三、闇に見える

結果として、男たちは街の外まで追ってくるような素振りは見せず、ソルとアリアの心配は無駄に終わった。

野営に必要な小型のテントとこの際だから、と奮発して――アリアが身に着けていた金の腕輪を売って工面したお金である――馬を一頭買った二人は、夕闇が街を覆ったのを背に港町フーリヤを目指すことにした。

町を出ると、そこには舗装された街道と生い茂った緑が広がっていた。

振り返れば砂漠の町、進むと木々に彩られた街道が続いている違和感にソルが眉を顰める。


「一つ、質問があるんですけど」

「何でしょう?」

「港町フーリヤって以前からあったの?」


ソルの問いに、アリアは両手を合わせると、それをゆっくりと開く。

すると、その掌の中に革張りで縫製された美しい一冊の本が出現した。


「黙示録、惑星セラにフーリヤという町は存在しますか?」

『否。該当しません。現フーリヤの町は「涙の森」の座標と一致しています』


女性とも男性とも違う、人間の声とは思えない不思議な音が言葉を紡いだ。

三神の一人、オリジンが箱庭に収められた世界の知識を全て詰め込んだといわれている全知全能の書『黙示録』は、毎分毎秒その記録を更新している優れものである。


「……涙の森、ですか?」

『是。惑星セラの「星の核」は涙の森に存在していました』


その黙示録が示した回答にアリアの顔が曇る。


「星の核の所在は分かりますか?」

『是。港町フーリヤの座標にて存在を確認しています』


二人は思わず顔を見合わせた。


「決まりだね」

「はい。港町フーリヤに向かいましょう」


幸いにも、砂漠越えのときと違って馬もある。

魔王城育ちのソルにとって、遠乗りなど朝飯前のことだった。


「馬に乗ったことは?」

「……この翼が見えませんか?」

「はいはい。分かりましたよ。とりあえず、それを隠してから僕の後ろに乗ってね」


少しだけ前に身体をずらすと、鞍の上にもう一人座れそうなスペースが生まれた。

アリアは鞍とソルを交互に見て、肩を震わせ始めたかと思えば、


「足を開いて座れと言うのですか!?」


と、顔を真っ赤にして叫んだ。


「仕方ないでしょ。跨らないと乗れないんだから」

「それなら、飛んで付いて行きます」

「目立つから却下です。黙示録にも聞いてみなよ」

「も、黙示録」

『是。ソル様の意見に同意します。惑星セラに有翼人種は確認されておりません』


相棒と言っても過言ではない黙示録にそこまで言われてしまえば、アリアも異を唱え続けるわけにはいかない。


「はい、天使さま」


スッと目の前に差し出された掌を、親の仇でも見つけたかのように視線だけで殺す勢いで睨むアリアに、ソルが肩を竦める。


「夜は獣の活動時間だ。いつ星の核が壊されてもおかしくないってこと、忘れてない?」

「わ、分かっています」

「じゃあ、早くして――っと」


ソルの固い掌が、アリアの細腕を勢い良く引っ張り上げた。

青年と少年の狭間で不安定に揺れているような姿をしているのに、思ったよりも力が強い。

思わず、ほうっと感嘆の息を漏らせば、眼前に見えた項がぎくりと強張るのが分かった。


「ソル様?」

「何でもない。行くよ」


ハッと短く息を吐き出すのと同時に馬の腹を蹴った。

軽快なリズムで走り出した馬の背に居ると、ここが自分の居た世界とは違うことを忘れられた。


「……綺麗」


夕日を飲み込んでいく夜の帳を見て、アリアが消え入るような声で囁く。

誰に聞かせるでもない、心の中から漏れ出たといった様子に、ソルは小さく頷きを返すだけに留めた。

昼間の暑さが嘘のように、夕暮れに漂う風が心地よい。

暫しの間、馬の背に揺られて街道を進んでいた二人だったが、不意にアリアが「あ」と声を漏らした。


「ソル様、あれは何でしょうか?」

「あれ?」

「はい。前方に赤い光が見えます」

「赤い光?」


背中に感じるアリアの体温を意識しないように必死だったソルは、アリアの白い指先が示したものを見て、苦虫を噛み潰したような表情になった。


「松明の炎だ」

「何かまずいのですか?」

「こんな時間にあんな量の松明が街道を塞いでいるのは良くないだろうねぇ」


近付くにつれて、松明の炎の輪郭とそれを持った人々の形がはっきりと見えてくる。

ソルたちと同じように馬に跨っている者も居れば、大きな剣を背負っている者たちまで居る。


「戦闘は?」

「……止むを得ません。許可します」


ただし、相手の出方次第です。

とても天使の言葉とは思えないそれにソルが苦笑を浮かべたのと、松明の炎が動いたのはほとんど同時だった。


「旅の方ですかね?」

 

近付いてきたのは、五十がらみの日に焼けた恰幅の良い男性だった。


「ええ。そうです。物々しい雰囲気ですが、何かあったんですか?」


先程までの物騒な会話を露ほども感じさせず好青年を張り付けたソルに、アリアはまたも舌を巻いた。


「それがねえ、何でもフーリヤに渡る橋が落ちてしまったようで……」

「それは困りました。どうしても今夜中にフーリヤへ行きたかったのですが、他に道はありませんか?」

「船で渡るにも今日は川の流れが速くて渡せそうにないらしい。皆、困ってしまって行列が出来ている有り様だ」

「……そうですか。わざわざありがとうございます。橋が直るまで、手前の町で滞在することにします」

「ああ。それがいいだろうね」


それじゃ、と言って、また松明の群れの中に戻っていった男性の背中を見送った二人は、来た道を戻ることにした。といっても、実際に橋が落ちているところを見たわけではないので、街道沿いに生えている木々の中にそっと馬を滑り込ませる。


