだぞ」


 ナギとアリアのやり取りを黙って――放心状態ともいう――聞いていたソルが、初めて身じろいだ。


「あの獣は複数の核を持っているんですか?!」

「見て分からなかったのか? それよりも今は、自分たちの仕事を全うしろ。やり方は――知らないとは言わせねえからな」


 芯の通った先代勇者の声が、声高に波間の空に響く。

 自身の血で汚れた髪を靡かせながら、ナギはマリアに続いて獣の元へと駆け出した。

 二人ぽつねんと取り残されたソルとアリアはと言えば、暫く無言で互いの顔を凝視することしか出来なかった。


「後れを取るわけにはいきませんね」

「……そうだね」

「お父様に言われたことを覚えていますか?」


 アリアが、ぽつりと呟いた。

 ソルは無言で頷く。


『万物は皆、互いに補い合う関係性を持っている。お前たちも然り。ソルが持たぬものはアリアが。アリアが持たぬものをソルが。そうして補い合ってこそ、聖剣の力を引き出せるというものだ』


 ルーシェルの穏やかな表情が、ソルの脳裏を過った。


「試してみようか」

「ええ」


 ソルは聖剣をゆっくりと抜刀した。

 アリアにアマテラスの柄を向ける。

 彼女はそれを神妙な面持ちで受け取ると、柄を額に押し付けた。


「お願いです、アマテラス。私たちに力を貸してください」


 凛とした声に、陽刀が淡い光を返す。


『いいよぉ』


 くすくすと笑い声を上げながら顕現したアマテラスは常と違って子どもではなく、少し幼さを残した青年の姿になっていた。

 二人の様子を窺っていたソルも、アリアと同じように柄を額に押し付けツクヨミを呼ぶ。


「頼む、ツクヨミ」


 アマテラスと同じように、ツクヨミの刀身が淡く光った。

 次いで、ぼんやりとしていた輪郭がゆっくりと形を帯び、地面まで届くのではないかと思うほど長い髪を風に遊ばせながら、一人の少女が姿を見せる。


『やっと私を呼んでくれましたね』


 にっこり、と笑ったその顔は、心なしかアマテラスに似ている気がした。

 銀糸の髪がさらさらと揺れる様にぼうっと見惚れていると、耳元に低い声が吹き込まれた。


『つーちゃんは、僕のだからね』

「何も言ってないだろ」


 肩に顎を置いて威嚇してくるアマテラスにソルは苦笑を零す。

 それからソルとアリアは互いの精霊に向き合った。


「いけるか?」

『もちろん!』


 威勢の良い声が耳朶を打つ。

 ソルはアリアの手を引いて、ナギとマリアが待つ戦場へと走り始めた。



「漸く主役のお出ましみたいですよ」


 マリアが微笑みながら背後を振り返るのに、ナギが呆れたように溜め息を吐き出す。


「余所見をするな。ったく、お前らは揃いも揃って集中力がなさすぎる」

「それは失礼しました。では、与えられた仕事を全うしてまいります」


 パチン、とマリアが指を鳴らすと、迦楼羅の焔が白銀へと色を変えた。


「火の粉にご注意ください!」


 マリアが大剣の柄を持ち直す。

 その刀身には、轟々と燃え盛る焔を纏った迦楼羅が立っていた。


「行くぞ、迦楼羅!」

『任せなアッ!!』


 背負うように持ち直された大剣を、マリアが勢い良く振りかぶる。

 大剣の軌跡を描くように、白銀の焔が宙を舞った。

 獣に向かって飛ばされた斬撃が、溶かすように四肢を分裂した。

 すぐに再生しようと切断された肉塊に獣は腕を伸ばしていたが、迦楼羅の焔で焼かれた箇所の傷が簡単に塞がる訳もない。

 汚い悲鳴が再び辺りを劈いた。


「ナギ様!!」

「分かっている! ――来い! 因陀羅!」


 マリアの声に、ナギが応える。

 その手に握られた大剣には、稲妻が迸っていた。


「これで、最期だ! 今度こそ、くたばりやがれ!!」


 猛々しい一撃が獣の――大聖女の身体を一刀両断する。

 上半身と下半身が別たれ、地面に転がったそれを、ナギは冷たい目で見遣った。

 ぴくぴくと身体を痙攣させながら、もがき苦しむ獣の姿に、ソルとアリアは思わず息をすることも忘れて、その光景に見入った。


「……何をしている。さっさと核を壊すぞ」

「は、はい!」


 低く掠れた母親の声に、ソルは急いでそちらに駆け寄った。

 ナギを中心として、後の三人でぐるりと円を描くように獣を囲む。


「生憎、俺は焔を扱えない。これが外に出ないよう中から結界を張るから、トドメはお前たちに任せる」

「分かりました」


 マリアが返事をするや否や、ナギは息も絶え絶えな獣の脳天に迷いなく聖剣を突き立てた。


「因陀羅」

「……本当にいいの?」

