第二章、龍は笑い、獣が吼える
六、蒼い龍
シュラがそこを通りがかったのは、全くの偶然だった。
森の中が騒がしいな、と感じてはいたが、繁殖期の魔物が縄張り争いでもしているのだろうと呑気なことを考えて歩いていた罰があたったのかもしれない。
「う、うわあああっ!?」
空から少年が降ってくるとは夢にも思わなかった。
咄嗟に、受取体勢に入るも、少年の背中はすぐそこに迫ってきている。
「くっ」
身体を滑り込ませるだけで精一杯だったシュラは己の受け身を取り損ねるも、何とか少年を受け止めることに成功した。
「大丈夫か?」
「は、はい。すみません。お兄さんの方こそ、どこか痛めたりしていませんか?」
「ああ。これくらい掠り傷だから平気だ」
見たこともない毛色の少年だった。
浅葱色の髪に、左右違う瞳を持った彼は、何かを探すように辺りをきょろきょろと忙しなく見渡している。
「あの、妙な質問で申し訳ないんですけど、僕と一緒に女の人が飛んできませんでしたか?」
「いや? 俺はここを抜けた先の林から歩いてきたが、君以外に人は見ていないぞ」
「そうですか……」
見るからに肩を落とし、項垂れた少年を見て、シュラの血が騒いだ。
ここにラエルや桔梗辺りが居たらきっと迷わずにこう言う。
『お節介なのも、ほどほどにしなさい』と。
そんなわけで、シュラは少年の人探しに付き合うことを申し出た。
彼もこの辺りに詳しいわけではないらしく、パッと輝いた瞳から不安の色が打ち消される。
「すみません。助けてもらったばかりなのに、人探しまで……。あ、申し遅れました。僕、ソルって言います」
「職業病みたいなものだから、気にしなくていい。俺は、シュラ。シュラ・ウェルテクスだ」
ソルと名乗った少年に握手を求めると、彼は若干気恥ずかしそうにその手を握り返してきた。
少し握っただけで、すぐに分かる。
(歳の割に掌の皮が固いな……)
ぎゅ、と握り返された掌の分厚い感触に、ソルもまたピクリと眉を持ち上げた。
「シュラさんは、騎士なんですか?」
「どうしてそう思ったんだい?」
「街で歩いていたときに武器の携帯許可証を持っているのか、と再三詰められたので……。許可なく武器を持ち歩けるのは騎士の方だけなのかなって」
「半分正解、と言ったところかな。そういう君も、随分珍しい刀を持っているように見えるが?」
反論されるとは思ってもみなかったのだろう。
少年の顔が僅かに強張った。
余計なことを言った、と言わんばかりの表情に、シュラの脳裏には昔の自分の姿が浮かんだ。
「意地の悪い質問だった。謝るよ」
「あ、いえ、その……」
しどろもどろになりながら俯いた少年の耳が僅かに色付く。
それを見て、くすりと笑みを零した。
アリアと逸れてしまったのは、完全にソルの落ち度だった。
今回の獣は身体を霧散できるタイプのようで、姿を捉えても逃げられるというのを繰り返されてしまい、自棄になって剣を振り回したところを反撃されたのである。
(だからってこんなに遠くまで飛ばされるとは、)
先を歩く銀髪の騎士――シュラに気付かれないよう小さく肩を落としていると、背負っている剣が熱を帯びたのを感じた。
辺りを見渡してみるが、近くに獣の姿はない。
どうしたものか、とソルが柄に手を遣った――刹那。
「伏せろ!!」
シュラが長刀を振り抜いた。
青い火花が二人を襲う。
「シュラさん!」
「大丈夫だ! 俺に構わず、自分の身を守れ!」
炎が意志を持つように二人の間で唸りを上げる。
青い火の玉が幾重にも連なり弧を描く様は、さながら蛇のようだった。
火花に少し掠っただけで、毛先が焦げ、嫌な臭いが鼻を衝く。
「このっ!」
ソルも応戦しようと聖剣を抜いた。
この時になって、片方の剣がないことに気が付いたが、それどころではない。
剣背で受け止めるのがやっとだった。
攻撃を仕掛けようにも、刃を認めた瞬間に炎は霧散し、火花へと姿を変える。
「ふざけやがって!!」
チッ、と盛大に舌打ちを零すと、ソルは聖剣から素早く愛剣に持ち替えた。
大叔母にあたるレヴィアタンが有する海獣の牙から造られたそれは水の魔力を刀身に宿している。その甲斐もあってか、炎はソルの周りに集まることを嫌い、シュラに標的を定めた。
「シュラさん!」
ソルが再び彼の名を叫ぶ。
すると、彼は湖畔のように澄んだ瞳を一度だけ瞬かせた。
「なるほど」
次いで、独りでに納得したように頷くと、長刀が閃く。
それは、水の斬撃だった。
美しく水飛沫が舞う中心で、シュラが険しい表情を浮かべている。