「ここからは歩きで行こう。その方が目立たないはずだ」


手近にあった木の幹に馬を繋ぐと、ソルは松明の群れから漏れた光を頼りに森の中を歩き始めた。

魔王城で暮らしていた頃は、波間の空から漏れる星明りだけを頼りに姉と鬼ごっこをしたこともあるくらいだ。

夜目の効くソルにとって、松明の炎は眩しすぎるくらいだった。

だが、アリアはそうではなかったらしい。

辺りが真っ暗になって初めて「夜に出歩いたことがない」とぽつりと零したのである。


「怖いのなら、僕の服でも掴む?」

「え、ええ」


冗談で呟いたと言うのに、意外にもあっさりと白い指先が自分の服を掴むものだから、ソルは喉元まで出かかった悲鳴を何とか押しとどめた。

天使は真昼の生き物だといつぞやに父ヴォルグが呟いていたことを思い出す。

綺麗で、強くて、それでいて優しい。

夜の闇がこれほどまでに似合わない生き物も珍しいな、と星の光を浴びて鈍く光るアリアの銀髪を振り返りながら、ソルは目を細めた。


「ソル様」

「何?」


闇が怖いと怯えている天使の姿に妹を重ねていると、背中を掴んでいた彼女の指先に力が込められた。


「……獣の気配がします」


アリアの声は震えていた。

それを合図にしたように、腰に帯刀していた双剣が熱を帯びる。

抜け、と言われているのだと瞬時に悟った。

背中を握るアリアの手をゆっくりと剥がすと、ソルは双剣を引き抜いた。

頑なに抜くことを拒んでいた双剣が掌の中に収まったことに感動するも、それは近くに獣がいることを証明しているのに気が付いて緊張が走る。


「ここを動かないで」

「はい」


獣の姿は見えない。

煙や霧に姿を変えることが出来る上位種なら厄介だ、とソルの表情が険しくなる。


「俺に断りもなく、この森に足を踏み入れるとはいい度胸だな」


それは言葉を発した。

木々の隙間を縫うように姿を見せたそれは、遠目から見ると人間と同じ形をしているようだった。

十メートルほど離れた場所に立っている獣に、ソルが鋭い視線を向ける。


「よく言うよ。獣が足を踏み入れていい場所なんて、どこにもないだろ」

「……この匂い、番人か?」


獣の目が赤く光っていた。

言葉を発せるほど知性の高い獣と遭遇したのは初めてのことだ。

母が戦っていた姿を思い出すも、言葉を扱う獣がいたのを見たことはなかった。


「まあいい。ここでお前たちと争うつもりはない。俺が欲しいのは『星の核』だけだからな」

「お前にその気は無くても、僕たちはお前を倒さなくちゃならない」

「出来るものならやってみるがいい。若く、愚かな番人よ」


カッと身体が怒りで熱くなるのが分かった。

獣はソルを格下と判断し、この場から離脱しようとしている。

それだけは阻止しなければならなかった。

慣れない双剣を振りかざす。

キン、と金属のぶつかり合う音が森の中に反響した。