「死にはしないんだろ? なら、構わねえ」

「でも、」

「こいつはここで仕留める。そう決めただろ」


 小さな声で紡がれていた会話は、一番近くに居たアリアには筒抜けだった。

 ハッとした表情になって己を見る天使に、ナギが悪戯っこのような顔で笑みを浮かべる。


「――ソルを頼む」


 紫色の光がナギに直撃した。

 ゴウッと強風がアリアたちを襲う。

 淡い紫色の結界が張り巡らされたかと思うと、次いで視界に飛び込んできたぐったりと蹲るナギの姿にソルとマリアが悲鳴を上げた。


「母上!」

「ナギ様! 一体、何を……!!」


 ナギは二人の声に目も向けず、ただ一心にアリアを見ていた。

 金色の、黄昏を煮詰めて溶かしたような、芳醇な色合いの双眸がこちらを見ている。

 それだけで、彼女が何をしようとしているのか分かってしまった自分が憎かった。


「よろしいのですか」

「……こんなこと、頼めるのはアンタくらいだ」

「分かりました」


 アリアは、そっと出来たばかりの結界の薄い膜に近付いた。


「アマテラス」

『出来る、と思うけど、つーちゃんが保つかな?』

「出来るか出来ないかではありません。やるか、やらないかです」

『……分かったよ』


 アマテラスはふわふわ、とソルの持っているツクヨミの元に近付くと、彼女に二言三言伝えて、アリアの元に舞い戻った。


「ソル、マリア様。合図をしたら、結界に向けて焔を」

「な、何を考えている! そんなことをすれば、ナギ様が!」

「ナギ様が望んだことです。三人で同時に獣の身体を燃やします」


 確かに、先程ナギは『全員で同時に核を攻撃する』と言っていた。

 けれども、それはナギを含めた全員であると、マリアとソルは考えていたのだ。


「そんな……」

「議論している暇はありません。下半身が上半身を探してこちらに向かっています。すぐにでも、焔を注がなければ大変なことに、」


 ソルはグッと奥歯を噛み締めた。

 母を助けるために、ここまでやってきたはずだった。それなのに、自らの手で母を獣もろとも灰にしなければならないのか、と耳鳴りが段々大きくなっていく。


「ソル」


 ナギが息子の名を呼んだ。


「お前は何だ」

「え、」

「お前は何者だ、と聞いている」


 何者かと問われてソルは困惑した。

 母が自分にどんな答えを期待しているのか分からず、つい周りに居る二人に視線を投げかける。

 マリアは、その問いでナギが何をしようとしているのか理解したらしい。

 驚いた表情のまま数秒固まっていたかと思うと、カラカラと喉を逸らして笑う姿に、ソルはますます混乱を極めた。


「……少年。聞き方を変えよう。君はこの世界を守りたいか?」


 マリアにそう言われて、ソルは先程のナギの言葉を思い出して、とくりと心臓が脈打った。


『聖剣を持つ者に、勇者の資格が与えられる』


 勇者の資格とは何か。

 ソルはここにきて、再びその壁にぶつかった。

 双子なのに、ルナではなく自分が選ばれた理由がずっと分からなかった。

 ただ偶然自分が女神に見出されたのだ、とそう思ってばかりいたのだが、ナギやマリアの顔を見るに、その考えは見当違いだったらしい。


「守りたい」


 ソルの声に、ツクヨミが呼応する。


『貴女が思っているほど、ソルは弱くなかったみたいね。アリア』

「私はそんなこと一言も申しておりません。ソルなら大丈夫だと思っていました」

『それじゃあ、僕たちは僕たちの仕事をしようよ。つーちゃん』

『ええ。アマテラス』


 ソルが柄を握る手に力を込めるのと同時に、ツクヨミが空高く舞い上がった。

 アマテラス、迦楼羅もそれに続く。

 焔を司る女神たちの眷属が三体――ここに揃った。


『ナギは頑丈だが、火加減には気を付けろよ。うっかり燃やして祟られるのだけは勘弁だからな』


 冗談交じりに笑う迦楼羅に、マリアが目元を綻ばせた。

 各々、握りしめる剣の柄に力を込める。


「ソル」


 天使が少年の名を紡いだ。

 彼はそれには答えず、結界の中心で胡坐を掻いて座る母を凝視している。


「母上、アナタは」

「女神の期待に応えてみせろ。そのついでに、俺も救ってくれると助かる」


 ナギが静かに笑った。

 普段は豪華に笑い飛ばすことの多いナギが、そんな穏やかな表情を見せるのは初めてで、ソルが瞬きを繰り返す。

 ヴォルグと二人で談笑しているときにだけ垣間見ることのできるナギの優しい笑顔に、自身の身体からゆっくりと力が抜けていくのをソルは感じた。


「……分かりました」

「良い子だ」

