八、芽吹き

 微睡のような心地良さを纏った柔らかな風が若葉を擽る。

 そよそよと揺れる若い新緑の葉の隙間から、太陽がこちらをじっと見つめていた。

 思わず欠伸が零れ落ちてしまいそうなほど穏やかな気候に、寝不足のシュラは欠伸をしたり、目元を擦ったりと動きが忙しなく、その度にアリアが咳払いを繰り返している。


「こんなに暖かいと眠くもなるよな」

「そうですよね!」


 シュラの助け舟にこれ幸いと乗り込んだ少年をじとりと睨みながら、アリアは頬に右手を添えた。

 森の中に入って一時間ほど経過したが、気候は一定に保たれており、シュラやソルたちの額には汗の一つも浮かんでいない。


「もう随分と歩いていると思うのですが、二人とも疲労感はありますか?」

「そう言われてみると、小腹が減ってきたような気が……」

「僕もです」


 この二人を一般的な人間と比べようとした自分が愚かだった。

 アリアはふうと短く溜め息を零すと、懐から水鏡を取り出した。


「真の姿を見せよ」


 アリアの声に反応した水鏡が白い光を放つ。

 次いで、左右対称になった森の姿をその身に映し込んだ。


「この森の中央には湖ではなく、巨木があるようですね」


 そこには、アリアの言葉通り巨大な樹が座していた。

 世界樹とまではいかずとも、ラディカータの祠守に負けず劣らずの大きさに、シュラの目が大きく見開かれる。


「これ、」

「何かご存じなのですか?」

「……アレは、その惑星にしか存在しない『唯一無二のモノ』を狙っているんだよな?」

「はい」

「今、湖に姿を変えている場所はどうなっているんだ?」


 シュラの声に、焦りと緊張、それから少しの怒気が含まれる。

 穏やかな空気から一転し、不穏な気配を放ち始めたシュラに、アリアはソルと顔を見合わせた。


「大きくは二種類に分かれます。一つは獣に取り込まれ、完全に消滅するもの。もう一つは何らかの理由で獣に取り込まれることなく、結界の中で形を保ったもの。今回の場合は後者に分類されるはずです」


 アリアの説明に、眉間に皺を寄せていたシュラの顔が幾分か穏やかなそれに戻る。

 そこで、ふとアリアはシュラが獣の記憶操作を受けていないことに疑問を持った。

 本来であれば、惑星の住人に獣の耐性があるわけがないのだ。瞬くような僅かな間に記憶操作が行われており、それを正しい記憶として植え付けられてしまう。


「シュラ様。何かご存知のことがおありなのですか?」

「ああ。もしかすると、君たちが探しているモノと俺の探しているモノは同じかもしれない」


 ここにきて初めてシュラは重いため息を吐きだした。

 これまで、爽やかな青年然とした佇まいを崩さなかった彼が沈鬱な表情で、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めるのをソルとアリアは少しの緊張を覚えながらも、彼の声に耳を傾ける。


「向こうに、島のように見える巨大な樹があるだろう?」


 シュラの視線の先には、アリアの鏡に映った木の倍以上に大きな木が存在していた。

 森の木々の隙間から覗くそれは、シュラが例えたように島もしくは山のような存在感を放っている。


「あの木は『世界樹』と言う。名前の通り、この世界に唯一存在している巨大な樹なんだが、数年前に代替わりをしたんだ。あそこに見えるのは役目を終えて眠りに就こうとしている抜け殻みたいなものと言ってもいい。俺の推測が正しければ、今そこに映し出されている木は世界樹の『新芽』なんじゃないかな。俺はずっとその『新芽』を探していたんだ」