「……鉱物系か!」

「さて、どうだろうなッ」


獣はソルの剣を腕で受け止めた。

火花が散るのもお構いなしに殴りつけてくるあたり、身の硬さに相当の自信があるようだ。


「自分から飛び込んでくるとは愚かなことだ」

「何?」

「ふふ」


獣の目が厭らしく細められた。

次いで、アリアの悲鳴が上がる。


「ヒッ! や、やめなさい! 近寄らないで!!」

 

木の枝が、まるで意志でも持ったかのようにアリアの腕に巻き付こうとしていた。


「天使さま!」

「わ、私に構わないでください! 獣を倒して!」

「でも!」

「いいから早く!」


アリアの身体に枝が次々と絡みついていく。

ソルは背後で不気味に笑う獣に怒りを滲ませた。


「貴様!」


ゴウ、と振るった剣は空を斬る。

気が付くと、獣は木の枝に飛び上がって、何を逃れていた。


「下りてこい! この外道!」

「それに応じる義理はない。ほら、どうした? 乙女が死ぬのを黙って見守るつもりか?」

「……っ!!」


ソルは堪らず、アリアに駆け寄った。

もう迷っている暇はない。

口元まで枝に覆われて涙目になった彼女がもごもごと何か言葉にならない声を発していたが、それを無視して枝に剣を突き立てる。

けれど、双剣はピタリとも動かなくなってしまった。

先程まで、獣に振るうことが出来ていたそれは、刃を進めることを嫌がるように突き刺さったまま動かない。


「チッ」


仕方なく町で入手した短剣を使って、アリアに纏わりつく枝を取り払った。

全ての枝を切り落とすと、獣の気配は消え、先程までの熱が嘘のように冷たく枝に突き刺さったままの双剣が残された。


「……どうして、私を助けたのですか」

「目の前で誰かが殺されようとしているのを黙って見ていられるほど、神経が太くないんでね」

「私を庇った所為で星が壊されてしまっては、元も子もありません」

「まだ壊されると決まったわけじゃない」

「ですが!」

「奴も星の核を探していた。奴よりも先に俺たちが星の核を見つければいい話だ」


それには、橋が壊れて入れないと言われている港町フーリヤに入る必要があった。

アリアがギリ、と唇を食いしばるのが目に入る。


「怪我は?」

「……ありません」

「良かった。ルーシェルさまに殺されなくて済む」


安堵の息を漏らしたソルに、アリアは自分が緊張と恐怖で震えていたことに気が付いた。

青年の手が伸ばされて、肩に付いていた枝や葉の残骸を払い落される。


「立てる?」

「はい」


差し出された掌を掴むのは、二度目だった。

今度は離さない、と言わんばかりに強く握られた手に引かれ、ゆっくりと歩き始める。

行先は決まっていた。

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