第6話 ただものじゃない

「あっははぁ! それが君のペットってわけだぁ! かぁわいい!」

 返却された斧を両手で握り、紅羽は光のない瞳を恍惚と見開いた。獰猛にきらめく白い牙や、鋭い爪が生えたネコ科の指先。鼻先が空気の匂いを嗅ぐように微動し、やがて少年に狙いを定めるように姿勢を伏せた。動物園に来た子供のようにそれを見つめ、無邪気に飛び跳ねる紅羽。隣で刀の柄に手をかけ、油断なく様子を窺っている純姫とは別世界の人間のようだ。同様にナイフをいつでも抜けるように構えつつ、霧矢は眉をぴくぴくと動かしていた。

(……どういう空気で居ればいいのかわかんねーわッ! どうしてくれンだよ、あんの緊張感ぶっ壊れ社員ッ!)

 やり場のない困惑を噛み殺し、今はただ、余裕ぶった痛々しい少年を見据える。


「何が愛玩動物だ、ふざけんなッ! ……っ、ごほんっ。こっ、こここれは我が崇高なる召喚獣なりっ!」

「あれ、今なんか言ってること理解できた!」

「理解するなあああああああ!!」

 大仰だった口調は早くも崩れ去り、単なる少年の叫び声が路地裏をつんざいた。夢斬は震える指を紅羽に向け、わずかに顔を赤らめつつ絶叫する。

「こっ、このような無礼者はッ! 引き裂いて喰ってしまえッ!! さあ、とっとと行くのだ――聖霊堕天魔獣リベレイテッド・ビーストッ!!」

 少年の絶叫に呼応するように、獣の瞳が濁った黄色に煌めいた。地の底を這うような唸り声が路地裏を震わせ、気温が数度下がったような錯覚に陥る。突然膝をついた少年が薄く笑い、獣が毛を逆立てながら弾丸のように飛び出した。

「――ッ!」

 一瞬で余裕の表情を崩し、紅羽は勢いよく飛び退った。代わりに純姫が踏み込み、打刀を抜き放つ。軽やかな足音と共に肉薄する獣を見据え、まずは前足を狙って一閃。銀光が獣の脚を切り落とす直前、それは跳躍して斬撃を避けた。しかし、その離脱先で銀色が空間を裂く。投擲されたジャックナイフが獣の脇腹に深々と突き刺さり、巨体が派手にバランスを崩した。それでも着地する時には安定を取り戻し、再び純姫に襲い掛かる。

「……ちっ。そりゃあ、簡単に怯むようなイキモンじゃねーよなァ!」

「そりゃもち――そうだ、よッ!」

 高い声が響き、獣の小さな耳がぴくりと反応する。その背後に紅羽が迫り、獣の背骨を叩き割る勢いで斧を叩きつけた。すんでのところで横跳びに回避され、振り下ろされた斧は獣の左後ろ脚に深々と突き刺さった。苦しそうな咆哮が路地裏に反響する。それを悪化させるかのように、右前足にもジャックナイフが鋭く突き刺さる。瞬く間に脚の半分を傷つけられた獣に、痛々しい少年が片目をこぼれんばかりに見開いた。

「な……ッ!? こ、この短時間でここまでの手傷を……!? しかも即席のチームアップであろう!? き、貴様ら……まさか“茶会の君”がおっしゃっていた、“黄昏の御使い”の手の者か!?」

「……っ、何を言っているか、さっぱりわからないがッ!」

 踏み込み、純姫は手傷を負った獣へと肉薄する。勢い良く刀を振りかぶり、濡れた音を立てて獣の首を斬り落とす。頸椎と頸動脈を断ち切られた獣は、ゆっくりと脱力し――その身が地面に落ちる前に、ノイズと化して消えてしまった。その身体から抜けたジャックナイフが、派手な音を立ててアスファルトに落ちる。


 高い金属音を立てて刀を治め、純姫は痛々しい少年に向き直る。

「――さて、葬仇院夢斬。幾つか問おう」

 紫色の瞳が冷え冷えとした光を放つ。その片手は未だに刀の柄に置かれている。厚底ブーツの分を含めても自分より小さな少年を、彼女は見下すように眺めた。

「貴様……その辺りで倒れているのは、皇会系暴力団の者だろう? 見覚えがある」

「……」

「部下がもたらした情報によると、お前が白河組に手を貸すことになったそうだな。この惨状は、貴様らからの宣戦布告と受け取っていいか? もしそうなら、皇会直系・伏龍組組長の名のもとに貴様を処すことも考えざるを得ないぞ」

「……ッ!」

 底冷えのするような声に、痛々しい少年の脚から力が抜けた。へたり込みながらも逃げようと周囲を見回す少年だが、そう簡単に逃げられようはずもない。ジャックナイフの残弾を構え、霧矢がその後方に陣取った。獰猛な目つきが彼を睨みつける。

「……くっ……」

「あんだけ暴れりゃ、天賦ギフトも出ねェだろ。おとなしく白旗上げろやイキりチビ」

「誰がイキりチビだ!! ふざけんじゃねええええ!!」

 半ば涙目になりつつ、夢斬は勢いよく立ち上がった。片手を天に掲げると同時に、傍のビルの屋上からワイヤーが延びてくる。それをひしと掴み、痛々しい少年は三人へと叫び散らす。

「……きょ、今日はこのくらいにしておいてやろう! Salad Barサラダバー!」

「ッ!」

「待てッ!」

 反射的に紅羽が飛び出そうとするが、純姫の一喝に身をすくませた。上空へと回収されていく夢斬を見送り、純姫は硬い声を発する。

「あの様子では、協力者がいるのは間違いない。それが何名いるのかも把握できていない状況で、これ以上追いかけるのは悪手だろう。どちらにしろ、本格的に抗争が始まったら奴はまた現れるんだ。今は放っておけ」

「……だな」

「てゆーか、あいつおかしいよっ!」

 弾んだ声が耳を打って、霧矢は紅羽の方に視線を向けた。初手で投げつけた刃先保護ケースを改めて斧に装着しつつ、彼女は鼻歌でも歌いそうな勢いで語る。

「あいつ、なんか普通にペット制御してたけどさー。あたしがバカなの差し引いても、制御するのって楽じゃないんだよ。多分。……チビだし言ってることはイミフだけど、あいつ絶対ただものじゃないって!」

「つか、お前何で楽しそうなんだよ」

「だって、そうじゃんっ!」

 背中に無理やり斧を仕舞いこみ、紅羽は爪先でくるりと舞う。勢いで無意味にバック転を決め、着地と同時に横ピース。中指と人差し指の間で、光のないはずの瞳が爛々とした色を宿した。

「ただものじゃないってことは、そいつと戦ったら、あたし、もっと強くなれるってことだよね!?」

「いやお前、それ目的で派遣されただろ。主目的忘れんなや」

「……主目的はうちの抗争なんだが。ともかく、やる気が増したなら何よりだ」

 腕を組み、純姫は二人に向き直った。周囲に転がる遺体を見つめ、口を開く。

「……さて、まずは犠牲者を弔わねば。組の者を何人か呼ぶ。もう少し待機だな」

「うぃっす。これ以上変な気起こすんじゃねーぞ、紅羽」

「ねぇひどくない!?」

「事実だろうが」

 放っておいてもちょろちょろと動き回るのが白銀紅羽という人間だ。つくづく何で自分がこんな奴のお目付け役にあてがわれたのか、と霧矢は恨めし気に溜め息を吐いた。

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