 懐かしいものを見るように暖かな眼差しが、鏡の中に注がれる。

 シュラの指先が鏡越しに『新芽』を優しくなぞった。


「今の話からして、この樹が唯一無二の存在であるならば、この星の『星の核』であることは間違いないでしょう。問題はどうやって結界を破壊するか、です」


 このままでは取り込まれてしまうのも時間の問題である、と言外に語るアリアにシュラと、口を噤んでいたままのソルが表情を険しくする。


「俺とソルの『焔』で獣を燻してみるか?」

「誘き出すだけであれば、それでも問題はありませんが、結界を破壊するとなると獣の核を砕かない限りは難しいかと」


 うんうんと唸り声を上げる大人たちを横目に、ソルは青々と茂る緑を溶かし込んだ湖に思いを馳せた。

 何故、ここまで大きな湖が必要だったのか。

 星の核を取り込むだけならば、ここまで大掛かりな結界を張らずに済んだはずだ。

 取り込むことの出来ない理由があるのか。

 ソルがハッとした表情になって、爛々とした眼差しをシュラとアリアの二人に向けた。


「まだ取り込むことが出来ない理由があるんだ。星の核の意識が『覚醒』している状態でないと、獣は手を出すことが出来ないんじゃないかな?」


 ソルの言葉に、アリアが眉根を寄せた。

 これまで渡ってきた惑星の核を、助けることが出来ずに獣が取り込んだ『星の核』の姿を脳裏に思い浮かべる。


「……確かに。そう言われてみると、どの惑星でも星の核が『覚醒』している状態でなければ、獣に取り込まれていません」


 新たな発見に、ソルとアリアは二人して顔を見合わせた。


「もしかして、シュラ様が記憶の改竄を受けていないのは、それが原因なのでは?」

「どういうことだ?」

「『世界樹の新芽』をこの惑星に固定するために、惑星が抑止力としてシュラ様を保護したとすれば、貴方の魔力が獣に有効なことにも説明がつきます」


 おかしいと思っていたのだ。

 違和感がすぐ背後に立っているように、シュラの魔力が獣に対抗できることにアリアはずっと疑問を抱いていた。

 ナギやソルのように女神から力を貸し与えられていない『ただの人間』が獣に対抗できるわけがない。

 だが、惑星が自身を防衛するために必要と判断したのであれば話が変わってくる。惑星が獣に対する抑止力として、彼を『勇者』と認識したのであれば、その魔力が獣に有効なことにも納得がいった。


「俺の魔力があの不気味な生物に有効であることが分かったのは大変結構だが、どうやって新芽を結界から取り戻すつもりなんだ?」


 三人は再び黙り込むと、陽光が反射してきらきらと光る湖面を睨みつけた。

 これがただの幻影であれば、ソルの聖剣を以てして斬り伏せてしまえば済むが、事態はそう簡単に収集できるものでもない。


「固定……」


 アリアは先程、自身が述べた見解の中で呟いた言葉を思い出していた。

 今回の獣は身体を自在に変化させることが出来る特殊な形態を持っている。

 もし、その形態を一つに固定できたとすれば、ソルの焔で獣の核を壊すことでも容易になるのではないか、という考えが脳裏を過った。


「霧は自ら生じます。だとすれば、この大量の湖は獣の存在を定義する役割もあるはずです」


 アリアがソルを真っ直ぐに見つめた。


「この湖を蒸発させるほどの力は貴方にはありません。けれど、一瞬だけでも『世界樹の新芽』を表層に浮かび上がらせることが出来れば、」

「獣の本体が姿を見せるって言いたいのか」


 シュラが険しい表情を隠そうともせずに、アリアの言葉を引き継いだ。

 二人分の熱が籠った視線を一身に浴びて、ソルはグッと奥歯を噛み締める。

 救えなかった惑星の悲鳴や、崩壊していく音が、少年の幼い胸を引き裂かんばかりに、頭の中で反響を繰り返していた。


「……僕は何をすれば?」


 ぽつり、と消え入りそうな声で呟いたソルに、アリアの目が猫のように細められた。


「アマテラスの力を最大限、引き出してください。そうすれば、後は剣に宿った精霊が力を発揮してくれるはずです」

「今まで一度だって応えてくれたことのない精霊を起こせって? はー……。気が重いなぁ……」


 渋々と言った態で、腰に帯刀していた双剣の一対を引き抜いたソルに、シュラが苦笑を零す。


「水分を蒸発させるだけなら、俺も手伝えると思うんだが」

「だめです。シュラ様には、他にやってもらいたいことがありますので」


 アリアの目は水鏡に映し出された『世界樹の新芽』を捉えていた。

 先程から微かに感じる魔力は、水鏡の中から感じられる。

 シュラへと見えない糸を繋ぐように彼の周りを小さな気配が幾重にも覆っていて、『世界樹の新芽』自身が、彼を守ろうとしているのではないかという錯覚に陥った。


「それでは、各々方。獣退治の準備はよろしいですね?」


 天使の凛とした声が、季節外れの際立つ新緑に森に、じわりと広がっていった。

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