「……炎に襲われたのは初めてだ。あんな事象、今まで見たことも聞いたこともない」
美しい青が獰猛な光を宿して、ソルを見た。
「君は、アレが何か知っていたみたいだった」
「えっと、」
「話してくれるかな?」
獲物を捕らえた獅子の如き目に、ソルは「はい」と消え入りそうな声で告げるのがやっとだった。
目を覚ますと自分に背を向けて獣に突っ込んで行った少年の姿が消えていた。
代わりに、地面へと突き刺さった聖剣の片割れがアリアのことをジッと刀身に映している。
「黙示録」
『是。ソル様は五十メートルほど先まで吹き飛ばされました』
「現在地は分かりますか?」
『是。聖剣の焔を辿って、こちらを目指しているようです』
「では、下手に動かず、ここで待つことにしましょう」
ソルと世界を巡る旅を始めて早半年。
その間に二人が訪れた世界は優に二桁を越えていた。
けれども、獣から核を守ることが出来たのは半分にも満たない数で、時には眼前で無残にも破壊されてしまい、星の命が消えていく様をまざまざと見せつけられてしまう残念な結果もあった。
初めて星の命が消えるのを見たとき、ソルは何も言わなかった。
その代わり、異なる色彩を放つ眼から絶えず涙を流していた。
今でも、その光景がアリアの瞼の裏に色濃く焼き付いている。
「……感傷に浸る暇も与えてもらえないようですね」
ゆらり、と視界の先で紫煙を燻らせる獣の姿に、アリアの眉間に皺が寄った。
「黙示録。ソルが到着するまでの時間を算出してください」
『是。残り百八十秒です』
「それくらいであれば、私でも応戦できそうね」
アリアは自身を落ち着かせるために、深呼吸を繰り返すと、地面に突き立てられていた剣を拾った。
それをベルトに差し込んで、懐から泉の精に貰った鏡を取り出す。
邪な気配を察知した鏡が淡い光を放ち始める。
「来なさい。私が相手です」
アリアはソルのように聖剣を扱えない。
それは、女神と同じ焔の属性が彼女の身体に流れていないことに由来していたが、天使であるアリアは一つだけ神から与えられた力があった。
天使長ルーシェルと同じ『退魔の光』をその身に宿していたのである。
アリアがゆっくりと目を閉じる。
すると、鏡から漏れ出る光が強さを増した。
獣は何かを感じ取ったのか、空気中に漂わせていた身体を一か所に集め始める。
燃えている。
鏡の中で何かが轟音と共に燃えていた。
「今更、逃げようとしても無駄です」
眩い閃光が森を襲う。
「アリア!」
ソルの声が、背中に届く。
けれどもアリアはそちらを振り返らなかった。
――否、振り返る余裕がなかったのだ。
鏡から放出した退魔の光で獣を捕らえるだけで精一杯だった。
「腰に、剣があります」
「分かった!」
ソルが二つ返事でアリアの傍へ駆け寄ると彼女のベルトに差し込まれていた剣を引き抜いた。
浄化の焔を纏った聖剣が二振り、彼らの間でその焔を燃やしている。
「炎の次は、霧か? 今日はよくよく変わったものに襲われる日だな」
突然走り出したソルに虚を突かれながらも、何とか彼の後を追うことに成功したシュラが二人の前に立ち塞がる得体の知れないものに顔を曇らせた。
ソルは彼に構う余裕もなく苦笑いを浮かべると、アリアの光が獣を押さえている内に、と聖剣で連撃を繰り出した。
先程はなりふり構わずに攻撃を放った所為で反撃を真面に浴びてしまったが、二度目を喰らうわけにはいかない。
「そりゃっ!」
アリアが押さえている部分を重点的に攻撃すれば、焔が獣の身体を捉えた感触が手に伝わってくる。
「フンッ!!」
一際大きな塊を攻撃することに成功したソルだったが、それにホッと息を吐き出したのがいけなかった。
「後ろだ!」
シュラの声に、僅かに反応が遅れる。
「チッ!」
蟀谷を掠った獣の爪先に、ソルが苦悶の表情を浮かべる。
「もう、持ちませんっ」
アリアの限界も近い。
ここで確実に仕留める必要があった。
「炎で攻撃すればいいのか?」
「ダメです! この炎は僕にしか扱えない!」
ソルの制止も利かずに、シュラは自身の長刀に炎を纏わせた。
蒼に揺らめいた炎がソルの周りを囲む霧に襲い掛かる。
「蒼月!」
『任せろ!』
ぐお、と何かの咆哮がソルとアリアの耳を劈いた。
「これでも喰らえ!」
シュラの目に、獣のような光が宿った。
次いで、熱風が辺りを襲う。
取り込んだ空気が熱すぎて、咳が喉を衝いて出た。
涙目で顔を上げたソルの前には、ニッと八重歯を見せて笑うシュラが立っていた。
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