「子ども扱いしないでください」

「子どもだよ。いくつになっても、俺たちにとっては可愛い子どもだ」


 ナギの声がじーんとソルの胸に響き渡った。


「ソル」


 アリアが再びソルの名前を呼んだ。


「うん」


 今度は、ソルもアリアの声に応えた。


「やろう」


 彼の声がはじまりの合図だった。



 迦楼羅の白銀の焔が舞う。

 星々を散りばめたような煌びやかなそれは、けれど確かな熱を以て、獣の身体を端から灰燼へと帰していく。


「ガアアアアアアア!!」


 歪な悲鳴が空へと駆けのぼるも、精霊たちはその身に宿した焔を結界に注ぐことを止めなかった。

 核がどこにあるのか分からない以上、獣の身体を同時に燻るほかない。

 動きを封じるために、中から結界を張っているナギも、焔に肌を焼かれ、左腕に酷い火傷を負っていた。


「母上! もう暫しの辛抱です! 必ず核を焼いてみせます!」

「……おう、出来るだけ早めに頼む」


 軽口を叩く余裕もないのか、剣背に項垂れるナギの姿に、一同はぐっと歯を食いしばった。

 獣の標的はナギだ。

 ナギが中から結界を張った一番の理由はそこにあった。

 外から結界を張って、核を移動されては元も子もない。

 考える頭と、心臓がある上半身に核があると予想していたナギだったが、飛び掛かってきたところを見るとその予想は強ち間違いでもなかったようだった。

 この獣は――大聖女はナギが死ぬことを望んでいる。

 それならば、その望みを叶えてやるべく、一緒に業火の焔に焼かれ、油断したところで逆鱗を衝いてやろうとナギは考えていた。

 ソルたちが三人がかりで結界内に焔を注ぎ始めてそろそろ半刻は経とうとしている。

 獣の上半身は焼け爛れ、残すところは首から上の頭だけになろうとしていた。


「おのれ、おのれナギィ!」

「すげえな。そんなになってもまだ話せるのか。俺はもう、喉が焼けて声を出すのもやっとなのに」


 掠れた声に、アリアが柄を握る手の力を緩めた。

――そのとき。

 一瞬、緩んだその隙を、獣は見逃さなかった。

 切り離されていた下半身が、アリアを目掛けて飛び掛かる。


「アリア!」


 ソルが声を荒げる。

 けれども、アリアは冷静だった。


「もう守られるばかりの私ではありません。水鏡!」


 アリアは振り返りもせず、叫んだ。

 すぐそこまで、獣が迫っている。

 彼女と獣の間を遮るように、水鏡が眩い光を放った。


「目玉がないからと油断しましたね? この鏡は、その身に映したものの真の姿を映し出すものです。さあ、元の姿に戻りなさい!!」


 アリアが聖剣を地面に突き立てて、背後を振り返った。

 獣の下半身を映していたはずの鏡の中には、人間の、女性の下半身が映し出されている。


「い、いやあああああ!!」


 バキン、と空間が裂けるような、硝子の音が響いた。

 結界の中で、人間の姿に戻った大聖女が、焔の中で「熱い」と叫びながらのた打ち回っている。


「待っていました……!」

 ナギが、口角を上げてにんまりと笑った。

 さながら、新しい玩具を与えられた子どものように嬉しそうな顔で笑う彼女に、ソルは背筋に寒気が走るのを感じた。


「来い、ソル。アリアが押さえている間に、逆鱗を砕くぞ」

「は、はい!」

「マリアはそのまま焔を維持していろ!」

「承知しました!」


 マリアがナギの声に頷き、頭上で焔を操っている迦楼羅に視線を送る。

 それまでぐったりとしていたナギだったが、緩慢な動作で立ち上がると、その手に聖剣を握りしめた。

 爛々と瞳を輝かせながら、下半身が千切れ、鎖骨から上を残しただけの姿になった女に、剣先を向けている。

こんなに生き生きとしたナギを見るのは随分と久しぶりだった。

 子どもの時分、ヴォルグと真剣で踊るように剣を交えていたのを見たことが何度かあったが、母の顔はそのときのそれとよく似ていた。


「うわっ、あっつ!?」


 ナギが許可を出したことで、結界はソルの侵入を拒まなかった。

 息を吸うだけで肺が焼けそうなほどの熱風が二人を襲う。


「鎖骨だ。左右の鎖骨に一つずつ、逆鱗がある」

「!」

「いくぞ」

「はいッ!!」


 ナギが地面を蹴った。

 ソルも殆ど同時に、宙へと飛び出す。

 二人の手には、それぞれの聖剣が握られている。


「やめろ! くるなああああ!!」


 大聖女の悲鳴が、虚しくも波間の空へと吸い込まれていった。

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